第24話  雷ジングサン ― 新たなるステップへ ― (2)

 美努定信さだのぶは、とても上品な感じがする都の人だった。

 言われなければ、ついこの間まで検非違使のさかんとして勤め上げてきた人とは思えないほど穏やかに見える。

 おかげで、清水の一件で許しを請うこともなく、ただ馳走になるだけで済んだ。


「して、そなたは天火様てんかさまと呼ばれているそうじゃなぁ」


 そう言いながら酒杯を飲み干すと、定信が話の口火を切った。


「あっ、はぁ……」


 それ程飲んでもいないのに、忠明は緊張と恥ずかしさで顔が赤くなっている。


「儂は、……その、幼き頃に右兵衛佐うひょうえのすけ様(美怒忠包ただかね)の話を聞き及びまして、だと思うておりました。そこで、郷にいた頃、遊び仲間に自慢話ふきがたりをしたところ、そのように呼ばれるようになったのです」


「フハハ、……面白き話じゃな」


 図体はデカいのに、子供のように無邪気な顔で含羞はにかみながら話す忠明を見て、定信は思わず笑った。


「それで、天火様とは! ……忠包様も打ちかもしれんのう」


 天火とは、本来、落雷で起こる火災や、雷火などを表す言葉なのだ。よく考えてみると、変なあだなを付けられたものである。



「……何でも、そなたは雷様をも畏れぬ強者と聞き及んだが」


「いえ、そのようなことはありませぬ。ただ田舎の生まれにて、雷様に慣れておるだけでして、……よう、大野などで"隠遊びかくれんぼ" をしておりました」


「それは、また勇ましいことじゃな」


「我はこの様に聳えておりますので、よう見つけられるのです。そこで、土のくぼに隠れておりましたが、……ハハハ、昔、眠ってしもうたことがありまして」




 随分と間抜けな話かもしれないが、都童と違って、この青年が育った世界は野趣に溢れ、長閑のどかな所である。


 育ちのせいもあるだろうが、忠明はあまり身分の上下にこだわりなく、比較的に年が近い周辺の子供達と遊ぶのが常だった。


 もちろん都に比べて、田舎では野遊びが中心になる。


 忠明達は、川沿いの開けた草原にいつも出掛けていっては、魚を獲ったり、相撲をしたり、今で言う"かくれんぼ" 等をしてよく遊んだ。


 体格も良く元気な忠明は、遊びの輪の中でも中心的存在であったが、唯一、上手くいかないことがあった。それは、かくれんぼで直ぐに見つかることだ。


 いつもなら勢いのあるが、この時ばかりはシュンとする。


 そこで皆は面白がって、わざと草原で、かくれんぼを何度もした。


 それでも、忠明なりに作戦を練り、土を掘って窪に隠れたりと、色々試みていたが、ある日、あろうことか、窪の中でそのまま眠ってしまったのだ。



 どのぐらい眠っていただろうか?


 大きな雨粒が頬を打って気が付いた。


 ピチリ、ビチリ、……と、次第に雨音が激しくなる。


 遠くで雷の音が聞こえた。どうやら近づいてくるようだ。


 他の仲間は、どうも逃げ出したようで、忠明はいつの間にか独りぼっちになっていた。


 夏になると、ここはよく雨雲の通り道になる。


 そこで普段から、 『遊ぶなら雷様に気を付けろ! 』 と言われていたのに、本当に油断してしまった。


 それでも、今さら動き廻る方が良くないだろう。……そういうことは、本能的に理解している。そこで、動かずに様子を見るが、


 ……だんだんと近づいてくる轟音ごうおん


 忠明少年は、丈の低いくさむらの根元に腹這いになると、息を殺して雷様に見つからないようにことにした。


 ふと、雷鳴の聞こえてくる方に目をやると、少し離れた場所ではあるが、木登りするのに手頃な木がポツンと立っている。


 耳をすませば、そこからピーチク、パーチクと大騒ぎしている鳥の鳴き声が聞こえてきた。


 いわゆる、宿のような木だろうか?


 この辺りは、草が生い茂っているだけで、他に隠れられるような場所がない。そこで、鳥達はその木に逃げ込んだようだ。



 一瞬、空が真っ白になるほど輝いた。すると、強烈な轟音が響き渡る。



 もしかして、雷は自分の上に落ちたのではないか?


