第30話  聳子と聳丸(2)

 若竹丸の馬は勢いよく走った。

 今までにない非常事態に気が焦ったせいか、いつもでは考えられないほど飛ばしている。

 鞍が古くて草臥くたびれているので、ハッキリ言って、振り落とされないか怖いぐらいだ。

 そこで、思いっきり低姿勢になると、馬の背にしがみついていた。


 すると運良く、忠明が馬でこちらにやって来るのが見えた。従者として使庁の者も連れている。


 どうやら、仕事を早めに済ますことができたので、迎えを待たずに、こちらに来る途中だったようだ。


 今度は、必死に馬を落ち着かせ減速する。後にも先にも、これほど気を使ったことはなかった。

 それでもやっと馬から下りると、若竹丸は早速、事情を話し、今度は忠明達と共に定信邸へと向かうこととなったのである。



 一方、定信邸では、五百女がまだ、人質に取られたままでいた。


 そこで、料理をする中年の女が、簡単な肴と酒を出して時間稼ぎをしている。


 五百女は完全に御簾の中から引き出され、庇の床に座らされていた。


 そして、その横には男が、しっかりと太刀の切っ先を五百女の方に向けたまま、両足を組んで座っている。


 いつもなら御簾の中に隠れている女主人の姿があらわになっているので、使用人達は心配しながらも、姫の姿を珍しそうにチラ見していた。


 だが、こんなことは貴族の姫君には屈辱的だ。


 最後の抵抗かのように、五百女は衣の袖で口を隠していた。


 しかも長い間、引き籠っていたせいで、姫君なのに化粧もせず、眉も整えず、着物も薄い色の綿の衣を数枚重ねているだけなので、何となくカジュアル過ぎて"姫様感"がないのだ。


