15話「店に入ると、女性が誘拐されそうになっていた件」



「腹が減った」



 俺がやってきたのは、とある場所にある食事処だ。当然目的は腹を満たすことである。



 この街にやってきてからまだ一月経ってはいないが、それでもある程度どこになにがあるのかくらいの把握はできている。



 その中でも、やはりというべきか美味い飯を出す食事処の把握は急務であり、暇を見つけては店の散策を行っている。



 しかしながら、地球での発展した食文化を享受してきた身としては、俺の肥えた舌を満足させるほどの店はそうそうお目にかかれるものではなく、最終的には宿の食堂に落ち着いてしまう。



 その宿で出される食事についても、地球と比べればどこか物足りないものであり、これはもう店を探すよりもいっそのこと自分で作った方が早いのではと感じ始めていた。



 だが、俺は生粋の引きこもりであったため、自炊などの類はできない。地球にいた頃の日々の食事は大抵が出前に頼りきりだったし、出来合いのものでよければコンビニにいくらでも売っていた。



 家事ができないからこそ、俺の部屋にはゴミの山が形成され、それが原因で死ぬことになってしまうなどとは夢にも思わなかったが、それもまた過ぎたことである。



 そして、そんな思いをした俺であるが、それを教訓として炊事に力を入れるのかといえば、それもまた違う。



「とりあえず、今は少しでもまともな食生活ができるようにしなければ」



 そう呟きながら、俺はある店の前で足を止める。そこは、今まで入ったことのない店であり、大通りから少し奥まった所にひっそりと建っていた。



 周囲を高い建物に囲まれている関係なのか、店内は少し薄暗く、とても食事をするような場所には見えないが、外にはフォークとナイフの絵が描かれた看板があったので、食事を提供する店であるということは間違いない。



「や、やめてください!」



 店に入るとすぐに若い女性の叫び声が木霊する。何事かと目を向けてみれば、柄の悪い男たちが若い女性の手を取ってどこかに連れて行こうとしている光景だった。



 だが、ここで早とちりしてはいけない。いくら柄の悪い男たちとはいえ、どちらが正義かは話を聞いてみるまでわからないからだ。



 決めつけや先入観で物事を決めてはならない。小学生時代、男の子が女の子を泣かせた事案が発生した際、例え女の子に非があっても泣かせた男の子が悪いと周囲には映ってしまう。



 だからこそ、今この状況で俺が把握すべきなのは、どちらが正義でどちらが悪なのかということであり、今すぐに女性を助けることではない。



「大人しくこい。うちの雇い主様がお呼びだ」


「待ってください。まだ借金の期日まで時間があるはずです」


「こんなさびれた店に誰が食事をしに来るっていうんだ。これでも待ってやった方なんだから大人しく受け入れるんだな」


「ひっひっひっ、兄貴、こいつなかなかいい体してやがる。うちの店で働くことになったら、さぞや人気の娼婦になるだろうよ」


「い、いやです。離してください」



 なるほど、確かに三下風の男の言う通り、少々埃っぽい見た目をしているが、顔立ちは悪くなく、なにより女性として均整の取れた体と服の上からでもわかる大きな膨らみは大したものであると断言できる。



 そして、この状況でなんとなくだが、事情が明るみになってきた。どうやら、店の借金のかたとして女性にいかがわしい店で働かせようとしているらしく、無理やり連れて行こうとしているようだ。



(だが、これは状況的にそう見えるだけであって、必ずしもそうと決まったわけでは――)


「お願いします。借金は必ず払いますから、娘は、娘だけは連れて行かないでください!」


(Oh My Angel……借金のかたに連れていかれる娘で確定してしまった)



 そんな騒ぎの中、店の奥からくたびれた中年男性が姿を現す。どうやら女性の父親らしく、彼女が連れて行かれそうになっているのを知って、膝を折って男たちに懇願し始めた。



「駄目だ。こいつには借金の利息分うちの店で働いてもらうことになっている」


「まだ借金の期日まで時間があるじゃないですか!?」


「返すあてはあるのかよ? こんな店に誰も来るこたぁねぇ。どうやって金を作るっていうんだ? おお?」


「そ、それは……」


「おい、注文いいか?」



 これ以上この寸劇に付き合っていられないとばかりに、俺は適当な席に座り手を上げて注文を願い出る。突然現れた俺に呆気にとられている様子だったが、すぐに平静を取り戻し、問い掛けてくる。



「なんだガキ? 今、大事な大人の話をしてるんだ。ガキはガキらしく、家に帰ってママのおっぱいでもしゃぶってろ」


「それよりも、お前らのやってることは違法じゃないのか?」


「うっ」


「話を聞くに、借金の返済期日はまだ来ていない。だというのに、そこまで苛烈な取り立てをする。このことを商業ギルドが知ったらどうなるんだろうな?」


「……てめぇ」



 俺は暗に“おまえらのやっていることは違法な行為であり、このことが商業ギルドの耳に入ればただでは済まないじゃないのか?”という含みを持たせた言葉を投げ掛ける。



 先ほどまで強気だった男の顔色が変わり、ただでさえ醜い顔がさらに醜くなるほどに顔を歪ませていた。どうやら男たちも自分のやっていることが違法なものであるという自覚があったようだ。



「これでも商業ギルドのギルドマスターに顔を覚えられていてな。俺がこのことを報告すれば、すぐにおまえんとこの店とやらに調査員が派遣されることになるだろう? どうするんだ? 借金返済まで大人しく待つか、それともこのまま強硬な手段に出て商業ギルドと敵対するのか? 好きな方を選べ」


