番外編① 橘早紀の一世一代大勝負
あたし橘早紀は、一世一代の大勝負に出る。
出る……出る……出る……。
「あぁぁ勇気が出ないぃ……」
自室でスマホを握り締めて身悶えする。
ほんと、こんな自分が情けないよ……。
スマホの画面に映っているのは下条君とのLINE。
そう。あたしは今日、下条君をデ、デートに誘うつもりなのだ。
つもりなんだけど……。
「断られたらどうしよう……」
たぶん泣く。断られた時のことを想像するだけで胸が痛い。
でもここでアプローチをかけないといけない。でないと一歩出遅れる。
下条君はモテる。
菜月は表には出さないけど100%下条君のこと好きだし、結乃と真白もストーカー事件から急速にその距離を縮めているような気がする。
あたしだけ、未だなんのアプローチもできてない。
そのことに焦りを感じていた。
「勇気を出すんだ早紀……あたしはやればできる子……」
逆に言えばやらないとできない子なのだ。
だからやるしかない。
自分でも何言ってるか分かんなくなってきた。今度は緊張で胸が痛い。
「えぇい女は度胸! てやっ!」
しゅぽっと音が鳴って下条君に向けてLINEが送信された。『今度二人で遊ばない?』なんていうなんの捻りもない文章が緑色の吹き出しで強調されている。
今までも何度か二人で遊びに行くことはあった。
でもそれは学校にいる時とかのなんとなくの会話の流れとノリでそうなっただけで、こうして改まって誘うのは初めてだ。
(こ、これでよかったかな……直球すぎない?)
なんて悶々としているとすぐに既読がつく。
『おーいいぞー。どこ行く?』
(よしっ……!)
下条君とデート……これでデートに行ける……!
嬉しくてついベッドの上で足をばたばたとしてしまう。
(でもこれ……多分向こうはデートだと思ってないよね……)
いやいや。弱気になってどうする。
ここであたしを意識させるくらいのことしないとだめでしょ!
だったらデート先はやっぱり……おしゃれなカフェとか……?
ウィンドウショッピングとか、映画館とかもいいなぁ。
あ、でもそんなあからさまにデートですって場所だったら、がっついてるみたいで嫌われちゃうかな……?
うぅぅ悩むぅぅ……。デートするのが目的で何をするかとか全然考えてなかった。
想像してみる。
例えば映画館。見るのは最近流行の恋愛もの。
あたしが何気なくポップコーンに手を伸ばすと、そこに下条君の手が重なって、見つめ合って――
ぼっと顔が熱くなる。
こ、これはちょっと刺激が強すぎるかも……。
別のパターンにしよう、うん。
今度はウィンドウショッピングを想像してみる。
あたしが「どっちの服がいいと思う?」って下条君に聞いて、そしたら「こっちの方が橘に合ってて俺は好き。あぁでも、どっちも凄く可愛いと思うよ」なんて言われちゃったりして――
またまた、ぼっと顔が熱くなる。
こ、これもあたしの身が持たないかも……。
あんまりデートデートしてるのも下条君に気を遣わせちゃうかな、うん。別にあたしが意気地なしって訳じゃないよね。そういうことにしよう。
『ゲーセンとかどう?』
『おっけー』
結果としてめちゃくちゃ無難な選択肢になってしまった。
いやでも、二人っきりで遊ぶことには変わりない!
ゲーセンでも下条君を意識させることはできるはず!
次の部活が休みの時に、放課後に遊ぶ約束を取り付けて、あたしは枕に顔を埋めた。
***
「おりゃああああああああ!」
「うおおおおおおおおおお!」
かこん。すこん。バシッ。からん。
「いえーい! あたしの勝ちー!」
「くそっ、橘エアホッケー強すぎだろ……」
「下条君もまだまだだねぇ。身のこなしが固い固い」
「ぐぬぬ……このまま終わると思うなよ。次はレースゲームで勝負だ!」
「のっぞむところよ!」
下条君はレースゲームの筐体にずんずんと進んでいく。
それを後ろから眺めながら、あたしは頭を抱えた。
(なに普通に遊んじゃってんのあたしは!)
いや下条君と遊ぶの楽しいよ? 楽しいけど!
このままじゃいつも通りに遊んで一日が終わっちゃう!
