第12話 『あぁ無情』という思いが、ある時……ない時 ! (1)


 平安時代の京は、言うまでもなく、政治の中心であった。

 そこで、何らかの形で朝廷の仕事に関わっていた官人や、その家族の人数を考えると、四、五万は超えていただろう。

 それに、ともとして仕えていた者達や、主に雑用を請け負っていた者らまで含めると、それなりに多くの人口になっていたのではなかろうか。

 また、平安京には、忠明のような警固要員が集められていたし、他にも、様々な仕事を求めて地方出身者が流入していた。

 もちろん、土着の農民もいたが、京の課税は少し軽めだった為、他国の農民も入り込んでいたようだ。


 だが、そう簡単に需要と供給は常に釣り合うものではない。

 例えば、地方から上京しても、仕事に上手く就けなければ、生活できずに道を外してしまう者も出る。

 また当時、頻発していたで、家や耕作地を失った者達もいただろう。

 つまり、仕事に溢れ、生活の術を失った者らは、簡単に盗賊や物盗りになり得た訳である。

 いずれにしろ、京の町の治安は、それほど良くなかったようだ。

 だが、それだけではなく、都に窃盗目的でやって来る者も少なからずいた。

 そして今、忠明らが捕えようとしているのは、そういう輩なのである。



 清水寺の南方にある阿弥陀ヶ峰あみだがみねの辺りに、ひっそりと森に隠れるように建つ立派な屋敷があった。

 この屋敷、一見、裕福な商人の住まいのように見えるが、それにしては廻りを堅固な土塀で囲まれている。その上、それを取り囲むように堀まであって、まるでちょっとした平城のようだった。

 そして、門の前には小屋があり、門番たちが控えている。

 実際、これほどの備えがあれば、少々荒事があったとしても、強気でいられるのかもしれない。

 それに、この屋敷、巧妙に見つかりにくい場所にあったので、放免たちの中でもこの場所を知る者はそういなかった。


 因みに、この屋敷の主人は井端清澄いはたのきよずみという窃盗団の首領である。

 そして、ここはその根城であり、盗賊団員達の棲家すみかでもあった。


 清澄は、若かりし頃、見習い僧侶をしていたらしい。

 だが、何時の頃からか僧侶の道を踏み外してしまい。あろうことか、盗賊の首領の娘婿になってしまった。

 そのせいか、今も髪は短くもとどりも結わず、まるでだらしない僧侶が髪を剃りそびれたような外見をしている。……という噂だ。

 また、背丈は程々に中背だが、顔はで、何ともユニークな感じがし、しかも人柄らしい。


『こやつは、盗人どものあるじぞ! 』


 とでも紹介されなければ、ただの市井の坊主ぼうずにしか見えない。という話である。


 だが、この屋敷、見れば見るほど僧侶の住居としては、随分と手が込んでいた。

 堀に架った橋を外すと、少しの間なら籠城ろうじょうも可能かもしれない。

『えぇ! ……ここまで、堅牢な守りが必要なのか? 』

 と、この屋敷を初めて偵察した時、忠明はちょっと引いた。


 その時以来、忠明とその配下である放免達は、ずっと、この根城に出入りする人物を見張っているのだ。

 とは言え、周囲の道にこっそり身を潜め、どこに出かけるのかをチェックするぐらいしかできていないのだが。

『それにしても、どこからこんなに人が湧いてくるのだ! 』

 そんな風に思えるほど、屋敷には人の出入りがある。

 おそらく、普段は商人として、いろいろな物を商いながら情報を集め、タイミングを見計らって"押し込み"をやるのかもしれない。


『ふん! ……盗品ただのものを売りさばくなら、さぞ儲かることだろうよ! 』

 とにかく、忠明のような下々の者には、ちょっと羨ましくなる場所である。



 放免らの中に、唯一、清澄に面識のある男がいた。

 実は、その男の情報から、笞刑をうけていた男が清澄の仲間だと判ったのである。

 忠明と同じく、和泉国いずみのくにの出身で、名は福安ふくやすという。

 また、故郷を出て来た動機もよく似ていて、広い都で少しでも良い仕事に就こうとしたが、思うようにならず、路銀ろぎんも尽き果て途方に暮れ、生きる為に物盗りに身を落としたとのことである。

