第34話 若者は平安時代も鴨川が好き!?



 健児こんでいとは、本来、国府や関所などの警固の為に集められた郡司ぐんじ(国司の下で地方の郡の行政を行った地方官)等のが成る兵士のことだが、もっとには"武勇者"のような意味でも使われていたようだ。


 何だか改めて"健児"などと呼ばれると、……ちょっと恥ずかしい。


 それでも、川遊びに興じている集団の中で、一番身分が高そうに見える人物に声を掛けらたのだ。無碍むげにはできなかった。



 どうやらとその御一行は、河原で酒宴がてら"野相撲"を楽しんでいるようだ。


 いかにものような、貴い身分に見えるのは一人だけで、他は家人か従者のような立場の者達だろう。誰もが丈夫そうな体つきの者ばかりである。


 ……つまり、理明と同じような立場の輩が集まっているように見えた。



「そちは、なかなか聳えておるな! ……もしや、相撲人か? ならば相撲を取って見せよ、勝てば祝儀などやろうぞ」


 と、意外にも君自らが気軽に話し掛けてきた。


 多分に酔っているせいもあるかもしれないが、見かけによらず、随分と気さくな御曹司である。


 それでいてたたずまいや話し方には、ただならぬ気品が感じられるようで不思議だった。


「されど儂は田舎人にて、つたなわざをお見せするのは、端たなき恥ずかしいことと……」


 頭を垂れて、かしこまった。


 都に来てすぐ、で衛門府の上役の話を聞かされたことはあったが、これ程間近で貴人から言葉を賜ったことはないのだ。……無茶苦茶、緊張している。


「フフフ、……よいよい! ならばひなならではの趣向こころばえを見せよ」


 なかなか男前なことを言う。


 そんな嬉しいことを言ってくれるので、ついつい理明のスイッチが入ってしまった。


「では、儂の郷の野相撲をお見せいたしましょうぞ! 」



 調子づいた理明は、早速、御曹司の取り巻きに声を掛けると指揮し始めた。


 まずはの安全確保が第一である。


 そこで若い衆を使って石拾いをさせた。


 大の男達が、聳えるような男と共にチマチマと石拾いに精を出すのだ。結構、ユーモラスな光景だが、本人達は至って真剣である。



 ちなみに、この時代にははなかった。


 土俵が用いられるようになったのは、天正てんしょう時代(織田信長達が活躍した頃)ぐらいからではないか、と言われている。


 土俵のような境界線がなかった時代には、相手を投げたり、突き飛ばしたりして、手か膝を付かせるしか勝負の決め手がなかった為、危険度が高く、決着も早く着きにくかった。 


 そこで、とにかく節会までには、まだ間があるこの時期に、こんな所で怪我などしては


 ……そんな思いが若者達にも伝わったのか、皆が徐々に"安全に相撲をやる石を真面目に拾う"モードに入っていったようだ。



 そして、いよいよ準備ができ立ち合うこととなる。


 理明の相手には、三人の若者が選ばれた。いずれもイイ感じに体を鍛えた強者ぞろいだ。彼らの他にも若者はいるが、どちらかというと、人数集めで参加させられている雰囲気だった。


