第6話  魔改名の夜

 あれから半時(約一時間)ほど経った。

 理明は、錦部文保のともとして、清水寺の参道途中にある立派な邸に連れてこられている。ここは恐らく身分の高い者や、富裕な連中が利用する場所なのであろう。

 そこでは、検非違使の別当べっとう(最高責任者)である源重光みなもとのしげみつが酒宴を催していた。部屋にはとても風雅な屏風が飾られており、清げな敷物も敷かれていて、決して身分の高い貴族を招いてもおかしくないほど立派なしつらえになっている。


『 何故、こんな場違いな所に呼ばれたのだろう? 』


 理明は緊張しながら隅の方へ隠れるように座った。

 源重光は、醍醐天皇の孫にあたる生粋ので、検非違使の補佐的な仕事しか任されていない理明にとっては、本来、お目にかかれるはずもない雲の上の存在なのだ。



「よいか、聳丸 ! …… ちょっと明法をかじったとしても偉くはなれんぞ、そちの様なものは、学問より目立つことをせねば何事もできぬまま終わってしまうぞ! 」

 そんなことを文保に言われたことがある。

「お言葉ですが、今の使庁では学を極めた者の方が、お役に立てるのではないかと思いますが? 」

 理明も、取り敢えず言い返してみた。

 実際、細かい事務仕事が溜まっているからだ。


『身分が低い……』

 などと言われても、そういう錦部文保も理明とさして変わらない下級貴族の出ではないか。


「ははは……、それでは何故にそびえておるのじゃ、そのように見事な骨柄こつがらに生れながら、それを活かさん理由はなかろう。武官として身を立てよ! 」

 文保に一笑された。

 どちらかと言うと、算学が苦手な文保は、時々、妙な説教をしてくる。


「武の道は厳しいものでございますれば、私などではとてもとても……」

「何を申すか、……ははは、そちのようにデカければ、良いになるであろうに」

「………」

 ちょっと、ムッとした。



 文保とは、こんならちもない話を時々振られる関係なのだ。

 そして今夜は、そんな文保の勢いに飲まれて付いて来てしまった。


 源重光は、従者として府生の安部茂兼あべのしげかねを連れている。

 そして、その茂兼は部下の文保を呼び出し、文保はより下っ端の理明を駆り出したのだ。

 当時の貴族や、身分の高い人々は、その地位や財力に伴った従者を連れ歩いた。さほど身分の高くない下級貴族でも、やはり同じで、普段は余程の事情でもなければ単身で出歩くことはない。

 もちろん理明にも、若竹丸や磐治いわはるという父親の代からの古参の従者がいるのだが、検非違使庁の中では、序列的に一番低い立場なので、時々、従者の仕事をさせられていた。

 また、当時の上級貴族の間では、いかにも屈強に見え、しかも外見的にも魅力的な従者を引き連れるのが流行っており、そこで、背が高い理明は何処からも目を引くので賑やかしに連れ出されたのである。

 そんな、で、理明は、貴人の酒宴に忍び込めたのだった。



 さすがに止事無やんごとない方のなされようだ。理明のような末席の者にも、それなりに良い肴が出されている。

 理明は、初めて経験する貴人の酒宴に舞い上がっていた。

 地方出身者にとって、都の食物はとても魅力的だからだ。

 魚や菓子(果物)は生まれ育った和泉国いずみのくにの物の方が新鮮なはずなのに、より高級な物に見えるから不思議だった。

 とにかく、出されている物はなるべく食べたい。そこで大きな体を隠しながらソロリソロリと食べている。


 初めの頃こそ、声を上げて歌ったり、酒宴に連れてこられた女達が舞を舞うなどして場を盛り上げていたが、やがて、時が経つにつれ、場の空気が白けだした。

 皆一様に疲れているのか、何とはなしに重苦しさまで感じられる。

 どうやら、重光は暫く本宅に帰ってないらしい。そこで業を煮やした妻君めぎみ行明親王ゆきあきらしんのうの娘、宇多うだ天皇の孫にあたる)に頼まれ、茂兼と文保が迎えに来ているらしい。

