29話「賢者の動向」



 ~ Side 賢者 ~



「くーかー、くーかー」



 魔王と勇者が奮闘している中、賢者のフラメールは一体なにをしていたのかといえば、ベッドでいびきをかいて眠りこけていた。



 まさに、惰眠を貪るとはこのことで、彼女の一日の主な活動内容は、起きて食事を取り、魔法の研究に明け暮れ、眠くなったらベッドに倒れ込んで死んだように寝るという実に不規則極まりないものだった。



 前世とほとんど変わり映えしないブラック企業も真っ青な活動内容だが、賢者として転生した際に多少無理の利く体を願っているため、前世のように心臓発作で倒れるなどということはない。



 以前彼女の姿を見たときは、そろそろ勇者に関して自分も動かねばならないなどと豪語していたが、どうやら日々魔法の研究に忙しく、勇者のことなどすっかりと頭から抜け落ちてしまっているらしい。



「ん? あぁー、もう朝か」



 ベッドでだらしなく大の字で寝ていたフラメールだったが、のそのそと起き上がり、よだれを手で拭う。これだけでも、彼女がいかにずぼらな性格をしているのかが窺えるだろう。



 ドレスローブから零れ落ちた二つの果実を強引に仕舞い込んだフラメールは、汗でべたついた体に浄化の魔法をかける。



「【クリーン】。はあー、やっぱ魔法ってすごく便利だわー。この魔法があれば、お風呂に入る必要がないもの」



 先ほどまで汗の臭いに包まれていた彼女であったが、浄化の魔法を使ったことで、その臭いは消え去り、女性特有の甘い匂いが彼女の身体から漂い始める。



 体を解すため大きく伸びをしたフラメールは、アイテムボックスに仕舞ってある果物を取り出し、簡単な朝食を取る。



 食事が終わると、すぐさま魔法の研究を行うつもりであった彼女だが、ここで招かれざる客が来たことを知らせることを感じ取った。



「またあいつらか」



 家の扉を叩くことなく客の来訪を知った彼女は、顔を顰めながらも外に出る。そこには、数人の護衛を引き連れた明らかに身分の高いドレスを身に纏ったお姫様がいた。



「賢者様。是非あなた様のお力を、我が国のためにお貸しくださいませんでしょうか!? もし、そのお力をお貸しくださるのなら、国王である父がいかなる恩賞もお与えくださるでしょう」


「……」



 相手の勝手な物言いに、フラメールは呆れた顔を浮かべる。ここ最近彼女の周りで起きている出来事であった。



 人の口に戸は立てられないとはよく言ったもので、どこからか噂を聞きつけてきた国の人間が、賢者の力を手にしようと、いつからか彼女のもとを訪ねてくるようになった。



 しかも、その人間というのが上級貴族や王族といった国の要人ばかりであり、それほどまでに賢者である彼女の力を欲していたのだ。



(まあ、ここらへんに拠点を置くようになって、そろそろ六、七十年くらい経つからなー。自重もなしに実験と称して魔法をぶっ放したこともあったし、近くにあった村を救ってやったこともあったっけ? そりゃあ、ここに賢者がいるなんて噂が出てもおかしくはないかー)



 フラメールは自身が今までやってきたことを反芻する。そして、こんな連中がやってきてしまうほどに自重せずに生きてきたことを改めて自覚する。



 そして、そろそろこの場所に拠点を置き続けることの難しさを悟り、諦めたように彼女は溜息を吐いた。



「もう潮時ね」


「では、我が国に協力していただけるということでしょうか?」


「そんなわけないじゃない。私が言ったのは、ここに居られないってことよ。【収納】」



 そう言って、フラメールは拠点として使っていた家をアイテムボックスに収納する。数十年という時を魔法やスキルの研究に使っていた彼女にとって一軒家程度の容量を収納するなど朝飯前だ。



 そのことに相手は驚いている様子だったが、そんなことはお構いなしに、彼女は別れの挨拶をする。



「じゃあ、もう会うことはないと思うけど、さよなら」


「お、お待ちくださいっ! 我が国はあなた様を」


「なにかに縛られるなんて真っ平ごめんだわ。私は賢者。誰かに縛られる存在じゃない。それができるのは、勇者くらいなものよ」



 そう口にするフラメールだが、彼女自身勇者に対して協力的かと言われればそうではない。



 事実、勇者はすでにこの世に生まれており、仲間集めの旅を始めている。そんな状況であるにもかかわらず、彼女は未だ彼に合流していない。



 そもそも、魔王討伐などというもの自体に興味がなく、自分の迷惑にさえならなければ魔族だろうが悪魔だろうが彼女にとってはどうでもいいことなのだ。



「姫様、かくなる上は……」


「あら、私と戦う気? なら、この瞬間から私とあなたたちは敵同士ということになるのだけれど?」


「そ、そんなつもりはありません! ヴァルガンも控えなさい!!」


「しかし、賢者殿の協力を得られなかったときは、他国へ流れる可能性を考え、賢者を殺せと国王陛下より命じられております。これは王命、例え姫様の言葉といえども、止まることはできませぬ」


