第15話  月見れば 忌み日物こそ 悲しけれ(2)


 平安時代の人々は、照明が充分に発達していなかったために、現代人よりも暗闇への適応力があったと考えられる。

 とはいえ、夜行性の動物のように完全に見えているわけではない。

 そこで、天然の照明が重要な役割を果たしていた。 つまり、月の存在が重要だったのである。

 人々は、月の満ち欠けを上手く利用しながら夜のスケジュールを組んでいたのではなかろうか?


 そして、今宵は十三夜月だ。十五夜ほどではないが、そこそこ明るく夜働きができる。

 つまり、捕り物には絶妙なタイミングが巡って来たのだ。


 では、暗闇の中で、どのように戦いを進めたのだろうか。

 やはり、飛び道具である"弓"の存在が大きかったのではないかと思われる。


 忠明達は、かねてから打ち合わせていたように素早くそれぞれの場所に移動した。

 まず、弓の得意な者達が門の陰に隠れると、庭に出ていた賊らに矢を射かける。

 夜目なので、頼りになるのは松明の灯のみだが、それでも弓上手達はサクサクと射続けた。とにかく、多くの者が建物から出てくる前に、少しでも敵を減らさなければならないからだ。

 そして、その間にもジリジリと、忠明達は感づかれないように動いた。


射手いて数多あまた居るぞ。……心せよ! 」

 福安が大声で叫ぶ。


 すると、その声を合図に、今度は建物の周りを取り囲んだ者達が、一斉に 賊らのいる方に鏑矢かぶらやを射かけたのである。

 矢はヒョーヒョーと大きな音を放ち、まるで大勢で賊を捕らえに来たような演出になった。

 鏑矢とは本来、合図などに使う、大きな音を出す矢だからだ。

 これには、さしもの悪党たちもひるんだようである。急いで、建物の中に逃げ込んだ。

 だが、これも作戦通りなのである。

 賊達が意を決して、それぞれの武器えものを手にして出て来る頃には、松明の火はことごとく消され、暗闇の中で闘うことになるからだ。

 そして、いざ真っ暗になってしまうと、もう弓は使い物にならない。危険なので、射ることも射られることもなくなる。

 ただ太刀で、……いや、運が悪ければ、一対一の肉弾戦にもなり、体力勝負になるのだ。

 そうなると、少しでも良いポジションで迎え撃った方がいい。

 その為に攪乱戦法かくらんを行ったのだ。

 ……もちろん、闇の中では、忠明達は移動済みで、早速、賊共を迎え撃つ態勢になっている訳である。



 月が西の空に傾き始める。

 そして、月光が丁度、門の背後に差し掛かった。

 そろそろ、最後の仕上げの時である。


 例えば、月を背に門前に立つと、うまい具合に姿が見えにくくなるが、逆に、門に向かって逃げてくる連中は、月光に照らされてよく見えるのだ。

 また、暗闇の中では、大きく動くことは不利である。相手に動きを読まれ易くなるからだ。

 そこで、こちらは最小限しか動かず、むしろ襲ってきた相手の動きを見て、確実に仕留めたほうが良いだろう。……そう思い、忠明は準備に取り掛かった。


『もちろん、捕らえるつもりだ。

 ……だが、こちらも命を失うようなことがあってはならない』


 忠明は、早速、月を背負える位置ポジションに立つと、逃げ出す者らを捕らえる為に身構えた。

 そして、太刀をまるでのように両手でシッカリと握りしめると、賊が飛び込んでくるのをじっくりと待っている。


『よし、……いつでも来い! 』


 因みに、こんな妙なフォームになったのは、当時の衛府で使われていた太刀が、刀身との部分が一続ひとつづきの鉄でつくられていた為で、手から落ち易かったからなのだ。

 そこで、いざという時には、太刀の柄の一番下に結んだを手に巻きつけ、強く両手で握りしめなければならなかったらしい。


 やがて、早速、おあつらえ向きに誰かが門の方に走ってきた。

 影だけ見ると、さして大きい男ではなさそうだ。


「おぅ、おぉぅ……」


 掛け声を出してみる。

 仲間なら、怪我をさせるわけにはいかないからだ。

 だが、反応がなかった。むしろ気配を感じて斬りかかってくる。

 暗闇の中では、完全に見えるわけではないが、感覚を研ぎ澄まし、間合いを計算した。


 ドスン、……と相手の肩に向かって太刀を振り下ろす。

 ドサリ、……と倒れる音がした。


 賊の動きが足元で止まったが、決して死んだわけではないだろう。致命傷にならないようにしたつもりだ。

 敬虔な仏教徒である忠明には、そこは譲れないところなのである。


『そう簡単に死なれてたまるものか、まだ、わしは極楽行きを諦めたわけではないのだ! 』


 逃げる輩との戦いが一しきり片付いた後のことである。

 気が付くと、いつの間にか建物に火が放たれ、燃えているのが見えた。

 おそらく、建物の中には、立ち入られては困る物があったのだろう。気持ち良いぐらいに燃え上がり、辺りを明るく照らしている。

 やがて、火から逃げてきた賊が次々と門前にやって来たが、もうさして抗わずに打ち捕られた。

 どうやら命からがら逃げてきたようである。

 風に煽られて、建物は真っ赤になって燃えているのだ。飛び散る火の粉からは、誰もが逃げるしかない。


 とはいえ、最後に門前に駆け込んできた者には骨があった。

