第22話  突然のブレイク!

さて、熱も治まったので、いよいよ職場復帰しなければならなくなった。


「物忌みである」


 とは言ったものの、仕事が滞るのは止められない。忠明は休んだはいいが後が怖かった。それは、今も昔も変わらない職場事情ではなかろうか。


 だが本当のところは、暫くの間、身を潜めていれば何とかが冷めるだろう。……そんな風に思って休み続けていたのである。


 何といっても、清水寺の縁日で、あれだけの騒ぎを起こしたのだ。それはそれなりに噂になってることだろう。


 当時の京でも清水寺は大観光地だし、そして情報の発信源だ。その橋殿から飛び降りたからには、都中の話題になるのは時間の問題である。


 取敢えず出仕する気にはなっているが、余計なことで使庁に迷惑が掛からないかと心配ではあった。



 そして、……やはり、予想通りのことが起ったのである。


 休んでいた間の仕事の進捗の確認に使庁に出向くと、案の定、さほど親しくもない官吏達からの視線を感じた。


 一体、どの程度まで知れ渡っているのだろう。


 噂など、……四、五日程度で冷却されるものだ。そんな風に高をくくっていたが、それは間違いだった。


 それを痛い程に感じたのは、獄舎に行ってからだ。



 その日の午後から獄に出仕すると、待ち構えていたように、同僚たちに取り囲まれてしまった。


 当然のことながら、 『清水寺の一件は、本当に忠明の所業なのか? 』 という確認から始まったが、うまく誤魔化そうとしても、放免の中に目撃者までいてままならない。


 あげくのはてに、錦為信からは、


「随分と、をやったものよのう。……また、が起こるやもしれんぞ! 」


 と、例の眠そうな仏顔で笑われた。


 何故だろう? ……為信に面白がられると、他の誰に絡まれるよりも " 痛い " 気がする。


 また、普段は直接関わりのない連中まで、見物するように通りがかった。


「ほほぅ、……身体は何事も無かったようじゃな。真に、を賜ったようじゃ! 」


 錦部文保は面白がって、背中のくぼみの辺りをペシペシと叩きながら、無事を確かめている。


「いや、いや、……止めて下され」


 気まずそうに言うと、


「何じゃ、減るもんでもあるまいに……」


 ズングリとした文保がモッサリと笑った。


 急いで溜まった仕事を片づけようとしていたのに、何やら " あやかりたい " 面々に取り囲まれ、……何となく話の種にされて一日が過ぎていく。


 あの様な高い所から踊落おどりおちても無事なのだ。余程、神仏の加護があるのだろう。


 ……人々は、そんな風に考えているようだ。



 いつの間にか、忠明には全くでの価値が付け加えられたようで、日が傾くころには獄の門前に多くの見物人が集まっていた。


「何じゃ、あの人立ひとだかりは、……帰れんではないか」


有難い御身ありがたいおんみを、一目見んとて参ったので有りましょうぞ、……フハハ! 」


 福安が、ご丁寧な敬語を使って面白そうに言う。


 忠明的には、何だかちょっと腹立たしい感じがする物言いである。


 何処で聞きつけたのか、よく見ると、ついこの間まで近くに住んでいた放免の女房や子供、そしてその関係者達が、見物にやって来たようだ。


「やれ、やれ、……観音様のとやらを配らんわけにはいかんようじゃな」


 忠明は苦笑した。


 辺りが暗くなってから退所するのでは、獄の周りに集まった人々に危険なことが起こらないとも限らない。そう思って、ちょっと早めではあるが帰ることにする。


 すると、何やら人だかりを交通整理するように門前に近づいて来る者達がいた。


「これ、そう押すでない。よいか、……女、童などは、前の方に差並さしならべよ。あやぶいからのう」


 そう言いながら、磐翁が現れる。


「看督様、お迎えに上がりましたぞ! 」


 磐翁の後ろから、若竹丸がひょっこりと姿を現すと、ニヤリと笑った。


『もしや、に陥っているのでは? 』と、二人共、駆けつけてくれたのだ。


 そこで集まった面子めんつで、忠明の警固を兼ねたフォーメーションが組まれることになったのである。