「このガキ! 調子に乗ってんじゃ――」


「おやめなさい」



 男が激昂するも、突如として現れた誰かによって止められた。何者なのかと思ったが、すぐに男の口からその正体が知れた。



「しょ、商会長!? どうしてこちらに?」


(ほう、ボス自らお出ましとは)



 現れたのは、いかにも胡散臭そうな恰好をした中年の男であり、身なりから商人であることが窺える。しかしながら、日頃の運動不足なのか、それとも食生活が乱れているのかは知らないが、無駄についた贅肉は見苦しいことこの上ない。



「初めまして、私は【シャッキー商会】で商会長を務めているシャッキーというしがない商人なのですが、あなたは一体何者ですか?」


「悪党に名乗る名などない」


「これはこれは、ずいぶんと嫌われたようですね」


「そんなことはどうでもいい。俺はこの店で食事をしたいだけだ。これ以上、余計な騒ぎを起こすっていうんなら、今度商業ギルドに顔を出したとき、うっかりこのことを口に出してしまうかもしれないな」


「……いいでしょう。今日のところは貴方の顔を立てて引き下がります。ですが、貴方はきっと後悔することになる。この私に楯突くとどうなるのか。その身をもってわからせて差し上げましょう。貴方たち、引き上げますよ」


「へ、へい」



 そう言って、もう一度こちらに一瞥をくれると、悪漢たちと共に大人しく引き上げていった。さて、なかなか面倒なことに首を突っ込んでしまったようだが、そういった意味ではすでに後悔しているかもしれない。シャッキーの言う通りになってしまったな。



「あ、あの、ありがとうございました。お陰で助かりました」


「娘を助けていただいて、ありがとうございます」


「気にするな。俺のためにやったことだ」



 実際のところはそうなのだ。困っている人を助けるなどという高尚な思いから、俺は首を突っ込んだわけではない。ただ純粋にこの店の料理を食べてみたかった、それだけなのである。そう、ただただそれだけなのである。



 まあ、困っている相手が美人であったこともその要因としてある。俺も一人の男であるからして、美人に対して男が抱く当たり前の感情は持ち合わせているのだ。



「とりあえず、この店のおすすめを持ってきてくれ」


「は、はい」



 俺が注文をすると、店主は自信なさげに頷き厨房へと去って行く。そうすると、おのずと女性と二人きりという気まずい状況が生み出されるのは必然であり、なにか話さなければならないような気がして、俺は口を開こうとした。



「あのっ、聞いてもらってもいいですか?」


「さっきの連中のことか」


「はい、実は……」



 どうやら気まずいと思っていたのは彼女も同じだったらしく、聞いてもいない身の上話をし始めた。彼女の話によると、店の経営が傾きはじめた頃、シャッキーが援助を申し出て彼から借金をした。返済の期日が近づくにつれ、ガラの悪い男たちが現れ始め、借金が返せないのなら娘を差し出せと言ってきたという経緯だった。



 そして、今日とうとう強硬手段に出たところに運良く俺がやってきたということであった。



「借金はいくらなんだ?」


「百万ゼゼです」


「そりゃあ、大金だな」



 この世界での一般的な平民が一か月生活していくのに必要な金額は、おおよそだが五千から一万ゼゼだ。そのことを考えれば、百万ゼゼは生活費八年分以上に相当する額になる。



 元日本人の感覚で言えば、一か月の生活費を二十万とするなら、二千万以上の借金を背負ったことになる。そう考えれば、百万ゼゼってやばくね?



「なんとか頑張って利息分を返している状態なんですけど、お店はこんな状態ですし、今の私たちではもう利息分すら払えなくて……。もう、私が娼婦として働くしか」


「それはやめておいた方がいい」



 そういった職業について詳しいわけではないが、あんな強引な手段で人を連れ去ろうとする連中がまともな店を経営しているはずはない。いいようにこき使われて、働けなくなったらそのまま見捨てられるのがオチだ。最悪の場合、用済みとばかりに殺される可能性だってある。



 そればかりか、真面目に働いたところでまともな給金がもらえるかどうかもわからない。ああいった連中は、末端の人間に正当な報酬を渡すかどうかも怪しい。



 元の地球でさえブラック企業と呼ばれる会社があり、まともに給料を支払わない、残業代を出さないくせに時間外労働を強要してくるなどという会社が存在していた。



 ましてやこの世界は中世ヨーロッパ程度の文明しかない。人の命が軽く、人がすぐに死んでしまう世界なのである。そんな世界でブラック企業と呼ばれる営業形態が当たり前に横行し、使えなくなったら無情に切り捨てるなどこちらの世界の人間にとっては当たり前のことだろう。



「でも、私にはもう体を差し出すくらいしか」


「言い方は悪いが、娼婦としての商品価値があるうちはいい。だが、もし価値がなくなれば、奴らは躊躇うことなくあんたを切り捨てるだろう。場合によっちゃ、口封じに殺されることだってある。女として、人としての尊厳を踏みにじられた挙句、価値がなくなればお払い箱。奴らはそんな連中だ。それにまともに給料が支払われるかどうかも怪しい。借金と帳消しなどと言っておきながら、タダ働きさせられる可能性だってある」


「……もうどうしたらいいかわからないんです」


「お待たせしました」



 そう言って、手で顔を覆い彼女が泣いている。そのタイミングで、ちょうど料理ができたらしく、店主が現れた。

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