「よぉし次は負けねぇ」
そう言って腕まくりしながらハンドルを握る下条君は、なんだか年相応の男の子って感じでとっても可愛い。
普段はちょっとスカしてて格好つけたりすることもあるけど、こういう一面もあるって知ってるのは一緒に遊ぶ間柄だけだ。
でも、今日は……。
あたしの違う一面も、下条君に見てほしい。
そんな風に思いながらも機会がないままレースゲームは終わり、あたし達はクレーンゲームを見て回っていた。
「あ……」
ふと目に留まったのはぬいぐるみだ。
猫がサメの被り物を着ているやつで、あたしの好きなキャラクター。
「橘、これ好きなの?」
「え、いや好きというか……別にそんな……あれだけど」
「取ってやるよ」
「え? いやでもあたしこういうのあんまり似合わないし、そんな無理しなくても――」
「そうか? 橘こういうの好きそうだよなって思ったんだけど」
さらっと答える下条君に、あたしは言葉が出なかった。
またそうやって……あたしが欲しい言葉をくれるんだから……。
下条君は黙りこくったあたしに微笑むと、クレーンゲームを始めた。
「あ、うーん……もうちょい右か」
そうやって何度目かのトライの後、ぬいぐるみがぽとんと取り出し口に落ちた。
「お、取れた取れた。はいこれ」
「……本当にいいの?」
「頑張って取ったから貰ってくれると嬉しいかな」
「……あり、がと……大事にする」
受け取ったぬいぐるみを、あたしは胸に抱きしめた。
あの時もそうだった。
一年前にこの学校に入学した時、あたしは周りと馴染めずにいた。
正確には、周りと馴染む気が全くなかった。そういう心の余裕みたいなものがなかったから。
元々喧嘩が絶えない家だったけど、中学の時に親が離婚して大好きだったお兄ちゃんと離れ離れになって、あたしは塞ぎ込んでた。
学校で友達を作る余裕も気力もなくて、ただ毎日を意味もなく消化するだけ。
他人を拒絶してぶっきらぼうな態度を取るあたしが孤立するのに時間はかからなかった。
『橘ってさ、遊んでるって本当かよ? 俺らの相手してくんね?』
この見た目も相まってそんな噂が流れたのも、軽そうだと思われて男子に狙われたのも、全部自業自得だった。
学校で、人気のない教室に連れ込まれて、怖くて、動けなくて。
そんな時に、下条君が助けてくれた。
『なんだてめぇ。ヒーロー気取りか? そんな遊んでばっかの女助けたって――』
『橘は遊んでなんかないぞ。授業はきちんと受けてるし宿題も欠かさずやってくるし日直の仕事も放課後の掃除もサボったりしない。遊んでるなんて、ただの噂だろ』
あたしと下条君は席が隣だった。ただそれだけ。話したこともない。
それなのに自分からトラブルに飛び込んでいくなんて、なんてお人好しなんだろう。
なんて格好いいんだろう。
最初は、下心ありきで助けてくれたのかな? なんて思ったけど、なんてことはない。
下条君はただ、お節介なだけなのだ。
クラスメイトが困っていたから助けただけ。ただそれだけ。
でもたったそれだけのことが、あたしを助けてくれたことが、噂に振り回されないであたしのことを見ていてくれたことが、嬉しかった。
「あぁ、もうこんな時間か。そろそろ帰るか」
「あ……」
下条君は歩き出す。
このままじゃ、本当にただ遊んだだけで終わってしまう。
ぬいぐるみまで貰って、何もかも貰ってばかりで、あたしは下条君にとってただの気のいい友達で――
そんなの、嫌だ。
「下条君!」
下条君はこちらを向いて不思議そうに首を傾げる。
ちょっとでも距離を縮めたい。このままの関係はとても居心地がいいけど、このままじゃだめなのは分かってる。
だって彼の周りには、あたしなんかじゃ敵わないような素敵な女の子がいるから。
ぐずぐずしていたら、あたしの入り込む隙なんてなくなってしまうから。
「あの……えっと……」
だから勇気を出すんだ、橘早紀。
ちょっとの勇気が人生を変えることだって、あるんだから。
「前々から言おうと思ってたんだけどさ……」
怖い。恥ずかしい。顔が熱い。
でも――
あたしは、下条君の目を真っ直ぐに見つめる。
覚悟は、できた。
「あ、あたしも……下条君のこと、
(言った! 言っちゃった! 頑張ったあたし! 偉いぞあたし!)
もう言えただけで満足だ。返事とかいらない。
というかもうこの間が怖い。下条君なんかきょとんとしてるし。
なんて考えてると、
「うん、別にいいけど……」
「え、いいの!?」
「いや、むしろなんでだめだと思ったんだよ」
「それは……なんとなく……?」
え、うそ、いいの? 本当に?
名前で呼んでいいの?
「なんだそれ。でもまぁそうだな。橘が俺のこと名前で呼ぶなら、俺も名前で呼ぼうかな」
「えっ!?」
な、名前……?
下条君が、あたしのことを名前で……?
そのシーンを想像しただけで、胸がいっぱいになった。
なったのに――
「それじゃあ帰るか、早紀」
「――ッ!!」
それは、ちょっと、やばいって……!
破壊力が凄い。過呼吸になりそう。待って、本当にだめ。耐えられない。
胸が苦しい。キュン死しそう。
「どうした……?」
「ううん、なんでもない! なんでもないよ! あはは、はは……」
あぁもう、何やってんのよあたし。
ここまで来たらもう行くとこまで行くしかないっしょ!
深呼吸をたっぷり3回。
これは、大事な大事な一歩目だ。
これから先へと続くあたしだけの道。
「は、陽翔……今日は楽しかった。ありがとね、付き合ってくれて」
あたしは勝った。一世一代の大勝負に勝ったんだ。
「おう。また遊ぼうな。エアホッケー、次は負けねぇよ」
「ふふん、何回でも相手してあげるよ」
しばらくは、次の勝負はお預けかな。
――願わくば、それまではこの関係が続きますように。
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