第19話 清水の舞台から"ダイブ"してしまった件(2)
男は思わせぶりに笑った。何となく妖艶な感じがする。
こんな奴は知らないはずだが、男の方は忠明のことをよく知っているようだ。
「お忙しそうでございますね。お噂はかねがね聞いております」
恭しく頭を下げるが、何だか腹に一物ありそうな感じがする。
「おうおう、久方ぶりですな、……天火様」
すると、一緒に居た、例の男まで口を挟んできた。
「いや、今は看督様とお呼びした方がよろしいか? 随分と、出世なさりましたな……」
そう言うと、頭を掻きながら笑った。
「そちら、……皆和をどこにやった? 」
しかし、忠明には世間話など続ける余裕はない。既に臨戦態勢になっているからである。
その言葉に、男達は顔を見合わせニヤリと笑った。
「
そう言いながら、若い男が水干の袖で口を隠しながら笑う。
その様子が何やら妙に艶めかしくて、忠明は逆にイライラした。どちらかと言うと、美青年という感じの若者だ。
「家じゃと? そちらのどこが
……どうせ、この堂童子らも、そちらが拾うた者を勝手に使っておるのじゃろう」
「だとしても、これほど多数の方々が、観音様の功徳を求めて参られるのですよ。
私共がそれをお助けすることで、食い
……それに、親のない童達の命も救われることですし! 」
いかにも、もっともらしい言葉で言い返してくる。
「ハハハ、……看督様、こ奴は
「……」
確かに、うまい具合に言いくるめられそうだ。
「フフフ、……我らは皆、
そう言うと、若者はクスクスと笑った。
何だか、忠明の方が
「もう、よろしゅうございましょう。……今日のところは、お引き取り下さいませ」
「何を申すか、まだ終ってはおらん。そちらは、また皆和に無体なことを強いるのであろう! 」
「ふん、何を申されるかと思えば、……こちらも黙ってはおれんな! 」
今までとは違う、乱暴な口調で言い返してきた。
「そんなに
「父様とは、そちの
「……
看督様には、 以前から同胞共がいろいろと世話になっているようじゃな。
……父様が 『一度、
「何じゃと? 」
「まぁ、……このまま無事に戻れればな! 」
そう言うと、若い男が、帯の後ろに隠し持っている短刀を引き抜いて身構えた。
気が付けば、いつの間にか数人の男達に取り囲まれている。
「やい、……そなたは看督とはいえ、
「おう! 」
忠明を取り囲んだ若者の一人が叫ぶと、それに迎合するかのように、他の若者たちも雄叫びを上げた。
『おい! 何故そんなつまらないことで団結できるのだ?
ふざけるなよ、……京童部どもめ! 』
ちなみに、ここでいう"童部"というのは、思慮分別のない若造達といったところであろうか。
忠明は、とりあえず力ずくで包囲を突破しようと考えたが、童部達は次々と短刀を抜き始めた。
一触即発の大ピンチである。
『……それにしても、結構な人数に囲まれたな、よく考えて立ち回らないと、かなりヤバイかもしれない 』
「誰が田舎人じゃと? ……儂も子供の頃、清水様で
……観音様の御加護ならば、負けてはおらんぞ」
勢いよく、言い返してはみたが、突然の橋殿での騒ぎに見物人まで集まりだした。
『このままでは、無関係な者まで、危険な目に会わせかねない』
「そちら、観音様の御前で刀を抜くとは何事ぞ! せめて、力ずくで掛かってこい! 」
「何を! ……痴れ者が」
一番、元気そうな若者が言い返してきた。
『とにかく、この場を流血で穢すようなことはあってはならない』
そう思って、咄嗟に発した言葉だったが、京童部達には通じなかったようだ。
早速、一人の男が短刀を握りしめ、左側から斬りかかってきた。
「分らんのか? ……この場を穢してはならんと言っておろうが」
素早く男の腕を掴むと、捻じり上げる。すると、男の体は簡単に倒れた。
ドスンと鈍い音がする。