 ただ、捕えられた時は、まだ初犯だったので、放免として働く機会を得た。

 今は専ら、同郷のよしみで忠明の仕事を手伝っている。


 妙な話だが、出身のみならず、境遇までが似通うと、忠明的には何となく他人のようには思えなくなり、いつの間にか、他の部下より重要な仕事を任せるようになっていた。

 そこで今では、他の放免達と忠明との伝達役つなぎをやっている。

 だが、立場的には忠明に近くても、身分的には放免として扱わなければならない。

 それでも、放免達の中では一番気心が知れている男だった。


 その福安の話では、清澄に初めて会ったのは、都に来て、まだ間もない頃のことであったそうだ。


 その日は、夏の夕立に激しく叩かれ、ずぶ濡れになっていた。

 長らく続く京でのに、全財産をなくしていた福安は、行き場もないので、寂れた寺の経堂きょうどうに潜り込むと、とりあえず雨が止むのを待つことにした。


 だが、そこには先客が居たのだ。

 上京以来、いろいろと物騒な経験をしていた福安は咄嗟に身構える。

 が、しかし、よく目を凝らすと、そこにはそれ程身分が高いようには見えない初老の男が、一人でポツンと座っていただけであった。

 ボロの僧衣をまとい、ザリザリした白髪交じりの短い髪、無精髭ぶしょうひげを生やした長い顔には思いの外、気のよさそうな瞳が見える。


『だが、油断はするまい。京の都では、誰もが

 ……何か厄介なことに巻き込まれたら、田舎人でんじゃびとの儂では立ち行かないだろう 』


 そんな考えが、その頃の福安を雁字搦がんじがらめにしていた。


『……この男は、一体、何者だろうか?  面倒な事になってたまるものか! 』

 そう思うと、福安は帯の後ろに隠し持っている短刀に手を掛ける。

 

「……よう、そこの若者わこうどよ! 」

 すると、その僧侶らしき男が先に口火を切った。


「随分と、たるそうじゃな、……そなた、のか? 」

 福安から、何か殺気のようなものを感じ取ったのかもしれない。老僧は、まるで落ち着かせるかのように、ゆっくりと話しかけてきた。


「……」


 だが、福安は、返事をしない。


『 まだ油断はできない。……儂は田舎者なのだ!

 口を開き、言葉を発すると、おさとが知れる。

 都人には、何を言われるか解ったものではない 』

 何日にもわたる厳しい都暮らしが、福安の心を獣のようにかたくなにしていた。


「……まぁ、えぇ、共に食わんか? 」

 男はそう言うと、頭陀袋ずたぶくろ(僧侶が使う荷物運搬用の袋)から乾し飯ほしいいを出し、それを福安の目の前で割って渡す。

 乾し飯とは、炊いた米を保存が効くように天日で干し、乾燥させたものである。当時の旅行用の簡易食だ。


 福安は、渡された乾し飯を握りしめると、暫くの間、凝視していた。

「腐ってもおらんし、毒でもないぞ……」

 そう言いながら、老僧は乾し飯をかじっている。

「……腹が減ると碌なことがない。さっさと喰え! 」

 その言葉に背中を押されるように、福安は飯をむさぼり喰らい始めた。

「そなた、都に仕事なりわいを求めて来たのか? 」

「そうじゃ、……だが、上手くはいかなんだ! 」

 すると、老僧は"然も有りなん当然だろう"という表情で笑う。

「そりゃそうじゃ、……そなたのような者が、この都には山ほどる。そう容易くはあるまい」

 飯を喰い終わり、やっと人心地が着いたせいか、福安が重い口を開いた。

「それでも、儂は都に居りたいのじゃ……」

「ほう、それでは、いろいろとなるまいな」

「はぁ……? 」

「では、ここで生きていく為にも、良きことを教えてやろう……」


 それは、盗人として生きるには、とても有意義な情報であった。

 ……どこでなら、確実にが得られるのか、

 ……その為には、どう振る舞えばよいのか、

 今までの福安にとっては、全く考えもしなかった選択肢が提言されたのである。


「おい、それではまるで盗人ではないか……」

「いやいや、……まことに盗人の所業じゃよ! 」

「……」

「生きて行く為には、多少の面倒には目をつぶらねばなるまい。

 ……なに、持っている者から、少しだけ分けてもらうと思えばよいのじゃ! 」



 この話を聞いた時、さすがに忠明の背筋も凍りついた。

 もし都に来た当初、同じ状況で清澄に出会っていたら、自分も盗人になっていたかもしれない。

 ……そんな気持ちにすらなる。


「それで、そなたは盗人になったわけか? 」

「あぁ、それは間違うてはおらん。……ただ」


 福安は放免のくせに、酒を飲めば忠明にで話す。


「……ただ、何じゃ? 」

「なってみて判ったが、儂は盗人には向いておらん。……そう思っておった」

「それで、あの時、あらがわずにあっさりと捕われたのか」


 何を隠そう、福安の捕縛は、忠明の初手柄だったのだ。


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