 つまり、福安、磐翁、若竹丸の三人で、忠明を囲んで無事に帰路につかせるのだ。取敢えず、馬場にまでたどり着けば良い。


 実は、福安や磐翁も忠明と較べると少し劣るが、当時としては大柄な方なのだ。そこで、二人で忠明の左右を固めるように立って警固することにした。


 そしてその前には、人払いをするように、行列を整理しながら若竹丸が先導を務める。


 ざっとこんな感じで対処することになった。



 さて、いよいよ外に出ると、若竹丸が事前に言い聞かせたのが功を奏したのか、人々は道の左右に分かれて並んでいる。これはこれで壮観だ。


 すると、若竹丸は何処から持ってきたのか、細長い木の枝に布切れをぶら下げたぬさのようなものを取り出し、道の真ん中を偉そうに歩き始めた。


「おうし、おうし、……」


 掛け声をかけ、を振りながら、若竹丸は得意満面の笑みを浮かべている。


「看督様!……今日のこぶは嬉しそうですな」


 ククク……と、笑いを堪えながら福安が言う。


「仏の加護なのに、何故に幣なのじゃ? 」


 磐翁が苦笑している。


 二人の間に挟まれて、忠明は何とも言えない、こそば痒い気持ちになった。


 まぁ、今風に言うなら、……体格の良い忠明、福安、磐翁が歩く姿は、相撲の三役退場といった感じで、なかなか迫力があったかもしれない。そしてその前を先導する若竹丸は露払つゆはらいといったところだろうか。


 この珍しい益荒男達ますらおとこたちの勇姿に感じるものがあるのか、見物人らの中には、三人に手を合わせ拝む者達まで現れた。


 だが、そうなってくると、他にも問題が生じてくる。


 残念ながら、この行列には後ろを衛る者がいないのだ。


 ……そして、やはりその盲点を狙われたのである。


 何者かが、忠明の腰のあたりをパチリと叩いた。


 それは、それ程強い力ではなかったが、なかなか見事なピンポイント攻撃である。


 忠明が思わず振り返ると、一人の小さいが立っていた。


 何かの間違いではないかと思ったが、目が合った途端、老婆がすがるような目で見てくるので何も言えなくなってしまう。


「婆は、もしや腰が痛むのか? 」


 恭しく老婆が頷く。


為ん方無い しょうがないことよのう……! 」


 そう言うと、忠明は老婆の腰を軽くさすってやった。


 すると驚いたことに、心なしか老婆の腰が伸び、元気になったように見えるから不思議だ。おそらくプラシーボ効果的なものが働いたのかもしれない。


「やれやれ、今日だけじゃぞ、……よいか? おさわりはなしじゃ! 」


 その言葉に、老婆はニッコリと笑うと、有難そうに合掌した。


「フハハ、……看督様は老人おいびとには親切ねんごろにされるからのう。婆が心誤かんちがいしますぞ」


 隣で福安が顔を覆うように隠し、笑いを堪えているのが判った。どんなに隠したところで耳まで赤くなっているのでバレてしまう。


「ちっ、痴れ言を申すな! 」


 そうは言ってみたものの、忠明も妙な気分になってくる。


「やれやれ、これでは暫く、心安まることがありませんな。……看督様は"人が良過ぎる"からのう。これからも、あの様な輩が湧いてきますぞ」


 磐翁が苦笑していた。



 実際、磐翁の予言は的中し、これから一ヶ月程の間、夕刻になると獄の辺りには、この立派な三人の退所シーンを見物しようと人だかりができたのである。


 忠明が清水寺で起こした騒動は、いつの間にか世間の知るところとなってしまったようだ。


 当の本人はというと、恥ずかしいので早く忘れて欲しいところなのだが、世の中はそう簡単に忘れてくれそうになかった。



 そして、この人気ブレイクは、よりの知るところとなり、とうとう忠明自身の人生を大きく変えることになったのである。


 忠明に養子の話が持ち上がったのだ。


 それはまるで、観音信仰が成就したような、幸運ラッキーな人生の始まりだったのである。



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