第5話 平安男子のゆるい日常 (2)


忌々いまいましきことじゃ! 」


突然、為信が口を開く。

時々、唐突に話し始める時があり、ドキドキさせられる。

「また、くだん の僧が誦経ずきょうしておる。この暑い折に、暑苦しいことじゃ」

「………」

為信の言葉に、何と返答すれば良いのか分からず、目が泳いでしまった。


最近、獄では食事が配られると静かに誦経の声が響く。

その声は、受刑者なのに僧侶でもある恵朝けいちょうそらんじる法華経ほけきょうであった。


「まぁ、盆など何処で過ごしておっても地獄であろうが、わざわざ獄に入って誦経するとは、つくづく物好きな御仁ごじんじゃ、……精が出ることよ! 」

「はぁ、……いや、それなりに有難いではありませぬか」

やっと、理明なりの答えを搾り出した。

「有難いと思っておるのは、あの御仁だけじゃろう。獄の中は暑いかもしれんが雨風は凌げるからのう」


確かにこの時期、身分の高い貴族たちは洛中には居らず、近くの山間部に避暑に出払っている。

だが、涼を求めるよりも、庶民にとっては夏の豪雨を避ける方が切実な問題だったからだ。

だとしても、とは随分と酔狂な場所を選んだものだ。


「法華経など、罪人や下人の類には縁遠いもの、少しは御利益ごりやくがあるかもしれませぬぞ」

真面目な理明は遠慮気味に言う。

「はぁ……」と、為信が深い息を吐いた。


「あの男の志が、愚民救済ぐみんきゅうさいと高いものであっても、あの男自身の素行が悪いのは許されまい。

ましてや、季節が厳しうなり、暮らしにくくなれば、貴人の家に忍び込み、高価な道具を盗んで自ら捉えられるなど、ふざけた話じゃ! 」


暑いからだろうか、珍しく為信が切れている。


実は、この件の僧・恵朝は、獄の中では有名な男なのだ。

もともとは、貧しい中級貴族が身分の低い女性に産ませた男児なのである。

当時は、まず貴族の男子に生まれても、出世する見込みのない立場の子供は、まるで生きながら葬るかのように僧にするため寺に入れられた。

物心がつくと同時に墨染めの衣を着せられ、母親からも引き放され、

『 極楽に一番近い所で暮らせ 』

と、寺で刺激のない生活を送ることになるのだ。

当然、偏った価値観を持った人物も現れるのかもしれない。


実際、恵朝が獄に入れられるのは、これで四回目である。

断っておくが、当時、犯罪者の再犯は少なくなかった。

……とはいえ、四回ともなると多過ぎる。

しかも、きっかけは高価な仏具を寺から盗み、それを質種しちぐさにして双六賭博すごろくとばくをしたことに始まるのだ。


この時代の双六のルールは今のものと違って、よりゲーム性が高く、よく賭け事に使われていた。

しかしながら、賭博は朝廷によってあくまでも禁止されており、いろいろと社会問題を引き起こしていたようである。

例えば、下級貴族の中には、博徒を生業としている者までおり、賭博の負分に取上げられた馬を、違法だから返却させてほしい。……という訴えがあったことも、記録として残っている。


また恵朝は、盗品を直接売り さばくわけでもなく、わざわざ賭場に持って行くと、元手にするためにその品の来歴について語った。

当然、それは噂となり、お縄になるきっかけになったのである。

これではまるで、獄に入るのが目的かのようだ。

だが、上々から下々までが仏教を尊んでいた王朝時代のことである。獄にいる間は、世間一般から有難く思われている法華経を朝な夕なに唱えるおかげで、大切にされていた。

だが、それ以上に、"僧を傷つける"という行為は、極楽浄土に憧れる人々にとっては、ありえないことだったので、特に処罰が甘かったようだ。

それでも、さすがに再々犯ともなると、尊ばれる立場の僧侶でも極刑になる可能性が出てくる。

今までは、刑の裁定の段になると、何やら貴人達の間から刑を軽くするための嘆願が出されたりして、結局、うやむやのまま出獄させられていたが、いよいよそれだけでは済まなくなってきていた。



