第36話  花の貴公子ではいられない!(2)


 まず、弾正小弼だんじょうのしょうすけ・大江匡衡まさひらが何者かに襲われ、左手の指を切り落とされた件についてだが、この当時、匡衡は弾正台だんじょうだいという、検非違使とは別に、左大臣以下の貴族でも問題行動があれば摘発できる、監察部のような処に所属していた。

 だが、それ以前には右衛門尉として使をしていたことがある。


 実は、その頃の人間関係が絡んでいるかもしれない。


 そしてまた、この日のことを、当時、重職である蔵人頭くろうどのとうを務めていた藤原実資さねすけは、その日記である 『小右記しょうゆうき』 の中で、


『 匡衡、……敵の為にきずこうむる 』


 と書いている。


 この記述からも、ただの強盗に会ったわけではない。……と思えるのだ。


 こちらの方は、捜査はされたが、暫く、大きな動きがなかった。


 だが一方で、下総守しもうさのかみ・藤原季孝すえたかが何者かに顔を切りつけられる事件に関しては、すぐに進展があった。


 何と言っても、左大臣の開いた新年会での事件である。


 朝廷としても、看過することができなかったのだろう。


 

 とにかく、この事件のあった翌日には、犯人不明のままで朝廷から諸国に、『正式に犯人を捜して捕えよ! 』との"追捕ついぶ官符かんぷ"が下された。


 やがて三月二十日頃になって、藤原季孝を傷つけた犯人が藤原斉明ともあきら(保輔の兄弟の一人)のと判明する。


 言っておくが、あくまでも従者がことにはなっているが、世間的には簡単には許されなかったようだ。


 いよいよ、検非違使庁の別当・源重光が花山天皇に上奏し、検非違使右衛門尉・源忠良と、同じく左衛門志・錦文安(錦部文保のことか?)が犯人を逮捕する為に斉明の処へ赴くこととなった。


 彼らは 『……斉明が従者二名を差し出さない場合には、斉明も逮捕せよ』 と命を受けている。


 だが、肝心の斉明は、摂津国せっつのくにに行ってしまっていることが判明した。



 そして、来る三月二十七日、雨が激しく降る日のことだ。


 早速、源忠良と錦文安が戻って来たので報告がなされた。


 二人は摂津国にも向かったが、もう既に斉明は摂津にはおらず、海上へ逃げていたことを告げる。


 また逃げ遅れたから、


が大江匡衡を傷つけ、藤原季孝を襲ったのはだ 』


 とのを得た。……と報告したのである。


 そこで保輔が隠れていると思われる・藤原致忠むねただの邸に検非違使達を向かわせた。すると、やはり保輔も見つけられなかった。



 そして、致忠は、


『 保輔は今朝、宿願願い事があって長谷寺はせでらに旅立ちました。近いうちに帰って来ます 』


 そう答える。


 そこで期日を決めて、致忠には、その日までに保輔を出頭させるという申文もうしぶみを書かせた。


 申文とは、本来、公家や官人が天皇および太政官だじょうかん (現代風に言うなら大臣クラス) に対して提出する上申文書のような物だが、この場合は、致忠の言質を取る為に一筆書かせたのだろう。


 しかし、当然のことながら保輔は期日になっても現れなかった。


 そして、そのまま消息を絶ったのである。



 一方、摂津国より海に逃げた斉明だが、海路にもの効力が発揮されたのか、逃げきれずに苦戦していたようだ。


 四月十一日、この日は雷雨の日だったようである。


『 右衛門尉・源忠良、左衛門府生・錦部文保、右衛門府生・(安倍)茂兼 等、を追捕して、多くの疵を被った 』 という話が伝わり、早速、この話が奏上され、褒賞として疋絹ひけん(絹の反物)が贈られることになったのである。


 と、記されている。


 この記載だけ見ると、検非違使達は追捕のために、結構、遠くまで出張していたようだ。


 もちろん、この件は官符も出ているので、地方の国司や役人達の力も借りて探索したのだろうが、都の治安も放っておくわけにはいかない。そこでこの間の使庁は超忙しかったのではないかと思われる。



 やがて、この件は呆気なく幕が閉じられた。


 四月二十二日


いう者が、近江国おうみのくにに於いて、左兵衛尉・藤原斉明を射て、その首を執った』


 という報告がもたらされたからだ。


 では、惟文王とはどんな人物だったのか? 近江の地元の豪族なのか、どのような立場の人物なのか、……残念ながら全く伝わっていない。


 唯一つ考えられることは、当時から地方勢力も巻き込んだが行われていたのではないかということぐらいだ。



 まさに、検非違使の使われどころの皆さん!


 出張、お疲れ様でした。……という感じである。


 とにかく、この日を境に、斉明に関する記述は全く見つからない。




 では、この間に忠明は何をしていたのか?


 ちゃんと都でをしていた。


 いくら南家の若者達が地方に逃れようが、都から犯罪が無くなるわけではない。


 忠明は忠明なりに、看督長として都の仕事をコツコツとこなしていた。



看督様は、話がようわかる方じゃ」



 誰が言ったかわからないが、放免やら現場で働く下々の者からは何となく慕われている。


 また、清水の橋殿から飛び降りたことは、忠明にとっては、ちょっとしただが、危険な仕事を任される下働きの者達には、


 『"強運の男"と働ける! 』


 きっと、ヤバイ仕事もから無事生還できるに違いない!


 ……と尊ばれているのだった。


 そこで、今では敏腕現場監督のような立場で、検非違使の上役達からも一目置かれている。



 こんな感じで、何だか真面目で人が良い忠明は、問題を起こして社会的に追い詰められていく南家の御曹司おんぞうし・保輔のことを実は心配していた。


 ……本当は、御曹司は巻き込まれただけではないのか?


 ……あの取巻き達が暴走し、御曹司も抜き差しならぬことになっているのでは?


 と、変な話だが、の心配をしている。



「……宿願があって長谷寺に旅立ちました」



 だが致忠の言ったその言葉に、ちょっと安心した。


 ……ところで"宿願"とは何だろう?


 ……自分と違って、あれ程、恵まれた立場に生まれておるのに!



 保輔は旅立ってから、暫くしてが、忠明はそのおかげで安堵できたのである。








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