第25話  御簾越しの攻防戦(1)

 季節はすっかり春になった。


 今年もまた見事に桜が咲き、そして散っていく。


 万葉の時代ならば、花と言えば梅であるが、平安時代ともなると、山に本来自生している"山桜"を愛でるようになる。


  異国から持ち込まれた梅に比べて、桜の方が身近な存在だったからか、それとも、桜の方が華やかなのに、はかなく移ろいやすいところが人々の情緒に合ったせいか、和歌でも多く取り上げられるようになった。


 そして、当時から有名な桜所と言うと、清水寺に隣接する"地主神社じしゅじんじゃ"がそうである。


 この神社は、今も"縁結び"の神様として人気だが、平安の御代には嵯峨さが天皇や、この物語の時の帝である円融えんゆう天皇も、花見の為に行幸ぎょうこうしている。


 また、花の季節は、上級貴族達の遊興の時節でもあるのだ。そこで、忠明の仕事は、本来の仕事以外でも忙しくなった。


 なぜなら、酒宴の警固や、従者として駆り出されることが増えるからだ。


 特に参議さんぎクラスの酒宴ともなると、忠明のように"見栄えはする"が、さほど身分の高くない武官も従者として重宝される。


 ちなみに参議とは、朝廷の重要な決め事を話し合う為に選ばれていた貴族達のことで、主に上級貴族の家の者が選ばれた。


 だが、酒宴とは聞こえがいいが、実は警固を任されると、まで勤務する上に、酔っ払いの面倒を見るはめになったりと、心身共に疲れ、生活のリズムまで崩してしまうのだ。


『あぁ、……他人の飲み会なんかに付き合いたくない! 』


 これが、本音である。


 だが断わろうにも、いろいろなしがらみがあって断れないのだ。


『……もう、思い切って仕事を休んでやろうか! 』


 などと思っても、下っ端の立場ではなかなか都合がつかなかった。そこで、


『……いっそ、"穢れ"にでも引っ掛かって、合法的に"物忌み"したい! 』


 とまで思ってしまう。


 と言っても、この概念を簡単に言い表すことは難しい。それでも敢えて言うなら、人に限らず家畜なども含めて、死や出産に際して起こるが不浄なものとされている。



「なぁ、じじよ! ……せわしいのう。たまにゆるまんと、たるうて為方無いしかたない

 ……屋敷の前で、犬でも死なんかのう? 」


 そんな悪趣味な冗談を言った。


 確かに、動物の死に遭遇した場合も、穢れることにはなるのだが、


「はぁ? 何を申されるかと思えば、……穢れで物忌みでもなさるおつもりか? このような堅固な方が、何とを、……その様な浅ましい馬鹿げたことを申されるなら、宴でかと務めて、美味い土産いうづとでも持ち帰り下さいませ! 」


 と、完全に磐翁に叱られてしまった。


 まぁ確かに、たまに料理のを頂いたりすることもあるが、それでも、家に帰ってゆっくり休みたいのが本音なのだ。



 だが、そんなこんなで"花を愛でるシーズン"も終わると、忠明の仕事にも、やっと余裕が出てきた。



 そして、そんなある日のことである。


 忠明は、義父になった定信の家へ、夕餉ゆうげを馳走になりに出かけた。


 実を言うと、都の美努家と縁付くことが決まってからは、もう何度も定信の家を訪ねている。


 定信が、新しくできた家族に忠明が早く馴染めるよう にと、

『……暇ならいつでも遊びに来い! 』と誘ってくれていたからだ。


 そこで、暇になった時には、定信邸へ積極的に出かけて行く。もちろん、磐翁が手に入れた食材等を、手土産に持参するのだが。



 その日の土産は、磐翁が川で獲って来た魚であった。


 都は、もう新緑の季節を迎えており、山々の木々は輝いて見える。


 もう少し経ったら、皆が稲作に追われ厄介事も減るに違いない。そうなれば、もっと楽になるだろう。……そんな、淡い期待を胸に抱きながら、忠明は都の中心から離れた静かな場所にある定信邸の門前で馬を降りた。