「ふぅ、……"御経様おきょうさま"には困ったものじゃ。

……ははは、暑いのう」

ちょっと話し過ぎて気まずくなったのか、為信は眠そうに欠伸をすると、また静かに仕事を始めた。

寡黙ではあるが、時々こんな茶目っ気のあることも言う為信のことが、理明は嫌いではない。いや、むしろ仕事の上では尊敬している。

それに、為信は当時としては現実主義者で、頼りがいのある先輩でもあった。

為信の仕事は、盗賊の名や、その盗品( 贓 物ぞうぶつ )を記録した書類を作ることなのだ。


盗品の目録を作る場合には、その品名を羅列られつするだけではなく、評価額も概ね計算し表記しなければならない。

例えば、実際に伝わっている"贓 物の目録" のような記録を見ると、


岩松 ・・・ 年三十八 ・・・讃岐国人さぬきのこくじん・・・強盗

贓物四種

・・・ 直銭四かん二百もん

・・・ 絹二疋 にひき ・・・ 直四貫文

・・・ 菊色単衣ひとえりょう・・・ 直五十文

・・・ 白単衣一領 ・・・直五十文

・・・麦二・・・直百文


等と、実際に書かれた記録が残っている。

因みに、一貫は千文にあたる。


貫や文は、銅銭の単位なのだか、 当時の米の値段を基準に、現代の米の値段に換算すると、 大体の価値が把握できるそうだ。

これを見ただけでも、結構、細やかな記録が書かれていたことが見て取れる。

そして、この様な資料を基に、刑期や刑の重さが裁定されていたようだ。 当然のことながら、検非違使も事務方の仕事があったわけである。

その点、為信は算道(算術)にも長けており、贓 物の価値計算が素早くできる人だった。

一見、地味だが、正確さや迅速さが必要とされる仕事もコツコツとこなせる優秀な人なのだ。

その上、 明法みょうほう にも通じている。

明法とは、当時ので、律、令、格、式の条文や、それらの注釈書の説に精通しているのだ。

漢文の読み書きにすら必死だった理明にとっては、為信は憧れの存在であり、正規の検非違使になるためにも、ついて行きたい先輩だった。


理明は獄を見廻り、囚人達の状態を観察し、為信は粛々と書類を作成する。

今日も、……そんな静かな時間が流れていた。


やがて、夕暮近になり、さすがに涼しげな風が吹き始めた。狭い部屋の中でも空気が動くのが判る。

理明の獄での仕事は一通り終わった。

だが、為信はまだ黙々と書類を書いている。それはまるで人柄を表すかのように非常に丁寧で達筆だった。


すると、その静けさを打ち破るかのように、突然、強面の男が入って来た。

獄の管理を任されている検非違使の 府 生ふしょう錦 部文保にしきべのふみやすである。

「おぅ、 聳 丸そびまる……、ここにおったか」

そう言いながら、理明の前につかつかと歩み寄った。

「暑さに負けて、腹でも下しておらぬかと思ったわ! 」

随分と日焼けした顔で笑う。

文保は、顔は怖いが、小太りでズングリしており、何となく憎めないキャラなのだ。

三〇代前半ぐらいで、年が離れているせいか、理明のことをまるで子供のようにからかう時がある。

ちなみに、聳丸とは そびえるほどの意味である。


府生とは、職分としては一番下級ではあるが、正式の検非違使庁の官人であり、為信や理明のような衛門府から借り出されている下っ端とは違う。

つまり文保は、二人とって直属の上司なのだ。


「このような所で、何をチマチマとやっておる……? 」

「はぁ、もう囚人達の見廻りは終わっておりますが」

「そなたの仕事は、それだけではなかろう。・・・・・・いいから、すぐに、馬を出せ! 」

「はぁ?」

繁兼しげかね様のお呼びじゃ!」


その一言に理明は、突然、何事かに巻き込まれた嫌な感じがしたのである。


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