第2話

 凄く手触りのいい布団の中にいる。気持ちがよすぎてずっと眠っていたいくらいだ。それに何かフローラルな匂いもする。薔薇の匂いだ。……あれ? でも私の部屋に薔薇なんて洒落た花、飾っていただろうか。

 そこで私の意識が一気に覚醒した。そうだ。私、歩きスマホでトラックに轢かれたんだった。青信号で普通に走ってただけのトラックの運転手さんに申し訳なさ過ぎる。


 どうやら私は一命を取り留めたらしい。退院したら真っ先にトラックの運転手さんに謝りに行こう。そして二度と歩きスマホはしない。

 あぁ、でも私はどれくらい意識を失っていたのだろうか。石王子の新イベントガチャを引き損ねてしまった。せっかく推しのクロードが出てきたというのに。彼とのクリスマスイベントを見るまでは死ぬに死ねない。早く起きてガチャを引かなければ!


 そう意思を強く持って、カッと瞼を開いた。するとどうだろう。目に飛び込んできたのは病院の白い天井ではなく、本や映画の中でしか見たことのないような豪華な天井だった。いや、これは天蓋付きのベッドというやつだ。そして私はなぜか、そのベッドの中に今まで寝ていたらしい。手触りのいい布団なんていうレベルじゃない。

 びっくりして飛び起きると、これまた豪華な部屋の奥にいたメイド服の女性と目が合った。


「あ! お目覚めになったんですね。少々お待ちください」


 そう言うなり、彼女はぱたぱたと部屋を出て行ってしまった。

 何が起こっているのだろう。とりあえず、部屋を見渡してみる。けれども豪華な調度品に見覚えなどあるはずもなく、私は狐につままれたように呆然とするしかできなかった。

 私はトラックに轢かれたはずで、ならばここは当然病院のはずだなのだが……病院はおろか自宅ですらない。それに直毛だった髪の毛が、なぜかゆるふわロングの金髪に変わっている。手も白くほっそりとしていて、手荒れを知らないなめらかさだ。自分の手だというのにずっと触っていたくなる。ささくれとか全然ない。すごい。何これ。手のモデルみたい。


 自分の手に見惚れていると、不意に扉をノックする音がした。返事をするべきかどうか迷っている間に扉は開かれて、一人の青年が部屋の中に入ってくる。彼の顔を見た瞬間、私は思わず声を詰まらせて盛大に噎せてしまった。


「ニコラッ……ゴッファ!」

「大丈夫かい!? 目覚めたばかりなんだ。無理をしないで」


 慌てた様子でベッドのそばへ駆け寄ってきた金髪の青年を、私はよく知っていた。

 サラサラの金髪にサファイアブルーの瞳。笑顔のさわやかな彼の名前はニコラス。メルウェロー王国の第一王子で、「白き聖女と封印されし聖石の王子」で最初に解放する石王子だ。


 どうして彼が目の前にいるのだろう。噎せた私を心配して背中をさすってくれている手の感触は本物だし、それにきちんと体温も感じられる。ゲームの中のキャラであるはずのニコラスが、生きて目の前にいるのだ。

 夢だろうかと思い、試しに何度か自分で頬を軽く叩いてみた。その手をやんわりとニコラスに掴まれて、「そんなことをしてはダメだよ」と甘く諭されたので、またもや私は潰れたカエルみたいに「んぐっふ……」と呻いてしまった。


「えぇと……ここは、一体」

「メルウェロー王国の城だよ。僕はこの国の第一王子ニコラス。はじめまして、聖女マリア。僕を救ってくれてありがとう」

「聖、女……」


 豪華な部屋やニコラスの登場から、何となく予想はついていた。

 ここは私がプレイしていた「白き聖女と封印されし聖石の王子」のゲームの世界だ。どうやら私は、いま流行の異世界転生というやつを体験しているらしい。創作の中の話だと思っていたけれど、こんなことって本当に起こるんだ。

 どうしよう。うれしい気もするし、困惑してる自分もいる。私はヒロインの聖女マリアとしてこの世界に存在しているのだ。


 修道院で暮らしていたヒロインが聖女の力に目覚めたのが、このニコラスの国メルウェローだ。聖女の生まれ変わりとして城に呼ばれ、そこでニコラスを目覚めさせたことから、このゲームのストーリーは始まっていく。その後は大陸を旅しながら他の王子を目覚めさせていくのだが、最初からずっと一緒に行動を共にしてくれるのがこのニコラスなのだ。いわば公式のメインキャラで、アプリアイコンもニコラスが使われている。


「体はどうだい? 君は僕を魔王の呪いから解放したあと、力を使いすぎて倒れたらしい」

「たぶん……大丈夫、です」


 変なことを言うと不審がられるかもしれないし、ここは成り行きに任せた方がいい気がする。少しだけ弱々しく頷いて見せると、ニコラスはホッとしたように破顔した。やっぱり王道王子だけあって、キラキラしている。眼福。


「そうか。立てそうなら、君についてきて欲しいところがあるんだ」


 頷いてベッドから立ち上がる。すかさずメイドがそばに来て、衣服の乱れを直してくれた。着ているものはドレスっぽい作りの白いワンピースだ。聖女らしく品があって華美でもなく、でも質素でもない絶妙なデザインに心が躍る。綺麗な服を身に纏うのは素直にうれしい。

 髪も軽く整えてくれた時に、鏡に映った自分の姿に驚いた。胸まであるゆるふわロングの金髪に、ニコラスよりは薄い青の瞳。宝石で言えばアクアマリンに近い色だ。

 自分で言うのも何だが、とても美しい姿をしている。ほんの一瞬だけ自分に見惚れていた私は、ふとわずかな違和感に気付いて目を瞠った。

 聖女マリアのイメージは金髪に緑色の瞳をしていたはずである。けれど鏡に映る私の瞳の色はアクアマリンだ。聖女マリアとは若干異なっている。


「お手をどうぞ。聖女マリア」


 綺麗な所作で手を差し出され、瞳の色が違うことなどあっという間に頭から吹き飛んだ。私の推しはクロードだが、イケメンに抗える忍耐力は持ち合わせていない。イケメンって、罪だな。

 ぎゅっと掴んだニコラスの手は少し硬くて、そんなところに性差を感じた私の胸は乙女のようにキュンと甘い音を立ててしまった。

 もうこの際、夢でも何でも構わない。イケメンだらけのこの世界を思う存分楽しんでやろうと、私はまるでお姫様みたいに優雅に笑ってみせた。


「どちらへ行かれるんですか?」

「聖女マリアたちのところだよ」

「……え?」

「僕の封印を解いてくれたのは、君も含めて二十人の聖女マリアたちなんだ」


 清々しい声でそう言ったニコラスの言葉に、私のプリンセススマイルはあっけなく崩れ去ってしまった。




 

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