 だが、二人そろって肝心のことが言えず、ただ時間だけがダラダラと過ぎていく。

 酌をする女達にも疲れが見え、蒸し暑い夏の空気の中、誰もが欠伸あくびを噛殺し始めた。


「そこの見かけぬ顔……、そちが聳丸そびまるか」

 まるで、退屈を打ち破るかのように、が口火を切った。

 まさか、こんなに身分の尊い方にまで噂が知れ渡っているとは、ちょっと心外だったが、いくら部屋の隅で小さくなっていても、大柄な体は隠しきれるものではないのだろう。

 とうとう、酒肴にされるようだ。


「ほんに、噂に違わず聳えておるのう! 」

 重光は、薄笑いを浮かべながら下賤げせんの者に話しかけてきた。

「はぁ……」

 思わずかしこまってしまう。

 別当は、検非違使庁での究極の上司ではあるが、これ程の大物に直接話しかけられるとは思いもよらなかったからだ。

 目を伏せ、面を下げたまま固まっている。

 この場に居れば、いずれ話の種にされるだろうと覚悟はしていたが、遂に来た。

「ほんに大きいのう……、そちは相撲人すまいにんにはならんのか? 」

「はぁ、……只今、及ばずながらも明法を学んでおりますので、できれば、こちらでお役に立ちたいと思っております」

「なんじゃ、つまらんのう。そちは確か、昨年の相撲節すまいのせちで、手負うた相撲人に代わって布引ぬのひきを行った衛士えいじであろう」

『……よく覚えているな! 』

 正直なところ、気軽に返事して良いものなのか、考えあぐね固まっている。

「……お、お覚え頂いていたとは、畏れ多いことでございます」



 相撲節とは、この当時、原則として七月の末に催されていた宮中の年中行事の一つである。

 日中には内裏の庭で、天皇や上級貴族を前に、地方から召集された相撲人達が相撲をとるのだが、夜には宮中で宴席も設けられていた。

 また、今の大相撲と一番違う点は、相撲の取組の合間に、楽人達の演奏や舞人達の舞楽が差し挟まれており、結構、華やかな行事であったようである。

 ちなみに"布引"とは、取組後の余興性の高い出し物だったようだ。

 左右に分かれた相撲人達に布を一反いったんずつ持たせると、それを縄のようにらせ、綱引きのように引き合わせることで力自慢をさせるものだった。そして、その後に宴が開かれるのだ。


 その日は、偶然にも取組中に怪我人が出て、急いで代理を出さねばならなくなっていた。

 当時の相撲には土俵がなく、当然、土俵から出せば勝敗が決まるというルールもなかったので、そこで、相手を力ずくで地に伏せたり、戦闘不能にしなければならなかったようだ。 その為か、怪我人が多く出て、代役が立てられた記録がある。

 また、相撲節の担当は、本来、天皇の警護が職務である近衛府だった。

 とにかく、この饗宴を盛り下げないためにも、"人目を引く人選を!"と焦った結果、偉丈夫いじょうぶ(見事な体格の男子)の理明が選ばれたのである。


 断っておくが、理明は決して本物ガチの相撲人志願者ではない。

 確かに、相撲節にも出られるような屈強な若者を集めに来た"部領使ことりづかい"に連れられて都には来たが、元を正せば、口減らしで上京することになった地方貴族のせがれである。

 初めの頃は、衛士になるために衛門府に入ったものの、何もわからず右往左往していた。それでも、体格だけは良かったので悪目立ちしていたのだが、結局、それが原因で大抜擢されることになったのである。


 だが、いざ布引の役が決まると、『このチャンスを逃すものか! 』 と、心が跳ね上がる思いに駆られた。

 毎年、御所の警護のために、地方から沢山の若者たちが上京して来るが、衛士として勤めても、数年のうちに役目を終えて帰省してしまう。

 しかし、たまに見込まれて衛門府の役人になれる者もいた。

 そこで、それこそ千載一遇の好機に思えたのである。



 だが、本物の相撲人と向かい合わせになってみると、思った以上に、相手の存在感に圧倒された。布引は本来、取組みではない。布の両側を相撲人同士が引っ張り合い、互いの力強さを見せるものなのだ。


 だが、単純に引っ張るだけでは目立たない。

 ……このままでは印象なんか残らないだろう!

 そこで、理明は必死に考えた。

 こういう時こそ、物を言うのは度胸だ!

