第16話 婆様ゆっくり眠れ(1)
その事件は、皆和や捨身尼を迎えようと、忠明がいよいよ新しい住居を探し始めた頃に起こった。
大捕物後の物忌みも無事に済み、やっと仕事に復帰した日のことだ。
その日、初めて皆和が忠明の職場を訪ねて来た。
職場といっても、随分と怪しい放免だらけの場所である。当然、若い娘(……いや、まだ、女童にも見える)である皆和が来るべき処ではない。
また、何か厄介事に巻き込まれないかと心配なので、『絶対に訪ねて来るな! 』と、言い聞かせていたぐらいだった。
遅い昼食を取る為に、使庁の近くにある家に戻ろうとした時のことである。何やら門の外でガヤガヤと人が騒ぐ声がした。
いかにも無粋な男達が、何かに群がって騒いでいる。
まるで珍しい物を見物するように取り囲むと、ケラケラと笑う者までいて、何事が起ったのか? ……と思ってしまった。
『さては、新しい罪人が連れてこられたのか』 と近寄ってみる。
「のう、若竹丸よ! こ奴はどこから現れたのじゃ?
……もしかして、おまえにも
福安が、若竹丸をからかう。
「弟子子など、そんなもの居るものか、この小さい方が、むしろ若竹の師匠なのではあるまいか、……
また、別の放免が面白そうに口を挟んだ。
「はぁ? ……誰に物言うておるのじゃ」
若竹丸が、元気よく逆切れた。勢いだけは、誰にも負けない。そして、そういうところが忠明のお気に入りなのである。
「わしは
小気味良い
因みに、水干とは、平安時代の下級官人等の間で着られていた衣であるが、この頃には、一般庶民(特に男性)もカジュアルな外着として着用していたようだ。
だが、若竹丸の連れは、水干を着て髪を一本に束ねているが、男の子には見えない。
それにしては華奢過ぎるように見えたからだ。
『おや? ……この少年どこかで見たことがあるぞ 』
忠明は目を疑った。
「ほほぅ、……天火様の"
放免達の失礼な言葉が、だんだんエスカレートしていく。
「誰が瘤じゃと、……
「そうですとも。……豆などではありませぬ! 」
若竹の声と一緒に、もう一人の子から聞き覚えのある声が漏れた。
『皆和か? ……皆和ではないのか! 』
「フハハ……、豆が 、
余計に、男達に突っ込まれている。
「もう! 天火様に、……いえ、看督様に急用があるのです」
皆和が半泣きになって訴えた。
それから暫くして、やっと放免達から解放された皆和と若竹丸は忠明の仕事部屋にいる。
「よう、ここまで辿り着いたな……」
忠明が、若竹に
「わしが、看督様の家の前を通ったら、
しかし、ここにはいろんな輩が居るので、このままの
「……それで、水干を貸してやったのか、なるほど良案じゃな! 」
それでなくとも、不躾な男達ばかりが出入りする職場なのだ。たとえ童女であっても、油断する訳にはいかない。若竹の服を借りて男装してきたのは正解だった。
一方、皆和は、やっと落ち着いたはずなのに、また目を潤ませ始めている。
「そちは、よう泣くな、……もう泣かいで良い。心を鎮めよ」
忠明は、思わず皆和の頭をポンポンと撫でた。
すると、一瞬、若竹の顔が 『えっ! 』 という感じになったので、忠明は、気まずさに手を引っ込める。
「あのぅ、……天火様」
皆和がやっと話し始めた。
「婆様が居らんようになったのです! 」
「はぁ、何と? 」
「いろいろと、お捜ししたのですが見つからないのです」
どうやら、捨身尼が家を出たまま帰って来てないそうである。
そこで、ここ二、三日の間、心当たりのある場所をいろいろ捜したらしいが、捨身尼の姿を見つけることができなかった。さすがに困り果て、皆和は忠明を頼って来たのだ。
「おい、そのような大事なこと、早う言わんか! 」
「それは、その、……婆様が 『天火様は忙しい方なので、
と、おっしゃられていたので……」
その連絡を受けた日から、当然、忠明も捨身尼を必死に捜した。
立ち寄りそうな処はもちろん、初めて会った場所など、捜しに捜したが見つからない。
そこで、困り果てた二人は、もう一度、婆様が立ち寄りそうなところについて考えてみることにした。
「婆様が居らんようになる前に、何かなかったか? 」
居場所捜しのヒントにならないかと、忠明が皆和に尋ねる。
「そういえば、眠られている折に、夢で
捨身尼は、ここ最近、夢見が悪く、夜中に何度も目を覚ましていたらしい。
「目覚められた時に、私の顔を御覧になると、
『
捨身尼には、元国司まで勤めた夫がいたのだが、もう十年以上前に
ただ、"清子"という名の一人娘がいて、その娘は
「清子や、清子、……辛いかもしれませぬが、もう、お父様はいらっしゃらないのです。恨めしいことですが、今の私では、もう、貴方を支えてあげられません。
……早く、良くなって、また宮仕えに戻りなさい! 」
そう言いながら、捨身尼は皆和に抱きついたらしい。
「……そして、私をまるで娘様のように抱きしめて泣かれました。
……それでも、また正気に戻られると、娘様が亡くなられたことを思い出して辛くなられるようで、再び泣かれるのです」
確かに、この頃の婆様の言動に少し不可解なところがあったが、年寄りとはそういうものだと思って、忠明はあまり気に懸けていなかった。
だが、同居していた皆和にとっては深刻なことだったようだ。
「もしかして、……清子様を捜しに行かれたのではないでしょうか? 」
「いや、……しかし、清子様は、もう身罷られているのであろう」
「婆様にとっては、もう、今も昔も関係ないのかもしれません」
「……すまん、儂ももう少し気に掛けておればよかった」
「……こんなことになると分かっておれば、『私が清子ですよ! お母上様』 とでも、偽りを申し上げた方が良かったのではないでしょうか? そうすれば、わざわざ探しに行かれなかったかもしれません」
「……」
忠明は、そんなふうに後悔しながら泣く皆和の顔を見て、何かを言ってやりたいと思ったが
「いや、わしが怠ったせいじゃ、そなたは悪くはない。もっと早う
「迎い入れるとは……? 」
皆和の涙に濡れた瞳が、やっと忠明の方に向けられた。
「冬が来て、寒うなるまでに、そなた達を我が家に迎えようと思っておったが、勤めが忙しうて、……すまんかったのう」
そう言うと、一瞬、皆和の顔が少し明るくなったように思えたが、
「だが、断わっておくが、そなたには、あくまでも"家の子"として仕えてもらうつもりじゃ」
と、忠明は一言付け加えてしまった。
因みに、この場合の家の子とは、召し使われる者や、家臣の意味だ。
その言葉に、皆和はちょっと口を尖らせた。
『……どうやら、やっと泣き止んだようだな! 』
少なくとも、この話題なら皆和の機嫌が変わりそうだ。忠明はそう思った。
「何じゃ、わしの
すると、その言葉、皆和の顔が真っ赤に染まる。
「おい、おい、……十年早いわ! 」
そう言うと、忠明までが、こっ恥ずかしくなってしまった。
だが、それからも諦めずに、二人は捨身尼を捜しを続けたが、全く手掛かりを見つけることができなかったのである。
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