「フフフ、……さかん様の姫君じゃとて、物気たいしたこと無いではないか」


 賊は偉そうに言うと、片手で太刀を持ったまま杯を飲み干した。


 五百女は顔を伏せて沈黙している。


 だが、やがて男はジリジリと、五百女との距離を縮めると、やんわりと後ろから抱きつこうとした。


 それをまた、まるでのように、使用人達はハラハラしながら見ているのである。


「ま、……待たれよ! 」


 初老の男が叫んだ。


「本日は、良き魚があるのじゃ、どうじゃ? 美味であるぞ、……すぐに馳走するので、暫し、……暫し待たれよ! 」


 もう、必死である。


「おう、……ならばはやく持って参れ! 」


 どうやら、忠明の為に用意された御馳走は、賊の腹の中に消えてしまいそうだ。


 そんな風に、賊の機嫌を取りながら、暫く時間を稼いでいたが、そう長くはもたない。


 やがて酔いとともに、男は五百女の体を引き寄せた。そして掴んでいる太刀を逆手に持ちかえると、後ろから抱きかかえるようにして脇腹に刃を突き付ける。


「如何じゃ、姫君、…… これも何かの縁じゃ! わしのにならんか? 」


 などと、ふざけたことを言い出した。


「フフフ、……それはありがたいことじゃな」


 そう言うと、五百女は太刀を掴んでいる男の手に、と自分の手を重ねる。


 すると、男の方がドギマギし始めるから不思議だ。


 だが次の瞬間、五百女は凄い力で男の手首を握り、太刀ごと床に押し付けた。


「うぐぐ、……イテテテ! 」


 男が苦しそうに悲鳴をあげる。


「何じゃ? 姫君ではのうて、のようなやつじゃ」


 その言葉にカチンときたのか、五百女の力が一層増した。




 忠明達が定信邸に辿り着いたのは、丁度、賊と五百女の攻防が始まった時である。


 すぐに事情を察した忠明は、早速、使庁から連れて来た従者に弓を用意させた。いざという時に、離れた所から賊を射させる為である。


 だが実際、射るには五百女と賊の距離が近すぎた。


「おい、……そちはと何をしておる? 」


 仕方がないので、忠明が声を掛ける。


 すると、二人の動きがピタリと止まり、鳩が豆鉄砲を喰ったような顔をした。


 男の手には、もう太刀はなかったが、逃げようとした時に後ろから羽交はがめにあい、五百女は動けなくなっている。


 どうやら、そのせいで周りの変化に気付いてなかったようだ。


「いやぁ、……そやつが姫君のはずがなかろう! 」


 忠明は、わざとゲラゲラと笑って見せた。


 ちょっと義姉には失礼かもしれないが、を使うことにする。


「はぁ? ……御簾の中に居られたのじゃ、姫君であろうが! 」


 男は怒りながら、突然現れた柔和な表情の若者に言い返す。


「イヤ、イヤ、イヤ、……よう見てみよ! 化粧などしておらんであろう」


「……? 」


 キリッとした太い眉に、ちょっと気の強そうな彫の深い顔立ちが、忠明の目には新鮮に映った。


 確かに"眉の手入れ"も"お歯黒はぐろ"もしてないが、それが逆に健康的に見え、五百女は現代では美人の部類に入るかもしれない。


 図らずしも、こんな形で忠明は義理姉様の顔をじっくりと拝むことになったのである。


 すると、忠明の言葉に何となくのか、男はせっかく羽交い絞めにしていた腕を解いて、五百女の顔を覗き込んだ。


「ほう、なるほど強気つよげつらをしておる」


 妙に納得している。


「しかも、この女、……そびゆるようじゃ! 」


 羽交い絞めにしていた時には気付かなかったが、男と並ぶと、五百女の背丈はさほど変わらなかった。


 だが、その不躾な言葉が新たな展開を生んだ。


「……聳ゆる! とは何ぞ? 」


 ガチリと鈍い音がする。


 五百女が、渾身の力で男の額にを喰らわしたのだ。


「ギャッ! 」 と悲鳴が聞こえた。


 それと同時に男が額を抱えたまま、無防備にしゃがみこむ。


 そこで、その瞬間を逃すことなく、忠明は男に駆け寄り、素早く捻じ伏せた。


 そして従者がそれに縄を打ち、やっとこの事件は終わったのである。



「姉上様、御無事であられますか? 」


 恐る恐る、忠明は五百女に声を掛けた。


「イ、……痛い」


 五百女は、まだ痛そうに袖で額を隠していたが、改めて忠明の顔を見上げる。


 忠明と五百女にとっては、これが御簾なしでの初顔合わせであった。


 よく見ると、五百女は真剣ガチに泣いている。


 よほど怖かったのか、目を真っ赤にして、肩を震わせていた。


「いや、いや、……真に見事な御働おはたらきでしたぞ! ……姉上は、さすがにの姫君じゃ」


 そう言いながら、忠明は五百女を落着かせるために肩をポンポン敲く。


「うっ、……喧しややかましい! 」


 パチン、……五百女は、恥ずかしさと悔しさから、忠明にビンタをくらわせてしまった。


 女性からのビンタなど、忠明的にはメモリアルなことである。しかも、手首のスナップが利いているせいか地味に痛い。


 だが、この偶然の産物のようなスキンシップのおかげで、忠明は一気に、五百女との距離が縮まったような気がした。


 そこで、ニヤリと笑う。


「姉上! ……漸くやっと、我の歌が捻出ひねりだせました故、持参しましたぞ」


 そう言うと、五百女もあきれて笑い出した。



 山吹は易きに咲かじ


 歌詠めと 勧める君と


 見なましものを



 忠明の文には、この歌と共に、しおれてはいたが一輪の山吹の花が添えられていた。


 それ以来、やっと認めてもらえたのか、五百女と御簾なしで会えるようになったのである。


 だが、忠明にとっては、弟にしてもらったというより、"舎弟しゃてい"になったような気分であった。



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