第31話  南家大暴走(1)

 定信邸での事件の後、暫く経った。


 着鈦政ちゃくだのまつりごとも無事に終わり、平安京は暑い夏を迎える。



 時の権力者・藤原兼家かねいえの住まいである"東三条邸"の近くに、一軒の屋敷があった。


 その建物は、長い年月を経ているからか、一見、古めかしく見えるが、土塀などもきっちりと整備されており、庭もちゃんと手入れされ小奇麗である。


 何となく、住んでいる人間のセンスの良さを感じさせる、そんな立派な屋敷であった。


 実は、この屋敷の周辺は御所にも近いので高級住宅街なのだ。


 そこで、昔から身分の高い公卿の家が立ち並んでいる。


 そして、古くからここにあるは、物売ものうりの間で"羽振はぶりの良い家"だと、いつの間にか噂されるようになっていた。


 確かに、物売が訪ねると、意外と簡単に聞いてくれるからだ。


 それに、門から余り離れていない部屋には、遠目でも分かるように、皮行李かわごうり(当時、衣類等を入れるのに使った革製の収納箱)が積まれているのが見え、金回りが良さそうだったからだ。



 ある日のことである。


 一人の初老の物売が、この屋敷を訪れた。


 男がこの屋敷に来たのは、初めてではなく二回目である。


 初めての時は、まずは様子を見ようと、手持ちの絹を出し適当に高い値を言ってみた。


 『まぁ、……今日は売れなくても、仕方ないだろう』


 そう思って、家人の反応を見ていると、


「そちの売物は、絹や布だけか? 当家は、武具ならうてやるかもしれんが」


 と、断られた。



 そこで、今度は太刀を仕入れ、何振りか持って来ている。


 男も物売としてはベテランなので、


 『……まぁ、そう簡単に商談など進むものではない』


 と、今日も覚悟していた。どちらかというと、相手の趣向や懐具合ふところぐあいを探るのが目的だったのである。


 だが、不思議なことに、二回目にして商談がスイスイ進んだ。


 確かに 『武具ならば、買うかもしれぬ』 とは言っていたが、さほど高級な物を持って来たわけでもないのに、"言い値"で買ってくれるという話になった。


 それでも男は、これからも贔屓ひいきにしてもらう為に、控え目な値を付けたつもりだったが。


 そして、いよいよ代金が支払われることになった時のことだが、物売は品物を持ったまま、わざわざ屋敷の奥にある"倉"の方へ行くように言われ、一人のに案内されることになった。 


 はて、に直接行くのか?


 男の頭に、一瞬、疑問が過ぎった。


 『まぁ、品物を納めるのなら、……こういう事もあるのだろうか? 』

 などと思いながら従いて行くが、何となく不穏な気配を感じる。


 倉へと案内している男は見るからに屈強そうで、ただの下働きには見えない。


 そこで長年の勘からか、物売は油断しないように身を固くすると、男から少し離れて歩いた。


 やがて倉の前で、ピタリと歩みが止んだ。


「もう、よいぞ! 金をやる」


 その言葉と同時に、男は振り向きざまに太刀を抜くと、物売に振り下ろした。


 ギャッ! ……と、甲高い声を発し、ドサリと人が倒れる。


 物売は、そのまま殺されてしまったのだ。


 すると、家人は何事も無かったように死人の足首を掴むと、それを引き摺りながら運び、倉の中に掘られている穴に向かって放り投げた。


 折しも夏である。倉の中からは酷い臭いが溢れ出す。


「もう、この穴では間に合わんな、……どれ、もう一つ掘らせるか! 」


 そう言うと、家人は鼻を抑えながら倉の外に出て行った。


 どうやら、倉の中には穴が掘られていて、物売が来ると、その持参した品物が品物だけを取り上げ、代金の支払いの代わりに、殺して穴に突き落としていたようである。



 この屋敷の主は、兵衛尉ひょうえのじょうで五位に叙せられた"藤原保輔ふじわらやすすけ"である。


 藤原南家の歴とした御曹司おんぞうしなのだ。


 とにかく、邸の主人は知っているのか知らないのかは別として、……とんでもないことが起こりかけていたのである。


 

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