第8話  女童の大冒険

 狭い小屋の中で、捨身尼、忠明、水泡の三人がそろって夏の菓子を味わいながら談笑している。

 ところで、この時代の菓子スイーツというと、今で言うところの"果物"が殆どだった。

 もちろん、餅や団子なども、一部の身分の高い人々の間では出回っていたかもしれないが、貧しい庶民のことだ、夏の季節らしく"瓜"を食べている。

 これはこれで、真夏でも涼を感じられる、とっておきのお菓子と言えるだろう。


「ほんに、この瓜は美味しいですね」

 婆が嬉しそうに頬張った。

「来年は、私がこれを育てましょう! 」

 水泡もニコニコ笑っている。  

『なんだ、あんなに泣いておったくせに 』

 忠明は、ちょっとだけ悔しい気持ちになった。

 だが、その変わり身の速さも女性の醍醐味なのだろう。 忠明は、そんな風に思った。


「しかし、この伸し餅、随分と立派な物ではないか、このような物をよく手に入れたものじゃ! 」

 忠明が感心している。

「身分の高い方の供物のお下がりですもの、本当に有難いことです。苦労しただけのことはありました」

 そう言うと、水泡は、今日、寺で経験したことを嬉しそうに話し始めたのである。



 婆様と生活するようになって、水泡はいろいろと工夫するようになった。

 近場の人の畑を手伝ったり、自ら食べられる草や実を探したり、時には寺の側で物乞いまでして、カツカツではあったが何とかやっていけるようになったのである。

 もちろん、忠明に頼めばもっと簡単に解決できたのかもしれない。

 だが、幼いころから苦労し、厳しい世界で生きてきた水泡には逆にそんなことはできなかった。


 そして、その日も、太陽が昇ると同時に歩いて法要のある寺に行くと、渡り廊下の下に隠れ、時が来るのを待ったのである。


 やがて太陽も高く登り、昼過ぎになりかかった頃、読経の声が止んだ。

 そこで勇気を出して縁の下から顔を出すと、廊下を忙しそうに歩く僧侶を呼び止めた。


「すみませぬ! もしよろしければ、功徳を積むと思って、どうか、御供物おくもつを下さいませ」

「フン!……まだ早いわぁ」


 僧侶はそう言うと、忙しそうに立ち去った。

 実際、法要後の昼食会の用意でもしているのだろう。皆がいそいそと行き来している。

 それでは暫く待つしかないと、じっと我慢し、食事が終わったのではないかと思われる頃に、今度はもっと落ち着いた感じがする年配の僧に声を掛けてみた。


「どうぞ、この御仏の弟子にも、御供物を分けて下さりませんか」


 僧侶は水泡の顔を見ると、ポカンと口を開けた。

「そなたは人間か? 猿ではないのか……」

滅相めっそうもございません」

 すると、僧侶は必死に堪える様にクックッと笑い出した。

如何どうしたものかのぅ、……これはこれは」

 ひどく笑う。

 こう見えて、水泡も娘なのだ。

 何だか扱いを受けた気がして、耐えられなくなった。

「何故、このような処に参ったのじゃ」

「あのぅ、……ある尼様に、この寺の皆さまは良い御方ばかりだと伺いましたので」

 今度は、僧侶の顔が曇る。

「どこの誰かは知らんが、怪しいことを申すのう」


 すると、二人の会話が聞こえたのか、一人の女人が声を掛けてきた。

「これは、何を話していらっしゃるのですか? 」

 見上げると、上品なきぬを着た、年の頃なら二〇代後半に見える女性が立っている。

 どこかの貴族の奥方なのだろうか、それほど高価な衣を着ているわけでもないが、清潔感があり、自然な美しさが感じられた。

「厚かましいお話かもしれませんが、御供物のお下がりを頂きたく、参上致しました」

「あら、何で御供物なの? 」

 その女人は、少し胡散臭うさんくさそうに、だが、興味深々という面持ちでに水泡の顔をまじまじと見ている。


「うーん…… でも、……もっと何日か後になった方が、沢山あると思うわよ」


 何となく面白がられているのかもしれない。特徴のある、気だるげな声で話しかけられた。


「……それにー、もっと日が経った方が、お経が有難い御供物になるかもしれないわよ! 」


「あのぅ……」

 このまま、のらりくらりと話していたのでは、結局、目的は達成できないのでは?