すると、一瞬、囲みの輪が広がった。思ったほど、闘い慣れた連中ではないのかもしれない。
「おう、おおぅ、……」
そう、大声で叫ぶと、忠明は両手を大きく広げて威嚇した。
「そちらと違って、わしは
すると、さすがに男達の顔が強張る。
「何を恐れておる。我らは多勢じゃ、……このような奴、
先程の美青年が
『何じゃと? 』 美青年のその言葉に、とうとう忠明の戦闘モードのスイッチが入った。
まず、一番側にいる弱そうな若者に足を掛けると、素早く倒す。
すると、その横の男まで一緒にこけた。
やがて素早い動きについていけずに、逃げようとする輩が出始める。
そこで、まとまりのなくなった包囲網の中から、例の美青年を捕まえると、早速、胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「そちが、こ奴らの
「ひやぁ……」
男が突然、腰砕ける。
「何が 『 ひやぁ! 』 じゃ、……そちは女人か? 」
「……」
何故か、返事がない。
「おう、おう、……皆で、"
誰かが叫んだ。
「……そうじゃ、何とかせねばならんぞ」
今度は、先程とは違う意味で、男達のやる気を感じた。
『何だ、……この変わり様は? 』
「フフフ、……判りやすきものでしょう。
そう言って、花月が笑う。
「はぁ? そちは何者じゃ。……いや、そんなことより、皆和に会わせよ」
すると、馬鹿にしたように花月が再び笑った。
「それほど会いたければ、谷行でもして観音様にお願いなされればよろしいのでは? 」
今度は、周りの男達までつられて笑いだす。
「このような処で騒ぎを起こせば、もう、後はありますまい。……ここは、我らの住処じゃ、観念しなされ」
とうとう追い詰められて逃げ場がなくなった。気付けば、橋殿の東の端まで、別の連中が立ち塞いでいる。
また御堂の入り口の方に目を向けると、そちらも観音様の縁日だけあって、沢山の見物人が集まっており、逃げ込める状態ではなくなっていた。
『……だが、このまま殺られる気はない!
さりとて、このまま暴れれば、無関係な人間まで巻き込んで、怪我人が出るかもしれない 』
それは、忠明の矜持に反することである。
「なるほど、そうじゃな。……観音様にお頼みしてみるか」
「はぁ……? 」
忠明は、花月から手を放すと、勢いよく御堂の方に駆け寄った。
ワアッ……! と、蜘蛛の子を散らすように、人々が道を開ける。
「南無観世音菩薩、助け給え! 」
そう唱えると、堂の外に
男達は一斉に逃げた。
「ハハハ、……面白きことじゃ」
そして、蔀戸を脇に挟むと、今度は橋殿の方に進んだ。
「良きものを見せてやろう。……皆和は、わしの妹じゃ、よう覚えておけ! 」
そう吐き捨てると、板と共に、前の谷に飛び降りた。
参詣人の間から、悲鳴が上がる。
忠明は、蔀戸にうまく乗ると、風に舞う散華の花弁のように谷に落ちて行く。
幸いなことに、板が風を受ける分、ゆっくりと降りる。
そして谷に広がる木々にうまく引っかかると、着地に成功したのだった。
気が付くと、木々の間からも、スルリと上手く落ち、身一つで木の葉の降り積もった地面に転がっている。
見廻すと、ほんのりと色づいた美しい紅葉林の中にいたので、
『もしや、……ここは、極楽なのか? 』
と、勘違いしてしまいそうになった。
ハッとして、谷底から見上げると、はるか上方で、橋殿からこちらを覗き込む人々の顔が見える。
そこで、やっと現実に戻り、体が震えてくるのを感じた。実は、それから後のことは、あまり覚えていないのだ。
足下も
今となっては、自分でもとんでもない事をやらかしてしまった。……と、反省しているのだが。
そして、それから三日程の間、忠明は何故か熱を出し、寝込んでしまったのである。
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