第10話  看督長様とブラックな お仕事……!(1)


 やがて夏の盛りも過ぎ、夕暮れには涼やかな風が吹く頃になった。

 だが、季節は過ごしやすくなっても、忠明はどんどん忙しくなっていく。

 そして、今日も、日が暮れかけている時間だというのに相変わらず労働中なのだ。


 薄暗く広い土間の一角に、ごく最小限の広さだが、辛うじて事務仕事ができるような場所が一段高く設えられている。

 今、忠明はそこに座し、新しく連れて来られた罪人の取調べを行っていた。

 ここは獄の中でも、とりわけ暗く、部屋の中には、いろいろと刑具が置かれている。

 そして、夏はジクジクと暑く、冬はシンシンと寒い。

 さすがに冬は、暖も取れるようにと火桶ひおけを使うが、夏の終わりの今では、熱いことこの上なかった。


『それでも、直接、日が当たらないだけましかもしれない。

 あぁ、いっそ早く、夜になってしまえ! 』


 そんなことを思いながら、忠明は仕事をしている。


 因みに、今日の取り調べ対象は、三〇歳前後に見える小太りな男だ。

 この男は、去る六月末に、式乾門しきけんもんより御所へ侵入した盗賊の一味と見られているが、今のところ、別件で捕らえられ、ここにつながれていた。

『畏れ多くも、帝の御座おわす御所に侵入し、盗みを働くなど、あり得ない話ではないか? 』

 そんなふうに思う人達もいるかもしれないが、長い都の歴史の中では、実際、そんな事件が幾度となく起こったようだ。


 実はこの男、賭博とばくで揉めて、刃傷沙汰にんじょうざたを起こしているところを捕らえられたのだが、獄で働く放免達の情報から、御所に入った盗賊の関係者として訊問じんもんされることになった。

 土間には三人の放免が控えており、今まさに、男の笞刑ちけいが始まろうとしている。


 笞刑とは、ちもと(木製のむち)で打たれる刑のことだ。

 現代の私たちにとっては、鞭で打つなど、残忍で非人道的な刑のように思えるが、これは当時の刑罰としては寧ろ軽い方で、笞打ちも"五〇回まで"と限度があり、もし執行中に死人が出たりすると、むしろ、その刑の執行人の方が責を問われたらしい。

 それに、もし笞刑の沙汰さたが下りたとしても、"贖銅しょくどう制"があり、笞打ち一〇回につき、銅を一きん(現代では約六〇〇グラム程度)を官司に納めると、刑の執行は止められたのである。

 このような、緩い扱いが許されたせいか、貴族等の富裕層の中には、罪を犯しても、実刑を受けずに済むことがあったようだ。


 さて、この男の場合だが、この時代、賭博は朝廷によって固く禁止されていたので、本来、厳しい処罰を受けるはずだった。しかし、金も質草もなくて、賭けたくても賭けることができずに賭場で暴れただけなので、捕縛されても笞刑を受ける程度で済むことになったのである。

 むしろ、この男のおかげで、何人もの違反者が摘発された。

 その中には下級貴族や、それに準じる者もおり、贖銅に応じる者もがいた為、むしろ使庁は貴重な財源を得ることになったのである。

 また、こんなふうに徴収された銅は、原則的として国家に帰し、獄舎の修理や囚人の衣料・敷物(むしろ)・薬代等に充てられていたようだ。

 しかし、残念ながら、この男に銅を調達する術はなかった。そこで、そのまま刑に服している訳である。



 男は磔柱はりつけばしらに縛り付けられると、背中をむき出しにされた。

 そして、これから執行される刑を見届けることが、他ならぬ忠明の仕事なのだ。

 だが忠明の視線は、直接、男の方に向けられることはない。

 何故なら、けがれた行為を見ると、自らも穢れると信じているからである。

 そこで、一段高くなった場所に座したまま、これから始まる尋問を記録しようと下を向いていた。


 因みに、あのの一件があってから、何がどう転んだものやら、忠明は大抜擢ばってきされ、看督長かどのおさという役職に就いている。


 看督長とは、衛門府の下で働いているもの中で、武芸優秀な上に実務能力もある者が選ばれていたようだ。元来は、獄の管理を主に任されていたようだが、時代のニーズとともに、その武力は群盗の追捕ついぶに利用されるようになり、この頃には追捕の職務が主となっていた。

 だが、看督長は、検非違使庁の仕事を手伝わされていても、正式の使

 にもかかわらず、まるで検非違使のように荒い仕事に駆り出され、囚人と直接関わらなければならなかったようだ。

 どう考えても、かなり面倒な仕事を押し付けられているとしか思えない。

 つまり、いざという時には自らも弓箭きゅうせん(弓と矢)を帯び、下部しもべ(といっても、ほぼ放免達だが)を指揮し、敢然と賊と格闘しなければならなかった。

 実のところ、看督長とは、検非違使庁の組織を底辺で支える厳しいブラックな仕事なのだ。

 そして今日も、忠明はそんな汚れ仕事をしていた。



『果たして、わしに看督様かんどさまなどを務まるのだろうか? 』


 急に決まった人事に、最初の頃、疑問を持った忠明は、先輩の錦為信に聞いてみたことがある。

「おそらく、そなたの改名を機に、お決めになられたのだろう! 」

 すると、為信はそう笑いながら答えた。

「実を申すとな、……あぁ見えて、別当様はなのじゃ、

 大勢の前で改名を求められても使庁で働くことを選んだ。

 ……そなたの覚悟を知って、お選びになられたのであろう」

 そんなことをまことしやかに言う。

「はぁ……? わしには、ただの嫌がらせにしか思えませんでしたが」

「よう、考えてみよ! 

 ……別当様は、高貴な生まれの方だというだけではなく、さかしい人でもあるのじゃ。

 ……この様な、怪しげな者が出入りする使庁のかみを、十年近く勤めておられるのだからな!」


 めているのか、けなしているのかわからない、複雑な言葉が返ってきた。


 確かに、源重光の経歴には目を見張るものがある。

 二十一歳の年に昇殿して以来、各地の国司を歴任し、左近衛中将さこんえのちゅうじょうにもなり、四〇歳そこそこで朝廷の議事を話し合う"参議さんぎ"の一員にまでなっているからだ。

 検非違使庁の仕事は、実際は"じょう判官はんがん)"と呼ばれる衛門府出身の優秀な武官が中心になって動かしており、別当はどちらかというと名誉職だった。だが、それでも多くの仕事を兼任しながら、使庁の最高責任者として現場と朝廷の調整を続けてきたのだ。優秀でないはずはなかろう。


「そなたが"見どころのある者"と思われたから、選ばれたのであろう。

 ……案ずるな、 しっかり努めればよい! 」

 為信がホワリと言った。

「はぁ、……そうでしょうか」

 忠明は、意外なコメントに恐縮している。

「ほほっ、……嬉しそうで何よりじゃ、

 ……決して、何時も忙しうて、成りたがる者がらん仕事だからではないぞ!

 ……まぁ、めずに、せいぜい励むことじゃ! 」

 ニマリと笑われてしまった。

 そんな訳で、忠明は、このブラックな仕事を請け負わされている。




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