 ……少しでも目立ってやろう。


 理明は下半身に力を入れると、力強く引いた。すると当然のように、相手も負けまいと全力で引き返してくる。

 相撲人の年齢は、二〇代後半ぐらいに見えた。背丈こそは理明より少し低いが、肩幅は広く、分厚い肉付きの力士体型で迫力がある。

子供わっぱのくせに、小賢こざかしくも挑んできよるわ……』

 そんな表情が見て取れた。

 激しく引き合うせいか、布が縄のようにギリギリと捻じれて、掌が痛い。

 しかし、本物の相撲人を相手に、打ち勝つわけにはいかないだろう。

 ……そう思い、一瞬、力を緩めた。

 すると、ズルズルと、相手が体勢を崩し、後ろに倒れそうになる。

 ワッと歓声が上がった。

 だが、さすがに本物の相撲人である。見事に力強い両足でバランスを取り戻すと、今度は布を引き取られてしまった。

 すると、人々の感声がドッと響き渡ったのである。


 理明の臨時代行は無事に済んだ。

 そして、その夜には褒美として餅が与えられたのである。



 今となっては、懐かしい思い出だ。

 そして、この一件が関係したのか、それから間もなく、理明は最下層の仕事ではあったが、衛門府で採用されることになったのである。


「あの時は、面白いものを見せてもろた。……どうじゃ、こんな所にいたのでは、果報にも恵まれんぞ。相撲人にならんか」

 畏れ多くも、別当の源重光が、理明に直接話しかけてきた。

「はぁ、……できれば、使庁の方でお役に立ちとうございますれば! 」

「……何と、このまま検非違使になるつもりなのか? 」


『おい、なったらアカンのかい……!? 』

 と、理明はで突っ込みそうになる。


 すると、重光の顔が心なしか曇ったように見えたのである。

 それでなくても、上京した当初、理明は相撲人と間違えられ、京童部きょうわらべ達に絡まれて困ったことがあるのだ。むしろ何故、そんなに相撲にこだわるのか、こちらが聞きたいぐらいであった。


「よいか、相撲人として出世したならば、それ相応の褒美が与えられる。

 "最手ほで"(現代の横綱的立場の者)ともなると、免田めんでんさえ賜ることもあるのじゃ。

 どうじゃ、郷に帰っても誰にも何も言われまい! 」


 免田とは、朝廷から特別に税を免除された田地のことである。

 王朝時代の最手には、褒賞として八〇ちょうもの広さの免田が与えられた者もいたようだ。

 ちなみに当時の一町とは、だいたいサッカーコート二面分程の広さだったようである。

 そこで、単純にその面積の八〇倍だとするなら相当な広さであり、いかに破格の扱いであったかがよくわかる。



 だとしても、今の理明にとっては、土地などあまり意味がなかった。

 何故なら、故郷に帰ったとて、あまり歓迎されるような立場でないからだ。

 いや、むしろ都で職を得て、立派に自立することが、一番の誉れになることだと思っている。


「私は、故郷くにに居ましたころより、都でそくに就くことに憧れておりましたので」

「なんじゃ、……相撲人には成らんのか、勿体無もったいなきことよのう! 」

 落胆したように重光が溜息をついた。

 そして今度は、意を決したように畳み掛けてきたのである。


「フン、……ならば改めよ! 」

「はぁ ? 」

「そちののことじゃ」

 何となく、言葉にトゲが感じられた。

「……? 」

 突然の展開に、言葉が出ない。


「そちの名は理明ただあきと申すのであろう。初めて、その名を知った時には驚いたわ。

『……何のことか? 』 などと、空々しいことを申すなよ」


 以前、為信から聞いたことはあったが、ここでそれを言われるとは思ってもみなかった。


 源重光には、妻・行明親王の娘との間に"明理あきまさ"という長子がいるのだ。

 為信にその話を聞かされた時には、「まさか……」とは思ったが、


「そちは、『そのぐらいのこと……』 と、思うかもしれんが、上下が逆になっておるだけでも気になって、良い心地がせんのじゃ! 

 ……よいか、これを機会に、そちの

 重光は怒り上戸なのか、細面で上品な顔が赤く上気しているのが見て取れた。


「はぁ……」

 あっけにとられながらも、かろうじて返事はしたが、理明は困惑している。


「では、聳太そびたでどうじゃ? 」

 今度は暑いのか、扇を広げるとハタハタと煽ぎながら笑いだした。

「それでは、ちょっと……」

 一同が、ドッとうけて笑う。

 いくら相手の身分が高くとも、さすがに受入れ難い話である。


 為信が、意味深げに目を細めて言ったことを思い出した。

「良い名じゃな、……これでは、いずれ"お目にまる日"が来ることは間違いなかろう! 」

 こんな形で、


「では、聳明そびあきな……! 」

 酔っ払いが執拗に絡んでくる。そんな雰囲気になってきた。

『おぃ、いい加減にしろよ……! 』

 さすがに腹が立ったので、面を上げて別当の顔を睨もうとした時、府生の安部茂兼が口を開いた。

「では、 ことわりの字を忠義のただに代えてはいかがでしょうか、我らの勤めは、帝に忠節を尽くすことでありますので」

 すると、『さすが、茂兼……』 と、今度は感心したかのような溜息交じりの声が皆から漏れる。


「おぅ、……それな! 」

 今度は重光様が、ご機嫌に笑った。


 どうやら、この鶴の一声で本決まりのようである。

 そして、この時から、理明はになってしまったのだった。


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