「そ、そんな」



 騎士の言葉に、姫は言葉を失う。そんな状況を見て、フラメールは鼻で笑って呆れた様子を見せる。



「どこの国も自国の利益を確保するために必死ね。でも、そんな傲慢な国のために大人しく殺されてやるほど、私は甘い人間じゃない。それに、おまえら程度にどうこうできるほど、賢者は弱者ではないわよ」


「では、恨みはないがここで消えてもらう」


「動くな【プラントバインド】」


「うっ、こ、これは!?」



 フラメールが魔法を使うと、足元から蔦が生え、敵対する騎士を雁字搦めにする。それは一瞬の出来事であり、屈強な騎士が一瞬にして無力化されたという事実を物語っている。



 つまりは、彼女にとって目の前にいる騎士たちは脅威となる存在ではなく、いつでも殺すことのできる取るに足らない存在ということになるのだ。



「こ、これは……」


「賢者をあまり舐めないことね。賢者とは、魔法の極地に至ろうとする者の総称。魔法という分野において右に出る人間など皆無なのよ。たった一人で、戦略級の殺人兵器になるということを覚えておきなさい」


「……」



 そう言いながら、フラメールは姫と呼ばれた女性に近づき、その頭に手を置く。そして、魔力を込めながらある魔法を使った。



「それはそれとして、賢者に敵対した人間には罰を与えなければならないわね」


「罰ですか?」


「なんのことはないわ。ただ眠るだけよ。まあ、ざっと三十年くらいかしら」


「っ!?」


「てことで、本当にさようなら。【ブラッディコーマ】」


「えっ、なに? 急に眠く……」



 そう口にする姫だったが、激しい眠気の前に、彼女の意識はすぐに消失する。



 フラメールが使った魔法ブラッディコーマは、使った対象の人間を起点にその血縁者にまで魔法の効果を及ぼすというものであり、その効果は相手を昏睡状態にするというものだった。



 姫の血縁者……つまりは国王や妃はもちろんのこと、その兄弟姉妹から親戚縁者に至るまで彼女を通して攻撃をしたのだ。今頃は、国王を含めた王族たちは謎の昏睡状態に陥っていることだろう。



「姫様! 貴様、なにをした!!」


「ただ眠ってもらっただけよ。ただし、目が覚めるまで三十年くらいかかるだろうけど」


「な、なんだと!? 姫様をもとに戻せ!!」


「ごめんなさい。一度この状態にしたら、私でも解除は不可能なの。それよりも、今は姫なんかより国のことを心配することね」


「どういう意味だ」



 フラメールは、先ほど使った魔法の効果を騎士たちに説明してやる。その説明を聞きその効果の恐ろしさに騎士たちの顔は蒼褪める。



「理解したかしら」


「そ、そんな馬鹿な」


「今頃は、あなたたちの上司である国王も、王妃も、王子や王族連中全員がその子と同じ状態になっているはずよ。しかも、その状態が治るのは三十年経たなければならない。【フライ】」


「ま、待て! どこへ行く」


「もうここには要はないわ。精々後悔することね。賢者を敵に回すとどうなるのか。他の国に理解させるため、見せしめになってちょうだい。それじゃあ、さよなら」



 そう言い残すと、今度こそフラメールはその場を飛び去って行く。騎士たちがなにやら叫んでいたが、もう彼女の興味は失せており、その声が届くことはない。



「さて、次はどこに行こうかしら」



 そんなことを言いながら、フラメールはまだ見ぬ次なる拠点へとあてもなく向かったのであった。



 それから、残された騎士たちは眠り続ける姫をなんとか国へと連れ帰ったが、フラメールが言った通り、国王や王妃を含めたすべての王族が謎の昏睡状態となり、国は混乱した。



 これ以降、賢者の被害にあった国に隣接する国々は、一つの認識を新たにする。



 それは“軽率に賢者に手を出してはならない。手を出せば、最悪国が崩壊する”というものであり、フラメールの思惑通り彼女を利用しようとする者たちに対する見せしめは十二分に成功したと言えるだろう。



 それ以降、彼女の前に国の要人が現れることはなく、しばらく平穏な日々が続いたが、彼女はあることを失念していた。



「あ、そういえば、勇者がいたんだっけ? ……うーん、まあいっか」



 どうやら、賢者と勇者が邂逅するのは、まだまだ先の話になりそうである。

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