第20話 清楚系の名のもとに

「清く正しく──清楚系の名のもとに、あなたの陰謀を阻ませていただきます」

「……あなたは……いったい、何を言ってるの……」


 こんなに明解な言葉を、彼女は理解できないようです。


「……もう時間稼ぎはいい。サキュバスは夜の魔物、夜になるほど有利になるのだろうけど、その前にさっさと終わらせてあげる」


 一瞬で、空気が変わる。

 彼女の黒髪がぞわぞわと蠢いて、その内側から伸びた数本の細長い何か・・が空中を走った。


 ギィン!


 高速で迫り来るワイヤー状のそれらを、跳び退くと同時に展開した背の翼で弾く。斬り落としたかったけど、弾くことしかできず。それは青く艶光る鱗をまとった三匹の蛇でした。

 しかも弾いたのは左右の翼で一匹ずつ、残り一匹は私の眼前、跳躍とほぼ同スピードでじわりと距離を詰めてくる。

 いっぱいに開いた口、鋭い牙の先から緑の毒液がにじむ。

 その首を、私は右手でむんずと掴んだ。


魔性器變ジェニタライズ──」


 バヂィッ!


「──ッ!?」


 手のひらに、青い火花スパークと共に生じたすさまじい反発力で、腕ごと後方に弾き飛ばされる。その勢いのまま背中からフェンスに激突する。鉄をぐにゃりとねじまげ、体がめりこみます。


対魔術防鱗アンチマジックスケイル──あなたの下劣な変態スキルなど、通じはしない」

「……あら、ずいぶんですね……」


 まあ実際、やろう・・・としていたことを考えれば返す言葉もありませんが。

 それに、防いだということはその効力を恐れている、とも考えられる。


「どれだけ魔力を集めてきたか知らないけれど、しょせんは無駄な努力」


 ゆらり鎌首をもたげる三匹に、追加で次々と髪の内側から──おそらくは髪の毛の一本ずつが大小の蛇に変化して数を増やし、回り込むように私をじわじわと包囲してゆく。たしか、人間の髪の本数は十万本でしたね……。


 対する私は翼でフェンスを叩き、飛び出す。胸がコンクリの床を掠るほどの超低空飛行で蛇の追撃をかいくぐり、生徒会長に肉薄します。


「──ごめんあそばせ!」


 飛行速度を乗せた翼刃の一閃を叩き込む!


はやさだけは、大したものね」


 その刃をあっさり受けて弾き飛ばした手の甲にも、彼女の涼しげな顔にも、蛇のそれと同じ青色の鱗が浮かび上がっていて。

 私は弾かれた反動に逆らわず、床に突き立てたもう一方の翼の先端を軸に半回転して、彼女の背後に回り込む。


「無駄だと言っているでしょう」


 振り向きもせず放った言葉と同時に、後頭部の黒髪の中から襲う蛇たち。それらを真上への跳躍で回避。同時に彼女の細い首に、尻尾をするりと巻き付けながら。


 ──両翼を羽ばたかせ、私は空中に舞い上がります。生徒会長を夕空に絞首つるすべく。


 しかし、ごたえがない。下を見ると彼女もこちらを見上げて、嘲笑わらっていた。

 風にひるがえるスカートから、無数の蛇の尾がわらわらと溢れだして両脚を包み込み、一本の太い尾になって彼女の体を地面から押し上げている。つまり彼女の体は今も地にあしが着いている状態で、その首を自重が絞めることはないのです。


「ボトルネックね。どんなに魔力の貯蔵タンク潤沢いっぱいでも、出口があなたじゃ、たかが知れてる」


 淡々と言葉を並べながら、彼女は首に巻き付く私の尻尾に手をかけた。危険いけない、と察して尻尾を緩めるより早く、私の体は凄まじい力で下方向に引き落とされていました。


「──小さな小さな小悪魔サキュバスの器じゃあ、ね」


 絡み合い一本の太い蛇体を成した半身の上で、勝ち誇る彼女がのたまう。それを遠く上空に聞きつつ、私は背中から屋上のコンクリに叩きつけられていました。


「かはッ……!」

 

 全身を襲う衝撃と痛みで息ができない。骨が何本も砕けた気がする。

 哀しくもないのに涙と、そして口元から生温かい液体がゴボリと溢れた。


 ……ッ……ゲホッ……ハァ、ハァ……


 無理やり上半身を起こす。口元の液体を拭った手のひらが、真っ赤に染まっていた。内臓までられてる。魔力で身体強化していなければ、即死だったことでしょう。


「さあ、名残惜しいけれどこれでおしまい。無駄になった魔力を抱いて、眠りなさい」

 

 冷たい、けれど嘘の匂いのしない惜別わかれの言葉と共に、彼女の髪から無数の蛇が溢れ出して屋上全体に這い拡がってゆく。

 成すすべもなく包囲された私に向かって、大小とりどりの蛇たちが一斉に鎌首をもたげた。


「──百蛇滅葬ごきげんよう


 動けない私に、あらゆる方向から襲いかかる蛇たち。その隙間から鱗越しに見えた、沈みかけの夕陽がとてもきれい。


 ──ここまでか。


 視界のすべてが蛇の鱗で埋め尽くされる寸前、私は両手を左右の角にかざし……肉体から、意識だけを離脱させるのでした。

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