第4話 平安男子のゆるい日常 (1)

 あれから、少し時が流れ、盆が終わった頃の話である。

 和歌の世界では、盆を過ぎると秋の気配が感じられる頃なのに、 残念ながら、この年の夏の暑さは異常だった。


 もちろん、この時代にエアコンや扇風機など無い。

 ぐったりするような暑さに身をまかせ、早朝から動き、日の高い時間はなるべく休む。

 そして、暑すぎる夕べには、盛大に降るを有効利用し、水浴びや、かめに水を貯めたりした。

 だが、それでもしのぎづらい。


 "お盆"というと、今でも日本中が夏休み状態になるが、平安の時代には、ほぼ全ての社会的活動が停止したと言ってもいいだろう。とにかく、誰もが殺人的な暑さに飲み込まれ、動かずに時が過ぎるのを待つのだ。

 人々は、あまりの暑さに

炎熱地獄えんねつじごくの釜のふたが開く』

 と言って、亡き人達を供養することで凌ごうとした。

 とはいえ、身分の高い貴族や一部の富裕な者達は、京をはじめ、近隣の山間部へと涼を求めて避暑に行ってしまう。

 そして、貧しき者達の中には、一時の涼を求めて河原に棲みつく者らもいたが、それが原因で、頻繁ひんぱんに起こる川の氾濫に命を落とすこともあった。


 ところで、当の理明はどんな生活をしているかというと、まず、ひとや(牢獄)の番人のような仕事を任されているので、比較的職場に近い所、つまり、放免達の居住地域の近くに住んでいる。

 捨身尼や水泡が居る小屋にも時々行くが、どちらかと言うと、たまに訪れると楽しい実家のようなスタンスであり、刺激が欲しい時に訪ねることにしていた。



 理明は、ここ数日、連夜の暑さに熟睡できていない。だが、仕方なく重い体をムクリと起こした。


 今日で何日経ったのだろうか。もう、そろそろ盆が開けたのでは……。

 おもむろに目を下に向けると、肌着の胸前がはだけてヘロヘロになっている。どうも暑さで無意識に掻きむしったようだ。


 あぁ、いよいよ仕事か、……仕方がないな。

 突然、脱力感が押し寄せてきた。


 何と言っても、盗人等は、盆や 物 忌 日ものいみび(縁起や穢れを理由に、心身を清める為に家などに籠る日)を気にしない。

 いや、むしろ世の中が活動していない時にこそ、奴らは動き回る。

 強盗やならず者は、残念ながら信心深くないからだ。

 そこで、理明のようなの者ほど働かなければならなかった。


 理明は欠伸あくびを噛み殺すと、せめてサッパリしようと甕から水を汲み出し汗を流した。

 これは夕立ゆうだちやら何やらと、天水を貯めた水だが、連日の日照り続きで、それも底をついてきている。

 そして、そんな貴重な水で体を洗うと、唯一残った新しい肌着に手を伸ばした。こんな暑い日には、タオル代わりに体を拭いたところで、すぐに乾いてしまう。そこでそのまま、ガウンのようにまとってしまう。

 ちなみに、この肌着は獄舎につながれた徒罪ずざいの女達の手によるものだった。

 男性の受刑囚のみならず、女性も罪を犯すと獄に拘禁され、一定の年数、労役に服さねばならない。男性は路橋の建設工事や宮城周辺の清掃等に駆り出され、女性は裁縫や精米の作業に使役された。

 盗品の布以外にも、いろいろな事情でが、女囚達によって仕立てられるのだが、如何せん、実力不足の者もいて、時折、難品や受け入れ難い不細工な物ができる。そこで、どうにも納められない衣が、理明のところに持って来られた。

 また何故か、特に年増の女囚達は好んで理明のもとに持って来る。

 理明の年が若いせいもあるのだろうが、この故郷から捨てられたような寂しい青年に、女囚達は何かと親切にしていた。

 理明は、時々、相手が誰であろうと関係なしに無防備に笑う。

 それは凄く朗らかで、側に居る者達を安心させるようだった。

 また、一見、隙だらけで無頓着に見えるが、何となく気を遣って面白いことを言う。

 そういうところが場の空気を和ませるので、下働きの間では貴重なムードメーカーになっているのだ。

 そんな気の良い青年の姿に、故郷に残してきた身内のことでも思い出すのか、理明は、おばさん達にとって世話焼きの種になっていた。



 獄舎への道はそれほど遠くない。

 近場に住まわされているのだから。

 だが、今日は随分と長く感じた。


 都は、まだ、気だるい盆休みの中にあって、充分に目を覚ましていないようである。

 閑散とした町中を、重い体を引きずりながら行く。

 それでも、獄がある通りにさしかかると、いつもの馴染みの顔がちらほらと理明を出迎えた。残念だが、放免や徒刑のおばさん達ではあるが。


 獄の建物に入ると、まさに地獄のような暑さである。ここは風通しも悪く、視界も暗い。相当に劣悪な環境と言えるだろう。

 だが、このとした悪所に、すでに人が来ている。

 案主あんじゅにしきの為信ためのぶだ。

 案主とは、正規の検非違使ではないが、雑任ぞうにんといって使庁の仕事を末端で支える役職である。

 御所の門を警護する衛門府の衛士の中から優秀な者が選ばれ、主に事務的な仕事を任されていた。

 例えば、 贓物ぞうぶつ(盗人達が罪を犯して得た金品)を管理しており、その金銭的価値の算定や、それらを記録した書類の作成等と、細やかな仕事を行っているのだ。


 理明らの職場には小さな灯取りの窓がある。

 そこから光は差し込んで来るが、今の時代では考えられないような薄暗さであった。


 為信は三歳年上だ。そこで若輩者の理明はいつも黙礼する。すると、為信も礼を返してくれる。

 だが、本来、寡黙な人なので、普段なら無駄な会話もなく黙々と働き、二人の間には、静かな時が流れるだけだった。

 しかし、この日はあまりの暑さのせいか、いつもと違っていた。


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