第17話 婆様ゆっくり眠れ(2)
もし捨身尼が完全に
さすがにタイムリミットを感じた二人は、とうとう他人の力も借りて探すことにした。
そこで、まず福安に相談したのだが、やがて福安を通じて、いつの間にか捨身尼のことは放免達の知るところとなり、
これには、正直なところ驚いた。
普段なら検非違使庁に務める官人と放免の間には、身分差やその刑歴に対する偏見が壁のように立ちはだかっているからだ。
だが、捨身尼の話になると、皆が協力的で、しかも誰もがその境遇に同情的であった。
『人の世も、それほど捨てたものではないな 』
忠明の胸に、ふと、そんな思いが過ぎったのである。
だが結局、一ヶ月経っても捨身尼の居場所は分からず。そして生死すら確認できなかったのである。
秋の爽やかな晴天の日のことだ。
忠明と皆和は、二人そろって清水寺詣でに出かけた。
捨身尼が消えてから随分と時間が経ち、すっかり朝夕が寒くなってきている。これでは、さすがに生存の可能性を諦めねばなるまい。そう思ったからである。
『……そろそろ、婆様に対する気持ちに踏ん切りをつけねば辛すぎる! 』
そんな思いから、二人で寺に出かけ、婆様に別れを告げようという話になったのだ。
忠明にとっては、いつも仕事の為に上っている清水の坂だが、今日はまるで違う感じがしている。
『……皆和と一緒に詣でているからだろうか? 』
二人は、つかず離れず横に並んで歩いていた。
もし、何も知らない人が、この二人の姿を見たなら、おそらく兄妹のように思ったかもしれない。
そんなふうに思えるぐらい、二人は主従の関係というよりは、家族にしか見えないような仲睦ましさで、寄り添いながら坂を上っていく。
「儂が初めてこの坂を上ったのは、お母上様とお
……母と言っても、儂を引き取ってくれた
「どのような御方だったのですか? 」
「そうじゃな、……体は小さい方だったが、目が大きくて美しい人だった。
……
「それは、よろしゅうございましたね」
「……だがな、わしは悪童で、よう、母上様を困らせたのじゃ! 」
「えっ? 」
「それは、もう、いろいろと悪さをしたのう!
……お籠りで
「うふふ、……」
皆和が声を出して笑っている。
何となく、うら悲しい雰囲気だったのが、少し
『皆和を泣かせたくない』
そんな思いから、忠明は、余計な黒歴史を披露していた。
「あぁ、それから、……色々な木の葉を拾って来ては、清水寺の橋殿から
(……言っておくが、これは、今も昔も良い子がやってはイケないことだ! )
散華とは、寺院で法要をする時に、仏を供養するために花や葉を撒き散らすことで、元来、
「じゃが、しつこく何度も遊んでおったので、御坊様に叱られてしもうたわ」
「まぁ、……お母上様の御苦労が思いやられますな! 」
とうとう、皆和が亡母に同情し始めた。
「どうじゃ、なかなかの悪童ぶりじゃろう……ははは」
わざと、元気よく笑って見せる。
つい湿っぽくなる空気を何とかしたかったからだ。
「で、……そなたの幼き頃はどうであった? と言っても、今も幼いのかもしれんがな! 」
「私の方は、……」
そう言いかけて、皆和は口ごもった。やはり、良い思い出がないのだろう。
「物心がついた折には、もう、何やら
……水を汲んだり、寺にお参りになられた方々の足を洗ってさし上げたりと、
……喰う為には怠るなと! 」
「すまん、辛いことを思い出させてしもうたな」
「いえ、……でも、それだけでもありませぬ。
……観音様の御加護でしょうか。数多の良い方々にもお会いできました」
実を言うと、この日の清水参りは、皆和からの申し出で実行されたものであった。
忠明的には、むしろ、皆和を清水寺の近辺には近づけたくないのが本音だったからである。
二人の出会いは、そもそも橋殿で、皆和が"養い親達?" に脅されているところを助け出したことなのだ。そこで忠明は、皆和が古巣に連れ戻されるのではないか と心配だった。
しかし皆和は、敢えて清水寺から見える夕日に向かって合掌することで、
『捨身尼様を
と申し出たのである。
そこで忠明も皆和の思いを汲み、二人で清水寺への坂を上ることにしたのである。
寺の境内に足を踏み入れた頃には、西の空がいよいよ輝き始めていた。
御堂に上るまでもなく、少し小高いところにある門の前で、二人は夕日を仰いだ。
美しいオレンジ色の光が空を染め、金色の太陽が今まさに沈もうとしている。
「婆様は、もう極楽に着かれておられるでしょうか? 」
皆和がポツリと言った。
「あぁ、……」
『そう信じるしかない。……いや、絶対にそうだ! 』 と、忠明も思っている。
二人は西の空に向かって手を合わせると、老婆の極楽往生を祈った。
今となっては、そのぐらいのことしかしてやれないからだ。
「私は、ここで生まれたも同然なのに、婆様のことを見つけてあげられなかった。
……この界隈のことなら、
皆和がまた、泣き出す。
「こら、こら、……婆様が雲間から見下ろして笑っておられるぞ、……泣くな、泣くな」
そう言いながらも、忠明の声も震えている。
「思うに、……わしが
……すまんのう! 」
忠明は、自分でもよく解らない言い訳をし始めた。
「それに、……婆様も、もっと早う極楽に行くはずであったのに、わしに往生するのを邪魔されて、
しどろもどろになりながらも、忠明は皆和を慰めようと言葉を続けている。
「いいえ、……婆様は 『最期に良い方とご縁が結べた』 と、喜んでらっしゃいましたよ! 」
「……」
今度は、忠明が涙ぐんでしまった。
「そうか、そなたらは真に優しいのう。
……わしは婆様を助けていたようで、実は、婆様に救われておったのかもしれんな」
夕日がとっぷりと暮れ、空が藍色に染まるまで、二人は西の空を見つめていた。
そして、満点の星が輝き始めたころに坂を下ったのである。
だが、事はこれだけでは済まなかった。
この日を境に、皆和の姿が小屋から消えたからである。
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