 ちなみに従者は、若竹丸が一人だけである。


 夜遅くはなるが、それでも定信の家に行くと、若竹丸と年の近い使用人がいる。そこで、若竹丸もに楽しみにしているようだ。



 早速、夕餉の膳を囲むと、定信と忠明は使庁のことや、最近、洛中で起こった事件について簡単に話した。


 定信邸の食事は、贅沢なものではないが、丁寧に作られており、美しくて美味い。そこで、良い食材が手に入ると、なるべく定信邸の料理人の処に持参するようにしている。


 ……磐翁には悪いが、を楽しむ為だ。


 だが、残念なことに二人共、食事の間に酒は飲まない。


 なぜなら、食後に碁を打つからだ。


 定信は、のが本当に好きな人なのである。


 検非違使庁の仕事をしていた頃も、それを辞した今も、時折、囲碁仲間を求めて出かけるほど熱心なのだ。


 一方、忠明はというと、碁どころか双六すごろくさえまともに打ったことがなかった。


 いや、どちらかと言うと、その手の物に手を染めてはいけない。……そんな風にさえ思っていたぐらいだ。


 それに田舎育ちの忠明には、屋内のゲームに興じるより、野趣溢れる外遊びの方が楽しかったからである。


 それで、定信に碁打ちを誘われた時にも、


「いや、……田舎人にて、碁など打ったことはございません。お恥ずかしいことですが」


 と、正直に話してしまった。


 だが言ってしまってから、すぐに後悔する。


 よく考えてみると、せっかく趣味に誘ってくれた義父をガッカリさせてしまうからだ。


「では、教えるので習うがよかろう。何かに役立つやもしれん」


 定信も食い下がってきた。


 そこで、その一言を切掛きっかけに、忠明は碁を学ぶことになったのである。



 しかし、それは忠明にとっての始まりでもあった。


 第一、もともと体育会系なので、それほど"じっくり"と物事を考える習慣がない。その点からしても、既に苦痛である。


 それに、この白と黒の石を延々と並べる作業は単調過ぎて、……昼間の仕事で疲れ切った忠明の脳にアルファー波を引き起こすのだ。


 もちろん、こんなを身に付けたなら、止事無き人々に近付く切掛けになるのかもしれないが、その価値を付加しても退屈すぎる。


「ズズズ……、ズズズ……」


「これ、……看督殿、起きられよ」


「ズズズ……、ズズズ……」


 忠明は、いびきで返事をした。


「これ、……殿、起きよ! 」


「ふ、ふぁー! 」


 天火という呼び名に体が反応し、やっと目が覚める。


「ぐっ、ぐおっ、……おっと、申し訳ありません! 」


 思わず鼾を飲み込んだ。


「真に疲んでおるようじゃな」


 定信が苦笑している。


 その日以来、忠明は定信邸でも"天火殿"と呼ばれるようになった。



 まぁ、こんな調子で、いつまで経っても上達しない。そのせいだろうか、最近、忠明はあまり碁に誘われなくなった。


 定信も、経験上、使庁の仕事の大変さを知っているからだろう。疲れているのに無理強いすることはない。


 だが、後で家の者に聞いて分かったことだが、実のところ、定信は義息子と碁を打つのを楽しみにしていたそうで、その話を知ってから、何となく申し訳ない気がしていた。



 季節は進み、夏になったある夜のことである。


 盆近くになり、夜になっても暑い。そんな時節に、また手土産を持って忠明は定信を訪ねた。


 だがその日は、たまたま近くに住む知人の処へ碁を打ちに行き、定信の帰りが遅くなっていたのである。


 そこで、家の者が気を利かし、先に夕餉を取るようにと、母屋おもやのすぐ側のひさしに膳を用意してくれた。


 やっと夜になって涼しい風が流れ始めた頃のことだ。忠明は母屋の方から微かな明かりが漏れるのを感じた。

 もちろん、御簾越みすごしに見えたのではあるが。



 

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