第14話  月見れば 忌み日物こそ 悲しけれ(1)

 暦の上では、葉月になった。

 今でこそ、葉月は八月の呼び名になっているが、旧暦では、今で言うところの九月頃にあたる。

 中秋の名月が近づき、季節は本格的に夏から秋に移る頃だ。

 そしてそれは、月の明るさが増し、暑さが収まり、動き易くなることでもある。


 忠明達は相変わらず、例の盗賊達の動きを探索していていたが、それでも十五夜を前に、いよいよ、根城の一斉検挙を行うことになった。


 前日の夜のことである。忠明は全く眠れなかった。

 そこで、朝から河原に出かけると、ザブリと水浴びをしている。

 それでなくとも大きな仕事を前に緊張し、ここのところ、よく眠れていないのだ。

 そもそも、衛士えじとして出仕したものの、これほど早く、検非違使庁の仕事を手伝うことになるとは思っていなかった。

 確かに、体格や俊敏さには自信があったが、忠明自身は、本来、信心深い性格なので、それほど武官に成りたいとは思っていない。むしろ、冷徹さが必要なこの仕事を、重荷に感じているぐらいだ。


『……できることなら、穏やかな人生を送りたいものだ! 』


 川の少し深い場所に入り込むと、忠明は全身を伸ばし、そして空を見上げた。

 早朝の空の色は、まだ青というよりも藍に近い。

 川面には小さな水草が沢山浮いていて、それを掻き分けるように水鳥達が群れをなし遊んでいる。

 そんなのどかな風景が広がっていた。

 おそらく、こんな景色は忠明の郷でも、そして都でも、さして変わらないだろう。

 そう思うと、ふと、望郷の念に駆られる時もある。


『やれやれ、……幼き頃にでも戻りたい気分だ! 』

 忠明は、そんなことを考える自分のことが少し可笑しく思えた。


 今晩は、の月の夜だ。月は完全に丸くはないが、それでも充分に暗闇を明るく照らすだろう。

 上弦の月が過ぎてから、 十三夜月 、 十四夜月 、そして十五夜と月は満ちていく。

 特に葉月の十五夜の月は、中秋の名月として有名であり、身分の高い貴族や裕福な人々の間で、管弦、詠歌等を楽しむ宴が催される。

 つまり、豊かな家人の屋敷ほど財が集まっており、賊どもに狙われる可能性が出てくるのだ。


『奴らのことだ、……そろそろ、動き出すに違いない、

 事を起こす前に、盗人達が集結したところを一網打尽いちもうだじんにするのだ! 』


「おうㇱ……、気合を入れるぞ! 」

 忠明は、顔をパンパンと両手で叩くと、川から上がった。衣を着ると、風がヒンヤリと冷たい。

 サッパリしようと沐浴したものの、いやでも秋の訪れを感じる。

 忠明は思わずくしゃみをした。



 早速、その日の昼を過ぎた頃のことである。

 看督長である忠明や、その部下である放免達が集められた。

 いよいよ、決行のようである。

 そして、使庁の中で直属の上司にあたる安部茂兼あべのしげかねが口を開いた。


「もうすぐ名月の夜じゃ。数多あまた場所ところで宴が開かれることとなる。

 盗人共からの憂いを無くす為にも、今宵、我等は! 」

 と言い放った。


 とはいえ、夜討ちを仕掛けるのである。これは、本来、当時の雅な人々にとっては、上品な闘い方とは言い難いのだが、賊を相手に手段など選んではいられない。 やれることをやるだけである。


 因みに、安部茂兼は切れ者だ。

 検非違使庁の仕事に直接携わるのは、じょう (三等官)から下の役職の者だが、茂兼の上には、三人の藤原氏出身の尉がいる。

 だが、いずれもつわものとは言い難かった。

 彼らは、皆、中級以上の貴族の生まれであり、直接、 けがれることを はばかる立場にあったからだ。

 しかし、使庁の仕事は、そんな綺麗事では済まされない。そこで、現場との調整は茂兼が積極的に行っている。

 例えば、捜査の進捗しんちょくなどは、比較的話し易い" 藤 原 宣孝ふじわらののぶたか"(後に、紫式部を嫁にした人物である) などを通して、現場のことを余り知らない別当や、御上の方々に報告していた。

 その上、現場では忠明達"汚れ仕事組"の指揮も執る。そんな、見事な調整役であった。

 しかも、細面ででもある。


 また、茂兼が言葉を続けた。

「まぁ、つまりのところは、不浄な仕事をすることなるが、終わらせてしまって、穢れついでに忌日いみび(穢れを払うための謹慎日、つまり休日)をとって、名月で一杯飲める! ……というわけじゃ、どうじゃ、良い話であろう? 」

 そう言うと、 切れ長な目を細めて笑った。



 月が、南の空高く登りきった時刻のことである。

 根城の辺りに隠れ潜んでいる忠明らのもとに、焦臭こげくさい香りが漂ってきた。

 すると、心なしか屋敷の中が明るくなった気がする。

 松明たいまつの数をいつもより増やしたのだろうか、 松脂まつやにが燃える臭いが風に乗って鼻に届く。

 どうやら、賊達も襲撃の準備態勢に入りつつあるようだ。

 確かに、ここ数日前から、人の出入りや荷物の持ち込みが増えている。

 ……彼らにとっても、仕事にかかる頃合いなのだろう。


 いやしくも、御所に押し入ったことがある賊達を相手にするのだ。

 完璧に、一網打尽にすることは儘ならなくとも、ある程度の成果を上げねば、検非違使庁の面目が立たない。


「……どうやら、いよいよ時が来たのようじゃな」

 忠明は、隣に控えた観童丸に、話しかけるでもなく、さり気なく呟いた。


 茂兼が指揮官なら、忠明は、自らも動く現場監督のようなものである。

 観童丸が忠明の顔を見上げた。


「では、参りまするぞ」

「おぅ、……」


 忠明もまっすぐに視線を交わす。


 先鋒せんぽうに選ばれたのは、観童丸と、その少し年上の犬早丸いぬはやまるである。

 観童丸の俊敏さはもちろんのことだが、犬早丸も同様に素早い。

 二人は、暗闇の中に脱兎の如く消えたかと思うと、門前に控えていた門番達の後ろに廻り込み、短刀で切り倒した。

 そしてそのまま、火の点いた松明を番小屋の中に投げ入れると、あっという間に、簡単な木造建築は燃え上がる。


 やがて、丁度、良い塩梅あんばいに燃え広がったところで、観童丸が叫んだ。


「火じゃ、火が出たぞ! 」


 すると、その声とモクモクと上がる煙に、門の内から人が駆けつけたが、犬早丸はそれを素早く打ち倒すと、門を開いてしまった。


 いよいよ、突入である。

 暗闇の中での闘いが始まった。


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