「はあ……ふう……きっつい」

 道なき道を数分かけてのぼりきったところで、御幣島みてじまは膝に手をついた。

 こんなことならバスで会った女性のような服装で来るんだった、と後悔する。しかしこのスーツは取材時の正装、自身にとっての勝負服だった。

「はっはっは、若いのにこれくらいでだらしがないぞ」

 対する居之上いのうえは息を乱す素振りなど一切見せずに笑う。

 二人がいるのは山の中腹あたりだった。ちょっとした平場があり、ここだけ草木が生えていない。おそらくのぼってきた道もこの場所も、村の人が林業を営むのに使っているのだろう。

「ほら、ここだよ」

 居之上が数歩先を示す。

「ここに例の祠があったんだ」

 だが、そこは何もない地面があるだけだった。

「ワシらが見つけた時は粉々に壊されとってなあ」

「だからきれいさっぱり何もないんですね」

「村のもんであらかた掃除したからな。いつまでもそのまま放っておくわけにもいかん。ワシらまで祟られてしまう」

 それもそうか、と思いながら御幣島はその場所にしゃがみこむ。すると、転がっている小石の他に目についてものがあった。

「これ、もしかして祠の一部ですか?」

 拾い上げながら言う。それは銅板の破片だった。傾けると、特有の赤橙色がキラリと反射する。

「ああ、そうだな。きっと屋根の一部だろう」

 よく見れば、同じサイズの木片もちらほらと落ちていた。小さいので掃除しきれなかったのだろう。

「壊された祠はいつから建っていたんですか?」

「さあなあ。いつからなんてのは誰もわからないんじゃないか」

 居之上は答える。

「だからこそ祠には神様が宿って、蛇ヶ村へびがむらを見守ってくださっていたのに……バチ当たりなことをしたものだよ、まったく」

「そんなに大切なものなのに、どうして壊したんでしょうか」

「それこそわからんよ。面白半分なのか気でも触れたのか……こういう言い方はあれだが、都会のもんは神様を大事にするとかいう気持ちがなかったのかもしれん」

「都会の?」

 渋面をつくる居之上に向けて御幣島は首を傾げた。

「ああ、彼は東京から移住してきた入り婿なんだよ。外から移り住んできてくれたのは久しぶりだったから皆喜んでたのに、本当に残念だ」

「へえ、そうだったんですね」

 どこのニュースでも報じられていない、初めて聞いた話だった。記事を書く上で参考になるかもしれない、と御幣島は心に留め置く。

 そしてもう一つ、気になっていたことを質問する。

「そういえば、祠を壊した人物が純也じゅんやさんだっていうのは、どうやってわかったんですか?」

 さっき居之上は、見つけた時には壊された状態だったと言った。つまり、純也氏が祠を破壊しているところは直接見ていないということだ。

 御幣島が訊くと「ああ、それはね」と居之上は澱みなく答える。

「この道に彼が入っていくのを、早矢仕はやしさんが見たからな。ああ、早矢仕さんっていうのは彼の義理の父親にあたる人で、このへんの山を管理してくれてる人でね。あの人以外にこの道を使う人はいないからすぐにわかったんだよ」

 住んでいる人が少なくて誰がどんな人か皆が知っている。そんな田舎特有の社会だからこそすぐに判ったということだ。都会ではこうはいなかい。

「おっと、もうこんな時間か」

 と、居之上が思い出したように声を上げる。

「すまないが祠の案内と取材はこの辺でいいかな?」

「どうかしたんですか?」

「いや何、そろそろ戻って夕食の準備をせんといかんので」

「夕食!」

 言葉を聞いて御幣島は腕時計に目をやる。時刻はすっかり夕方だった。

「それは重要です! 今すぐ戻りましょう!」

 ホラー雑誌のライターである御幣島は、この日一番の頷きを見せた。



「ふうー、美味しかったなあ」

 宿泊している部屋に備え付けられた椅子に背中を預けながら、御幣島は余韻に浸っていた。無論、昼間の取材ではなく夕食の、だ。

「特にあの栗ご飯……新米がもつ甘みと絡みあって絶品だよ……」

 すれ違った女性、巳々子みみこからもらった栗を早速使わせてもらおう、ということで夕食のメニューは栗ご飯だった。どちらの食材も採れたて、旬ということもあって最高だった。

 食べてからしばらく経って、日付が変わろうかという時刻になってもその記憶は強く残っていた。思い出すだけで口の中がじゅわっとなる。

「おっと、いけないいけない」

 御幣島は首を振って現実へと戻ってくる。机に広げるのはタブレットPC。今日の取材の内容をまとめて、あわよくば記事のドラフトを書こうという算段だ。

「…………んぐぅ」

 だが、人間という生物には抗えないものがあった。満腹後の睡眠欲だ。御幣島のキーをたたく手が止まるのに、そう時間はかからなかった。

 こち、こち、と時計が時間を刻む音だけが室内に響く。

 ――コン、コン。

 すると、そこに控えめな音が混ざった。扉がノックされる音だった。それこそ、熟睡していれば気づかないくらいの大きさで。

「んん、はーい……?」

 深夜の来訪者。人によれば警戒心と恐怖が押し寄せる状況だが、御幣島は寝ぼけていることもあってか、ゆらりと立ち上がって扉を開く。

 そこにいたのは、居之上だった。廊下の電気が点いていないせいか、色の黒い顔だけがぽっかりと浮かんで見える。さながら壁にかけられた翁の面のように。

「ああ御幣島さん。まだ起きてたんですね」

「居之上さん……? どうかしたんですか……?」

「いや何、部屋の明かりが点いているのが見えたんでね。こんな時間までどうしたのかと」

 光源が御幣島の部屋の明かりだけだからか、居之上の頬、眼窩はやけに影が目立った。

「取材内容をまとめておこうと……でもなかなか思うように進まなくて、たはは」

 御幣島は後頭部をかいて苦笑する。身体をずらして、真っ白の画面が表示されているタブレットPCを見せた。

「そういうことでしたか」

 すると、居之上の表情から陰影が消えた。翁の面に皺が増えたように見えた。

「御幣島さん、明日はいつ村を出発されるのですか?」

「うーん、お昼前のバスに乗る予定ですね。それを逃すと帰れなくなっちゃいますので」

 取材旅費が一泊分しかないので、そうなれば実費になってしまう。

「では、朝から巳々子さんに話を聞いてみてはどうですかな」

「巳々子さん? ってたしか今日すれ違った人ですよね?」

 そして美味しい栗をくれた人。感謝を伝えたい気持ちはあるが、取材とは無縁な気もする。

 だが、そうではないこと――御幣島が彼女に取材をするに足る理由を、居之上は告げる。

「なにせ巳々子さんは、彼の奥さんだった人ですから」

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