第六十九話 無限詠唱マシーン


 ファーリに指輪を渡した後、休日を挟んだ次の登校日。

 午前の退屈な授業を乗り切った僕たちは、いつも通りにトリシャが借りた空き教室に集まっていた。


「……で、レオっち。一体何があったの?」


 いそいそと昼食の準備をしてくれるレミナさんを尻目に、目を三角形みたいに尖らせたトリシャが僕に迫ってきた。


「何が、って?」

「もう、とぼけないでよ! 朝に言ってた『協力者が増えるかも』っていうのも気になるし、何よりあんなの、絶対おかしいでしょ!」


 まあ、本当はトリシャが何を言いたいのかは分かっている。

 今朝登校するなり教室を騒がせたのは、〈眠り姫〉こと、ファーリ・レヴァンティンだ。


 いつもは眠たげでどこか浮世離れした様子の彼女が、今日は全く雰囲気が違ったのだ。

 目の下に大きな隈を作り、髪もボサボサで登校した彼女は、時折思い出したかのように自分の指を撫でては、「デュフフフ」とばかりの不気味な笑みを浮かべていた。


 トリシャじゃなくても、気になってしまうのは当たり前。

 ……正直僕も、どうしたもんかと思っている。


「ま、まあ、もう少し待ってよ。たぶん、もうすぐ……」


 と、ちょうど僕がそこまで言った時だった。



 ――ガン! ガンガン!



 突然、教室の扉がすごい勢いでノックされる。


「ひっ!?」


 その音に、僕に詰め寄っていたトリシャが悲鳴を上げた。

 そして、


「早く! 早く入れて、レオ! わたし、もう我慢できない!」


 扉の向こうから何やら切羽詰まったような声が聞こえてきて、


「えっ? こ、この声ってやっぱり……えぇ!?」


 その正体に思い至ったトリシャが、さらに混乱する。

 ただ、僕としては予想通りだ。


「あー、はいはい。ちょっと待ってね」


 混乱して動けないトリシャに代わって鍵を開けると、転がり込むようにして一人の少女が部屋に飛び込んできた。



「――やった! ありがと、レオ!」



 そう言って僕に微笑んだのは、もちろん今日の渦中の人物。



 ――隈が出来た目に爛々とした光を宿した青髪の少女、ファーリ・レヴァンティンその人だった。



 ※ ※ ※



 空き教室に、食器が奏でるカチャカチャという金属音だけが響く。

 これは、部屋に入るなり魔法の練習を始めようとしたファーリを止めて、無理矢理に食事を勧めたせいだ。


「……レオは、意地悪」


 とファーリにはむくれられたが、そこは断固として譲らなかった。


 あ、ちなみに「レオ」というのは僕のこと。

 最初は予想外の呼び名に戸惑ってしまったけれど、


「ダメ? かっこいいと思って」


 なんて言われてしまったら、断れるはずもない。


 向こうにも好きに呼んでいい、とは言われたけれど、原作厨的にそういう訳にもいかない。

 本人の希望もあって「さん」は取れたけれど、僕は普通に「ファーリ」と呼ぶようにしている。


 ついでに言うと、ファーリはレミナとトリシャのこともきちんと認識していたらしい。

 クラスメイトのことなんて眼中にないんじゃ、と失礼なことを思っていたけれど、僕がレミナとトリシャを紹介しようとすると、


「ファーリ、この二人は……」

「ん、魔法が上手い人の名前は、憶えてる。レミナ・フォールランドに、トリッピィ」


 と、いきなりトリシャを愛称で呼ぶという意外なコミュ力を見せ、僕を驚かせた。

 この分なら友達が出来る日も近いんじゃないか、と思ったりもしたのだけど、



 ――カチャ、カチャ、ズズズ……。



 ひたすら食器がぶつかる音だけが響くこの食事の風景を見ると、どうやら先は長いようだ。


(というか、もうファーリは食事のこと頭にないな)


 腐っても貴族ということか、ファーリはかろうじて食事のマナーは守っているが、あからさまに気もそぞろ。

 とにかく早く食べ終わることだけを考えているようだ。


「ごちそうさまでした」


 案の定、一番早く食べ終わったのはファーリだった。


 食器を置くと、いいよね、もういいよね、という副音声が聞こえてきそうな様子で、早速部屋の床に座り込んで魔法の練習を始めようとする。


「あ、ちょっと待った」


 そう言って僕が呼び止めると、まるで親の仇を見るみたいな目でこっちを見たけれど、


「これ、魔法の訓練の効果を上げられる装置なんだけど」

「やる!」


 クールビューティに見えて、どこまでも欲望に忠実なのがファーリの可愛いところだ。

 僕が渡した円筒形の装置のスイッチを押すと、ご満悦な表情で床に女の子座りで座り込み、



「〈ブリーズ〉! ……〈ブリーズ〉! ……〈ブリーズ〉! ……〈ブリーズ〉!」



 風の初級魔法を使い続けるだけの機械となり果ててしまった。


(せっかくだから、トリシャたちと友達になったら、って思ったんだけどな)


 どうも、今のファーリには友達よりも魔法の方が大切らしい。

 やれやれと思いながら、食事の方に戻ろうとすると、


「って、レオっちは何をふつーに食事にもどろうとしてるのかな?」


 そこには混乱を通り越して、もはや完全に目が据わったトリシャがいて、



「――わたしが何回話しても相手にもされなかったファーリ様がここにいる理由、ちゃぁんと説明、してくれるんだよね?」



 涙目で縋りつきながら脅す、という器用な真似を僕にしてきたのだった。


―――――――――――――――――――――

可哀そうなトリシャ!

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