 もちろん、この三人は御曹司の人選である。


 理明は思った。

『簡単には負けるまい! そして次にのだ!! 』



 一人目の男は、理明ほどではないが背が高かった。


 長身の相撲人にありがちなことだが、重心が高い分、バランスが悪かったりする。そして残念ながら、この男もそれ程良くはなかった。


 上手くタイミングを見計らうと、相手の足の低い部分に足を掛け、きれいに倒す。見事に外掛けが決まった。


 実を言うと、外掛けは理明の得意技なのだ。



 二人目の男は、少し背が低くズングリしていた。


 このタイプの相手は要注意である。体が小さい分、足技が掛りにくい。しかも重心が低いので、粘り強い相撲が取れるからだ。


 案の定、男は懐に入って来ると、理明の左足に内側から足を掛けて来た。今度の相手は内掛けを使うようだ。


 確かに見事な足技に、一瞬、体勢が崩されそうになった。


 ……が、決して崩れない。


 理明は体格が大きいだけではなく、体も柔らかくバランスが良いのだ。上半身のバネを上手く使うと、体の向きを変えて見事に投げた。


 すると男が土の上に転がり、恨めしそうに理明を見上げる。


 これには、見物の若者達から歓声が上がった。



 そして三人目、……さすがに体力的にきつい。


 自分でもかなり息が上がっているのが判る。


『……できることなら、もう負けてもいいから帰りたい』


 恥ずかしい話だか、そんな考えすら脳裏を横切った。


 すると、一人の小柄な若者が水の入った器を差し出す。


「おう、……かたじけない」


 そう言うと、理明は水をゴクリと飲み干した。


 やっと一息ついたところで、再開である。



 たが、予期せぬ事態が起こった。


 御曹司が急に手を挙げたかと思うと、三人目の対戦相手が準備体勢に入るのを制止したからだ。


 一同は、 『 何事が起ったのか? 』 と、どよめいた。


「そちは、なかなかのつわものじゃな! ……次は儂と取らぬか、大剛者超強い者さがしておったのじゃ」


 随分、思い切ったことを言う貴人だ。


 これは理明にとって、一生を通しても有り得ない記念的な申し出である。思わず心が跳ね上がった。


「お申し出は勿体無もったいなきことなれど、我はいやしき身なれば、……」


 だが、本当の思いとは裏腹な言葉が口から出てしまう。


『仕方がない。ここは都なのだ。


 ……止事無き人の前では、分を弁えねばなるまい』


 そんな考えが脳裏を過ぎった。


「よい、よい、……我とて然詐りそれほどの者ではない。案ずるな! 」


 と、御曹司が気軽に返してきたので、むしろ驚いてしまった。



 そこで理明と御曹司は、とうとう本格的に勝負することになったのである。


 そして今、まさに睨み合いをしながら、闘いの呼吸を合わせようとしていた。


 御曹司は、確かに他の若者達に比べると色白かもしれない。だが、それでもバランス良く筋肉がついており、普段から鍛錬しているのではないかと思われた。


 細いながらもマッチョで、男の理明から見ても素敵である。


 ……とはいえ、もちろん理明は女性の方が好きなのだが。


 理明は緊張のあまり堅くなっていた。このままでは、良い勝負などできそうにもない。だんだん不安になってきた。


「おぅ、おおぅ! 」


 そこで気合を入れる為に、思わず大声を上げる。


 すると、驚いて周りの若者達がどよめいたが、


「いやぁ、おおぅ! 」


 今度は、御曹司も負けずに声を張り上げた。


 そして次の瞬間、と鈍い音がすると、二人は見事に組み合ったのである。


 御曹司は、理明ほどではないが背が高い方だ。そして動きも俊敏だった。


 正直なところ、都の貴人など若くてもしているイメージしかなかったので新鮮である。


 その上、この若者は積極的に足技を狙ってくるのだ。


 そこで、理明は防戦一方になり、なかなかチャンスを掴めないでいる。今は必死にバランスを取りながら、相手の力が弱まるのを待っている状態だ。


 とうとう、なかなか勝敗が決まらないまま両者とも息が切れ始めた。


 ……汗と砂にまみれ、二人共まだ組み合っている。


 だが次の瞬間、理明が思い切って足技を仕掛けた。だが、絶妙に体を回転させた御曹司に結局倒されてしまった。


 思わず、あっけに取られる。


『 勝ってはいけない!


 ……もしかして、一瞬、自分の中でそんな忖度そんたくが働いたのだろうか? 』


 と、考えてみたが、そんなことは全くなかった。



 ドッと、若者達から歓声が上がる。


 見事な完敗ではあったが、実力を出し切った理明の心は爽やかだった。



 その後、勝負に負けた罰として、酒を散々飲まされることになったが、これもまた、今となっては懐かしい思い出である。



 やがて夕暮れ近くなり、空の色が黄色く色づいた。


 そして、ポツリ、ポツリ、……と、大粒の雨が勢いよく降り出す。


 夕立が降り始めたのだ。


 すると、御曹司とその取り巻き達は、あっという間に帰ってしまった。


 そして、いつの間にか理明は一人になっていたのである。


 まるで、夢を見ているような一日であった。




前兵衛尉さきのひょうえのじょう様というと、あの時の御曹司のはずだ。確かに武張ぶばったことが好きそうだったが、わしには良い御仁にしか見えなかったが? 』



 巷では、藤原南家の子息・藤原保輔に関するが囁かれているが、にとっては、あの日の爽やかな御曹司のイメージのままなのである。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る