 ……そう思うぐらい、大きな音が鳴り響き、耳がおかしくなりそうになった。


 すると、眼前の木から、何やら黒い物がポロポロと沢山零れ落ちる。


 よく見ると、それは、雷でショック死した雀達の死骸だったのだ。


 ……どうやら、雷は木の上に落ちたようである。



「儂ら童部共は、早速、それを拾うて帰ると、食しました。

……このような、"鳥の焼き物" を目にすると、昔が偲ばれます」


「ほほう、それは楽しきことよのう」



 今日、酒肴として出されている料理にも、が出されていた。春も間近に迫ったとはいえ、まだ寒い。季節の良い頃とは違い、料理のバリエーションは乏しいかもしれないが、それでも、主の気遣いが充分に伝わる膳だった。


 特に、大根を丁寧にひしお(醤油の元になった発酵調味料)で煮付けた "香疾大根かばやきだいこん" などは絶品で、飴色に輝く大根が美しくて旨い。……さすがに都の料理だと感心した。



「それで、……そなたは行逢あうことはかなったのか? 」


 定信が膝を乗り出し、大真面目に聞いてくる。


「えっ、まぁ、……」


 実を言うと、忠明は信心深いところもあるが、当時の人間としては結構、現実主義者リアリストなのだ。


 それで、で、そんなにが田舎に来る気がしない。


 そう思って、言葉を濁した。


「ハハハ、……いやぁ、もう肝を冷やして、忘れました」


 そう言うと、恥ずかしそうに笑う。


「じゃが、それから、雷様が何処に渡られるかが判るようになりまして、……あまり恐ろしゅうなくなりました」


「それは真にかしこきことよのう」


 そうと定信は言うと、杯を飲み干した。


「そなたは、やはり武官に成るべくして成ったのじゃな、……儂らより、よほどつわものの生まれじゃ」


 などと、改めて言われても、忠明は恐縮するばかりである。


 京の美努家は、今でこそ国司の下で働く官人もいるが、元々は兵衛 (兵衛府の第二番目の位の役職) まで輩出しているのだ。武官の名門であることは間違いないだろう。


「……月日が過ぎて、儂らは兵の業では立ち行かなくなり、別の官人となった。それにまた、検非違使の官人では成り行かんのじゃ」


「……」


 忠明も、使庁で働いてみて、定信の気持ちがよく解るようになっていた。そこで、何と言って良いのか判らず、無言で定信の杯に酒を注いでやる。


「おぅ、すまんな。……さりとて、兵の家を諦めとうもない。……そこで! 」


 定信が、まじまじと忠明の顔を見た。


「そなた、儂の義子息そくになってはもらえんだろうか? 」


「……はっ? 」


 てっきり、清水寺での騒ぎを咎められると覚悟していただけに驚きである。


「つい先年、妻に先立たれてな、我には跡を継ぐ者が居らんのじゃ、……あぁ、いや、儂も美努のじゃ、かしこまらんでよいぞ」


 ちなみに、三郎とは三男の意味だ。


「いや、しかし、……さかん様、儂のような者には畏多おそれおおいことです」


「やれやれ、もう儂は志ではないぞ、使庁はとっくに辞したからのう」


 それでも、立派な使庁のOBなのだ。思わず遠慮せずにはいられなかった。


「それに、すまんが、……我家には昔ほどの勢いはないのじゃ、それでも構わんなら承けて貰えんか」



 これからも使庁の中で昇進を目指す忠明にとっては、これは願ったり叶ったりの良い話である。


 残念ながら、今のまま和泉の豪族上がりの元衛士では、これから先の出世は望めそうにはないからだ。


 ……二つ返事で承諾したい。だが、この話には一つがあった。


 定信には、忠明より二つ年上にあたる一人娘がいるのだ。


 父が使庁を辞めてからというもの、通ってくる男もおらず、引き籠っているらしい。


 そこで、純粋にとして付き合うか、それとも婿のように接するかで、人生が大幅に変わってしまうからだ。


 忠明としては、あくまでも良き義弟でありたいと思っているのだが、


 何れにしろ、忠明の人生はこれから大きく変わろうとしている様である。




 定信邸から帰る道すがら、忠明は久しぶりに空を見上げた。


 春というには風はまだ冷たいが、どこからともなく梅の花の香りが漂ってくる。


「どうやら、天神様に礼を申さねばなるまいな、……」


 忠明は、微笑みながら家路を急いだ。








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