第35話  花の貴公子ではいられない!(1)

 いつの時代にも、奴らは存在する。


 それは下賎の者でも、身分の高い者でも同じだ。


 平安時代には、所謂、と呼ばれる身分の高い人々の中にも、犯罪に手を染めた者達がいた。



 忠明が、今まさに生きている時代より二十年程さかのぼる頃の話だ。


 天徳てんとく四年五月、村上天皇の時代に、武官として優秀だった"源満仲みなもとのみつなか"の邸に賊が入った。


 もしも武官の家に盗賊が入ったとすれば、よく考えると相当ヤバイ事である。返り討ちにされる危険もあるからだ。


 だが、満仲の屋敷に賊が入ったのは、この一度だけではなく、この後に十年程経った頃にも、左京一条にあった邸宅を武装した集団に襲撃され、放火までされている。


 ここまでくると、本当にその者達が"盗賊"だったのか、それとも何か別の目的があって満仲の家を襲う必要があったのか? ……と、疑わしくなるのだが。


 とにかく、天徳四年のこの事件に関しては、が弓で射られ捕らえられた。


 そこで、捜査の結果、が首謀者であることが分かったのである。


(厳密に言うと、村上天皇の父である醍醐天皇の第六皇子の三番目の息子ということである。……どんだけ、親戚がいるのやら! )


 また、その外にも、宮内丞くないのじょうや、土佐守とさのかみの息子(彼も天皇家の曾孫の世代の人らしい)まで、一枚噛んでいるのが発覚した。



 歴史の表舞台では語られないが、名家に生まれたはずなのに道から外れ、このような暴挙に走ったらの話が伝わっているのだ。


 生まれた子供達が、立派に成人まで育つ割合が低かったこの時代、当然、保険代わりにが生み出されていたわけだが、如何せん、彼らを活かす為に必要な仕事も官位もどんどん不足していく。また兄弟が多いと、財産もそれだけ減っていくのだ。


 そこで行き場がないが始まったのではなかろうか。




 だが、逆のパターンもあったかもしれない。


 それは御曹司が尊過とうとすぎて、が暴走したパターンである。


 そんなことも、実は皆無ではなかったのでは?


 当時の社会は、勿論、土地に根差し農業をしている人々によって支えられていた。それは間違いないことに思える。それでも都のような都会は、朝廷に仕える貴族と、それを支える従者や家人のような労働者と、そしてその家族らによって構成されていた。


 そこで貴族と、それに連なる人々の関係はそれだけ密接だったのではなかろうか。


 そんな人達の中には、主の人間関係に影響を受ける者もいたようだ。


 例えば祭りの見物の際に、牛車ぎっしゃの場所取りで牛飼童うしかいのわらわ(牛車の運転手)同士が喧嘩になり、……酷い時には、自分のあるじの身分が上だと、相手の牛車に乗っている貴族達を引きずり降した話まである。


 また、主が大物貴族の宴会に参加している折に、帰りを待っている者同士が、普段から仲の良くない主人の家人で、いつの間かを始めてしまうとか、何かと事件が起こる火種が転がっていたようだ。


 下の者が暴れると、イヤでも主人がそれを焚きつけたような噂が流れる。そしてそれが本当のことのように"独り歩き"を始めるのだ。


 そうなってしまうと、はっきりとした否定ができず、だんだん既成事実のようになっていく、そこが、噂しか媒体がなかった情報社会の問題点である。


 そして、こんなちょっとしたから、名門貴族である藤原南家の不幸は、連なっていったのではないだろうか。




 話はまた、忠明達の時代に戻るが、


 永観えいかん二年(984年)の秋、円融天皇が譲位し、いよいよ花山かざん天皇の時代が始まった。


 天皇といっても、まだ十代半ばのお年頃である。


 父は、体が弱くて早く退位した冷泉院れいぜいいんで、母はというと今は亡き藤原伊尹これただの娘、天皇にはなったが、後ろで支えてくれる有力な身内がいない。そこで、初めから既に、ちょっとしたがあったかもしれない。


 そして、この天皇が即位した頃から、徐々に朝廷内での力関係をめぐって、いろいろな事件が起こり始める。



 年が明けて、寛和かんわ元年(985年)正月六日の夜のことだ。


 大内裏上東門だいだいりいじょうとうもんの東にあたる西大路土御門にしおうじつちみかど付近で、弾正小弼だんじょうのしょうすけ大江匡衡おおえのまささひらが何者かに襲われ、左手の指を切り落とされる事件があった。

 

 また、同年の正月二十日の話だ。

 土御門左大臣・源雅信みなもとのまさのぶ大饗 だいきょう(まぁ、簡単に言えば大臣主催の大新年会なのだが)の帰りに、中門の内にて下総守しもうさのかみ・藤原季孝すえたかが何者かに顔を切りつけられる事件があった。


 やがて、この二つの事件は、宴会で揉めた者達の暴挙としてはあまりに甚だしいため、朝廷を挙げてのが行われることになったのである。


そしてそのことが、藤原南家の若者達を追い詰めることになったのだ。


 

 

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