 捕えようとしても、俊敏な動きで、なかなか間合いに入れない。

 右に左に太刀を振り下ろしたが、見事に空を切る。

 接近戦となると、背の高い忠明はリーチが長いので不利なのだ。

 とにかく、敵ながら驚くほど良い動きをする。

 だが、このままでは埒があかない。今度は大きな歩幅を利用して思いっきり踏みだし左胸を突いた。

 残念ながら、もう少し! ……というところでかわされる。

 それでも、それなりに恐怖を与えたのだろう。敵の動きがピタリと止まった。


「ほぅ、ほぅ、ほほぅ……」


 すると、随分と上手いふくろうの鳴きまねが聞こえる。


「おぅ、おぉぅ……」


 いささか音痴ではあるが、忠明も梟もどきの声で応えた。


「さては、観童丸か……? 」

「いかにも! 」


 危うく、味方同士で斬り結ぶところだったようだ。



「よう、燃えておるな、……賊どもの仕業であろうか」

 太刀を収めて、忠明が観童丸に話しかける。

 夜明け近くになったが、建物はまだ赤々と燃えていた。

「いや、……あれは、わしが焼いたのでございまする! 」

 観童丸が、妙に誇らしげに言う。


「はぁ、 ……何故にそのようなことをしたのじゃ? 」

「縁の下に、まだ何人か隠れておりました故、引き出してやろうと思い……」


「……」


 思わず絶句した。賊が逃げるために時間稼ぎをするのなら分かるが、わざわざ死人が出る方法を選ぶ気にはならない。

 確かに、火事のおかげで捕り物ははかどったが、忠明自身が放火するのは御免である。理性では理解できるが、心情としては承諾しかねることなのだ。


『……この男、生まれにさえ恵まれていたなら、立派な武人、いや、つわものに成り得たのかもしれない 』


 そんな考えが湧いてくる。

 だが、尋常な神経ではない。……やはり、恐ろしい男だ。


 やがて、東の空がしらみだし、火も消え始めた。


 満ち足りたような、惚けた顔をしている観童丸を横目で見ながら、忠明は何とも切ない気持になっている。

『 兵の道は、存外、このような者にしか極められんものなのかも知れんな! 』

 そんな気持ちがこみあげてくるのだった。



 その後、捕らえられた賊の中に、を持ち出そうと懐に隠し持っている者が見つかった。

 それは、およそ市井には出廻らないような高級なもので、おそらく大内裏から持ち出された物だと推測されたのである。

 そこで、この一斉捕縛をもって、畏れ多くも帝のお膝元に盗みに入った賊の件は落着らくちゃくすることとなった。



 あれから二日経ち、美しい十五夜の月が南の空に輝いている。

 忠明の住処にある狭い庭でも、白い月はよく見えた。

 だが、残念ながら、の月見である。

 今夜は、穢れを払うための"物忌ものいみ"の真最中なので、しょうがないのだ。


 因みにとは、人や家畜などの死や、出産等、それらに際して起こる出血のような生理的現象に出会った時、それが原因でが起こると考えていたことに起因する。 

 そこで、そういう事が起こらないように、穢れるようなことがあった時には、心身を清めて数日の間、家に籠らなければいけなくなるのだ。

 残念ながら、忠明達は今回の捕り物で、賊の根城で乗り込み斬り結んだために、とても穢れてしまった。

 当時の人々にとっては、血が流れるような"不浄な場所"に出入りすることは、最も避けなければならないことなのに、最前線で働く看督長や放免は、いつも穢れ仕事をしなければならないのが現状である。

 そこで寂しく、家で謹慎中、……つまり、一人ぼっちの月見を楽しんでいるのだ。

 まぁ、十五夜には"観月の宴"だとかで、有力貴族の屋敷の警備に駆り出されることもあるので、今年は休めるだけマシかもしれないが。


 そんな理由で、忠明は肘枕ひじまくらをしながら、縁側で月を見ている。

 一日中、外にも出られず、誰かが訪ねて来ても迎い入れることはできない。

 そこで、やることもなく一日中ゴロゴロしていた。当然、昼に寝過ぎて、眠くもならない。


『別当様や尉の方々は、じかに穢れていないので、今頃、宴を楽しまれているだろうが、

 まぁ、……忠実人まじめな茂兼様なら、わしらのように物忌なされていることだろうよ! 』

 そう思って、自分で自分の心を慰めた。


 いつもなら、どこかでお相伴しょうばんにあずかり、無理矢理にでも飲んでいるかもしれないのに、……無念である。


 だが、むしろ検非違使庁の御上の方々は、今回の手柄話を酒の肴にして、随分と宴で盛り上がっていることだろう。


 一方で、福安達には慰労会を兼ねた"月見の宴"……なるものに誘われたが、断ってしまった。

 まぁ、放免達にとっては、不浄もくそもないのかもしれないが。

 いずれにしろ、どんなに美しい月を見ても、一人ぼっちでは味気ないものだ。


 そうしていると、忠明の脳裏に、何故だか婆様や皆和の顔が浮かんできたのである。


『秋が深まり、寒い季節になれば、あのままでは放ってはおけまい。

 そろそろ、……一緒に暮らしてみるか 』


 そんな思いが、沸き起こるのだった。



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