 女人の話ぶりから、そんな考えが水泡の頭をよぎる。


「実を申しますと、……食べ物もまともに得られぬ身でして、仏様の御心におすがりし、ここでなら古くなった物でも頂けないかと参りました」

 とうとう、女人を相手にを言ってしまった。

 水泡は、今までになく必死である。

 少しでも自立しようと、ここまで出張ってきたのだ。婆の為にも手ぶらでは帰れないと思っている。


 すると、女人は少しの間、水泡の顔を見て考えている様子だったが、おもむろに口を開いた。

「良いでしょう。……では、折角、ここまで来たのですから、御仏にも喜んで頂く為に歌でも詠みなさい! 」

「……」

 思わぬ無茶ぶりに、水泡の顔が硬直する。

「あの、私には、……そのような芸がないのですが」

「あら、そうなの。……じゃあ、何か口遊くちずさむとか舞うとか、出来ることがあれば何でもかまいませんが? 」

 全く悪気がないのか、女人はニコリと笑った。


 あぁ、……もう、どうにでもなれ。

 水泡は半ば自棄になり、唯一、聞き覚えのある今様いまようを謡ってみることにした。

 今様とは、当時の流行歌はやりうたである。



 滝は多かれど …………

 うれしやとぞ思う ………… 鳴る滝の水 …………

 日は照るとも ………… 絶えでとうたへ…………

 やれ、ことつとう…………


 伸びやかな声で朗々と歌う。

 いつもは引っ込み思案な水泡にしては、大胆な行動をとったものである。


 この歌の意味だが、


 滝は沢山あるけれども……………

 嬉しいことだ…………… 鳴りとどろくこの滝の水を見ると………………

 たとえ日は照りつけても……………… 水の流れは絶えないで………………

 とうとうと鳴る………………


 というのが大意である。



「あら、思いの外やるじゃない。……それに、妙音びせいね」

 水泡が顔を上げると、女人の顔がほころんでいるのが見えた。

「それで、その滝って、どこの滝なの? 」

 思わぬ質問に、普段は何も考えずに歌っていた水泡は慌てる。

「えっと、……おそらく音羽おとわの滝ではないでしょうか。滝の水に日の光が当たると、それはそれは美しくて……」

 必死に答えを絞り出した。

「まぁ、 清水きよみずさんですか、私もよくお参りに行くけど、……そうなの? 」

「はい、私は清水寺のすぐそばで生まれましたので……」

 まさか、『寺に捨てられていました』

 ……とは言えなかったが、何とか会話を続けることができた。


「それはそうと、貴方、そんな格好しているけど、本当は年が若いのでしょ?

 声で判るわよ。

 折角だから、今度、歌う時には小綺麗な姿で歌いなさい! 」

 そんなふうに、ご丁寧にもダメ出しまでしてくれる。


「……そのほうが、きっと運が開けるわ! 」


 そう言うと、女人はニッコリ笑って、お供えの餅や菓子を紙に包んで渡してくれたのである。



 さすがに疲れていたので、帰路は小屋の近くまで馬借ばしゃくの荷車に乗せてもらった。

 もちろん、その対価として菓子を少し渡すことになったが、それでも伸し餅だけは何枚か持ち帰ることができたのである。



「おぅ、ようったな! 

 なかなか見事なお人柄の女人じゃ、わしもうてみたかったわ……」


 忠明は、水泡の話を聞き、内気な女童めわらわの冒険に思わず胸が熱くなったのである。


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