第20話  新しい生活!?

 あれから三日経った。


 その間、忠明は熱を出し、ずっと床に就いたままだった。


 使庁を休むにあたっては、世慣れた磐翁が、


「物忌みをされておられますので……」


 と言って、無理矢理、休みを捥取もぎとってくれている。


 「はて、……何のための物忌みか? 」


 などと、野暮なことを聞いてくるような、若竹丸に絡んできたような連中は、このろうたけた老人にはいてこなかった。


 さすがに経験を積んでるだけのことはある。


 小廻りは利くが、まだ経験値が低い若竹丸には、磐翁は憧れの存在になった。


 だが、一つだけ厄介なことがある。


 それは、磐翁が忠明のことを、幼い頃からずっと知り過ぎていることだ。


 その為に、忠明は磐翁に頭が上がらなかった。




 季節は、いよいよ冬らしくなってきている。


 忠明は、まだだるさの残る体を起こすと、寒さが凌げるようにと、冬用の宿直物とのいものが何枚か掛けられているのに気付いた。


 おそらく、冬の寒さが増していくので、磐翁が掛けてくれたのだろう。



 平安時代になると、今よりは薄い物ではあるが、貴族等の豊かな人々は畳の上で寝るようになっていた。

 だが、それでも現在のような掛布団はまだなく、昼に等を上に掛けて寝るのが普通だった。


 そして、宿とは、本来、夜寝る時の着物なのだ。



 ううっ、寒い。……あぁ、起きたくない。


 このまま、横になっていたい。


 忠明は、宿直物の中に再び潜り込んだ。


 今はまるで童部のように、引き籠りたい心境だった。


 部屋が広いからだろうか、空気がより冷たく感じる。


 そして、ここは例のであった。


 今度は、獄舎や放免達の住居からも離れており、少し静かな場所だ。もう少し行くと中流貴族の屋敷も見え始める。忠明にしては、よく頑張った方だ。


 もともとは、ある貴族の家臣が使っていたものらしいが、遠国の受領地に行くにあたって、空き家になったので住むことにしたのだ。


 凄くであった。


 それに、ここならば使庁からも近からず遠からずで、以前ほど従者として駆り出されないのでは、……そういう目論みで移り住んだのだ。


 しかし、建物としては、それほど新しくない上に、見た目も簡素でパッとしない。


 おそらく以前の持ち主が、あまり見栄えにこだわらなかったのであろう。何となく、すべてが古臭かった。


 ただ、庭は意外にも綺麗に整えられており、さほど大きくない木々がきちんと植えられていて、それなりに手入れが行き届いた状態だ。


 ……上手くいけば、空いている場所に簡単な畑がつくれるだろう。


 ついつい、田舎人の忠明はそんなことを考えてしまうのだった。


 それに、外からプライバシー? を守る為に目隠しとなる小桧垣こひがき(ひのきの薄い板を組んで作った垣根)だってある。


 まぁ、平安時代的には無粋なのかもしれないが、外から忍んでくる男などは入れない。そんな、防犯上では優秀な家だ。


 これでも、全力で頑張り用意した屋敷なのに、肝心の住人が、……捨身尼に、そして皆和までいなくなってしまった。


 ここ数ヶ月の出来事が、まるで夢のように思い起こされ、胸が痛くなる。


 忠明は、何度か気持ちを取り直し、床から起きようと思ったが、その度に、何とも言えない虚無感に襲われ、また寝具に潜り込んでいた。



「もうし、……若様」


 磐翁が宿直物を引っがした。


「さすがに、もう、起きなされ! 」


 良くも悪くも手慣れたものである。


 早速、忠明がガバリと体を起こした。


「こら、止めんか! ……寒いではないか」


 そう言いながら、を取り返すと、また隠れた。


光明丸こうみょうまる様、たゆみ過ぎですぞ! ……かとなさりませ」


「……」


 いきなり、忠明をで呼んだ。


 これは、さすがに


「光明丸じゃと、……じじこそ、確かとせよ。わしはもう童部ではないぞ」


「ハハハ、……しっかり起きられましたな」


 磐翁は笑っているが、忠明はムスッとしている。


「いろいろと思うことは有りましょうが、もう起きられませ」


「嫌じゃ、体がたるうてしょうがないのじゃ、……」


 まるで子供のように駄々をこねた。



「何じゃ、看督様の童名わらわなは"光明丸"と申されたのですか? ……ハハハ」


 すると、磐翁の隣に控えていた若竹丸が面白そうに笑っている。



「何故、笑うておる? ……妙な物言いじゃな」


「いやぁ、……それでは仏臭ほとけくさく なりまするな」


 地味に笑っているのが判った。


「何を申すか、若竹など、……そこらに生えている物より良いわ」


 今度は、若竹丸が悔しそうにむくれる。


「やれやれ、儂などは"犬男丸いぬおまる"ですぞ。あまりにおびただしゅうて、誰が誰やら判らんようになるぐらいじゃった」


 この話題は、最終的には磐翁の自虐ネタで終了した。




 童名(幼名)とは、主に平安時代から江戸時代にかけて、武士や貴族の子達が元服前の幼少期に付けられていた名前のことである。


 昔は、無事に"本名"つまり正式の名が付けられたようだ。


 ちなみに"光明丸"の光明とは、もちろん明るい光の意味もあるが、仏教の世界では、仏や菩薩の心身から発する光のことで、を象徴する。


 一方、若竹丸の名は、文字通り若くてしなやかな竹をイメージしたものだ。当時は、きっと人気のある名前であっただろう。


 問題は、磐翁の"犬男丸"である。


 当時、犬は繁栄を象徴する動物だったので、幼名に"犬"を付ける男性が多かった。


 他にも、牛の丈夫なイメージから"牛"の字を入れた名も流行ったようである。


 また、身分の低い人々の中には、元服することもなかったので、そのまま一生涯、幼名だけで過ごす人達もいたようだ。


 例えば、ある程度の身分の人々の屋敷には必ずいたであろう"牛飼童うしかいわらわ"という、牛車やそれを引く牛の世話をする職業の人達などは、髪を束ねて烏帽子を被らず、老齢になっても、童髪である"垂髪たれがみ"で過ごした。そこで、大人であっても童名のままで暮らしていたのである。


 その点では、という名がある磐翁は、看督長になった忠明にとって、ふさわしい身分の従者と言えるだろう。


 まぁ、年齢的に引退を考えていたところを、わざわざ都にまで来てもらっているので、体力的には難しいところあるかもしれないが、それでも、忠明にとっては気心が知れた頼れる存在なのだ。



「では、……久しぶりに、この爺が、うまし物でも作りましょうぞ」


 そう言うと、磐翁がニコリと笑った。


「甘い物! ……などと申して、柿など拾うて来ても得心とくしんせんぞ」


 忠明は、本当に子供に戻ったかのように磐翁に文句をつける。


 確かに、季節は晩秋であり、そして、平安時代には、柿は菓子(果物も含まれる)として既に定着していたが、随分と贅沢なことを言うものだ。


「おう、おう、よう理解っておりまする。……若のをつくりましょうぞ」


『もしや、あれか? 』

忠明は、子供の頃、病気になった時に食べさせてもらった甘味を思い出したのである。





 

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