第18話  清水の舞台から"ダイブ"してしまった件(1)

 いよいよ、皆和を新居に迎え入れようと小屋へ出向いた日のことである。

 皆和は、捨身尼の遺品を整理し小屋を引き払う為に、二日間だけ戻っていた。

 そこで忠明は、片付けや荷物運びに手伝いがいるのではないかと、若竹丸や父の代からの古参の従者である"磐治いわはる"を引き連れ、馬で迎えに行ったのである。

 だが、あろうことか、小屋の中は荒らされており、皆和の姿もなかった。

 おそらく、何者かに攫われたに違いない。

 また、米や食い物まで無くなっており、捨身尼の着ていた、売ることすらできないようなボロの墨染の衣のみが打ち捨てられている。


「……ひどい有様ですな! 」

 もう五十歳はとうに過ぎているであろう。……の磐治がポツリと言った。


「痴れ者がぁ……! 」

 忠明が声を荒げて叫んだ。


 老婆の打ち捨てられた衣を拾いながら、若竹丸が困惑している。


「若竹、馬を使うぞ、……一つ、心当たりがある」

「えっ? 何処に行かれるのですか、……私もお供しますが」

 その言葉を最後まで聞くことなく、忠明は小屋を飛び出していた。


清水きよみずじゃ! 」


 そう、吐き捨てるように言い残すと、連れて来た馬で駆け出す。

 後に残された若竹は、その勢いに気圧けおされ、放心状態になっている。


「……しかし、従者も連れずに、お独りで参られるのは」

 若竹丸は、やっとの思いで気持ちを立て直すと、散らかった物に蹴躓けつまずきながらも、忠明の後を追おうとした。


「いや、若竹よ、待て! 」

 すると、老いてはいるが、忠明に負けず劣らず背が高く体格の良い磐治が、若竹丸を押し止めたのである。


「……暫し、思いをしずめよ! 」

「さりとて、磐翁いわおう様、……急がねば看督様が」

 若竹丸の顔が引きっている。


「よいか? ……なるほど、そなたは強者したたかもの(しっかり者) かもしれんが、ここは儂に預けよ、わしが馬で追う。そなたは後で来い」


『亀の甲よりも年の功』 とでも言うように、焦る若竹丸を磐翁がいましめた。

 確かに若竹丸は年のわりには世慣れているが、看督長の従者ともなると、仕事柄いろいろな厄介事に巻き込まれやすい。だが、磐翁なら人生経験が豊富な分、少々のことでは動じないのだ。

 そこで磐翁が先んじた訳である。



 一方、忠明は清水寺に向って、ただ一心に馬を走らせていた。

 もちろんともがら(仲間)も、そして、もしもの時に頼りにできる従者も連れずに単身で敵地に臨もうとしているのだ。

 しかも、運が悪いことに? 今日は観音様の月縁日つきえんにちなのである。


『……人が多いので、大騒ぎにならなければよいのだが 』


 と思ったところで、駒を止める気にはなれなかった。



 この時代においても、やはり清水寺は大観光地であった。

 いや、むしろ、それほど娯楽がなかったかもしれない平安時代だからこそ、今以上に清水寺界隈は行楽地だったのかもしれない。


 東山を背にして聳える姿は、今も昔もだ。

 そして、誰もがその御堂に上り、京の都を見下ろしてみたい。

 ……そんな思いに駆られる場所である。


 そこで、都に出できた地方の者達のにも利用されていたようだ。

 他にも、寺内の木々は青々として、春には花、秋には紅葉が楽しめる。

 また観音信仰の霊場としても古く、遠くからも熱心な信者達が訪ねてきた。

 特に、月に一度のともなると、沢山の参詣人が集まる。

 そんな理由からか、当時としても、参道の辺りは賑やかな場所だったようだ。

 また、忠明のような独り身の者達にとっては、若い女性達の晴着姿(当時流行のファッション)を目に収められる場所でもあり、ある意味、ナンパ場所(いやいや、若い男女が出会える社交の場所)でもあった。


 とにかく、この"平安時代のテーマパーク"のような清水寺では、人々は美しい景色に感動したり、高く聳える御堂に上り、観音様の存在を身近に感じて手を合わせていたのである。



『清水寺に行けば、何か情報があるかもしれない』


 その一心で、忠明は清水の参道に辿り着いた。

 思えば忠明と皆和が出会ったのも、清水寺である。

 養い親達に脅されているところ助けたのが始まりであった。

 彼らは、清水界隈で見つけた達を育て、いろいろと感心できないことに使役している連中だ。皆和のことも嗅ぎつけて連れ戻したのかもしれない。


 忠明は、無事に寺の馬駐うまとどめに到着すると、顔見知りの馬丁ばていに馬を預け、急いで御堂に向かって走り出した。

 そして、沢山の人々が行き交う狭い道を、ひたすら縫うように上る。

 すると、中には肩に触れたり、ぶつかったりする者までいて、罵声を浴びせかけられた。

 だが、誰もが、この大きな男の真剣な眼差しを見ると、それ以上、絡もうとはしなかったのである。

 やがて御堂の下まで辿り着いた。いよいよ高く上っていく階段である。

 一人の年配の女性が、従者の手を借りながらも、階段の端にある高欄に必死に掴まりながら上るのが見えた。

 また一方では、参籠用の荷物だろうか、若い僧侶たちが大きな荷物を何個も抱え、階段を下りて行く。

 彼らは、見た目以上に強力なのか、年配の女性に較べると楽そうに見えた。

 だが、それでも階段の真ん中を、汗だくになりながら尋常ではない速さで駆けていく忠明を見て、恐ろしい者でも見たような顔になったのである。


 そして、やっと御堂に着いた時には、もう未の刻(午後二時から三時頃)になっていた。

 しかし、この時間になっても、御堂は老若男女でいっぱいだったのである。

 忠明は乱れた呼吸を整えながらも、注意深く多くの人々の様子をうかがった。皆和を働かせていた連中も、どこかに紛れ込んでいるかもしれないからだ。


 やがて、忠明の視線は橋殿の一角に集まっている一塊いっかいの集団に向けられた。

 一見、いつも見かける堂童子どうどうじ(堂内で雑用を請負う者達・特に子供等)達が集まっているように見えるが、今日はちょっと別物に見えてくる。


『……皆和に話を聞いたせいだろうか』


 童子達は、食物を入れる盆や、手洗い用のたらいなどを用意しており、なるほど、参籠者に依頼されれば、すぐに雑用ができる体制になっているようだ。

 だが、よく観察すると、そこにいるのは童子達だけではない。 おそらく、彼らの采配をしているように見受けられる二人の大人がいた。

 そのうちの一人は、皆和を脅していた男に間違いない。

 少し頭が禿げ上がった大きな男だ。……忠明は、人の顔を覚えるが得意なのである。

 だが、もう一人の方は初めて見た。

 ちょっと小柄でとしているが、白い水干姿に新しそうな烏帽子えぼしを被ったお洒落な青年がいる。

 随分と、珍しい輩が現れたものだ。どちらかというと、美少年というたぐいかもしれない。

 色白で、切れ長の美しい目をしている。一瞬、若い女性ではないかと疑ったぐらいだ。

 思わず気になり、ジロジロ見ていると、目が合ってしまった。すると、当人が面白い者でも見つけたかのように、つかつかと歩み寄って来る。


「おや、 此方あなた様は天火様ではありませんか? 」


 若い男がいきなり話しかけてきた。

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