38話 ヒーロー
血走った眼で俺を見つめるこの男は、以前二人をお昼に誘って断られていたイケメン君だ。
あの時は爽やかな感じの優男って印象だったが、今のこいつにはその面影もない。
「藤白! 奈良瀬! 大丈夫か!?」
俺は奥のリビングにいるであろう二人に声をかける。
すると、引き戸の割れたガラス部分から藤白が顔を覗かせた。
「こっちは大丈夫! 今、真白が警察呼んでるから無茶しないで!」
「なんも心配いらねぇよ。こんなやつ一捻りだ」
二人を心配させないようにそんな軽口を叩くも、正直少しびびっている。
何せ相手は凶器を持っているのだ。
俺は手を開いて閉じてと繰り返し、手の震えを無理矢理抑える。
最後にぎゅっと力強く握り締めた。
「なんでお前がここにいる。下条陽翔」
「……ヒロインのピンチに現れるのがヒーローの役目だろ?」
「ふざけるな。ここはオートロックのマンションだぞ。なぜお前が入れる?」
「なんだそんなことか」
俺は自分の目を指差した。
「悪いとは思ったけど、ちょっと盗み見をな。ここのロックは暗証番号だから二人が入力してるのを見てたんだ」
一応念のため、くらいのあれだったけど、まさか本当に使う機会がくるとは思わなかった。
これでマンションに入れなかったと思うとゾッとする。
「……あぁそうか。お前は二人の家に土足で踏み入るばかりか、暗証番号を盗み見るなんて犯罪行為を行ったのか。とんだクソ野郎だね」
「おいおい。マジで言ってるのか、それ。ナイフ持って不法侵入してる奴に言われたくないな」
「うるさい!! お前が、お前が後からしゃしゃり出てきて、俺のこころちゃんとすいちゃんを奪ったんだ! こころちゃんのこともすいちゃんのことも、藤白のことも奈良瀬のことも、ずっとずっとずっとずっと前から俺が! 俺が先に好きだったんだ!」
顔を狂気に歪ませて、イケメン君は叫ぶ。
息は荒く、目は真っ赤に充血し、体は小刻みに震えていた。
鬼気迫る、とはまさにこのことか。
でも――
「
「う、るさいんだよお前! 俺が誰よりも二人を愛してるんだ! 俺が誰よりも二人のことを理解して、一番の推しで、だから相応しいのは俺なんだよ! お前が……お前がいるから……」
がたがたがた、とナイフが激しく揺れる。
今にも飛びかかってきそうな狂気に満ちた男を前にして、俺は拳を構える。
――そこまでする義理があるのか?
心の中で、俺じゃない俺の声が聞こえた。
確かにな。
こんな命張るような行為、普通はするべきじゃないかもしれない。
――お節介はしないんじゃなかったのか?
そうだな。
そのはずだったんだけどな。
なんでだろう、今はちっとも怖くないんだ。
――また同じ目に遭うぞ。
脳裏によぎるのは、あの頃の記憶。
『陽翔すげー! マジでなんでもできるんだな、お前! こんなのすぐ俺より上手くなるって!』
『いや、俺なんて全然だよ』
俺は、幼い頃からなんでもできた。
スポーツも勉強も絵も音楽も、少し触れば人よりも上手くなれた。
色んなことができるようになるのが楽しくて……あの時はサッカーだったかな。
中学時代の俺は、サッカーにハマッてた。
『陽翔、マジで教え甲斐があるよ。将来は俺と一緒にサッカー選手かな』
『はは、そうだといいなぁ』
俺にサッカーを教えてくれた友人は小さい頃からやっていて、クラブチームにも入ってるような凄い奴だった。
でも俺は、そんな小さい頃から努力していたあいつのサッカーを、踏みにじった。
『なぁ、今のはこっちにパス出す場面だろ? もっと視野広く持った方がいいよ。ほら、ボールに意識が集中しすぎてて周り見れてない時あるからさ、もっと顔上げて、首振りもしっかり――』
『……うるせぇよ』
『え?』
『いいよな、なんでもできる奴は。そうやって上から目線で指図してよ。本当は見下してんだろ』
『ちがっ……俺はそんなつもりは――』
『――ウザいよ、お前』
そうやって拒絶されて、
『あいつ前々から鬱陶しかったんだよね』
『分かる。ちょっと自分ができるからってアドバイスしてきてさ』
『あいつの意見とか求めてないっつーの』
『悪気なさそうな所が余計に質悪いよね』
そうやって孤立して、俺は学校に行かなくなった。
怖かった。
誰も信じられない。信じたくない。信じるのが怖い。他人の目が怖い。
菜月や莉子の手を借りて、なんとか立ち直れて、高校ではなんでもない風に振舞ってたけど。
本当は他人に踏み込むのが怖くて、でも自分の性質なんてそう簡単には変えられなくて。
俺は『お節介』という葛藤の狭間でずっと揺れていた。
だから、藤白と奈良瀬と、深く関わるのが怖かった。
また嫌われるんじゃないかって、鬱陶しいと思われるんじゃないかって。
――でも、今は違う。
藤白がどう思うかとか奈良瀬がどう思うかとか、そんなのはどうでもいいんだ。
怖いとか怖くないとか、嫌われるかどうかとか、そんなことはどうでもいいんだ。
――俺がここで『お節介』を焼かなかったら、きっと後悔するから。
――だから俺は、二人を助けるんだ。
「来いよイケメンガチ恋勢。指南役が相手してやる」
「っざけんな……。調子に乗りやがって……。許さない。許さない。許さない! あー……あー……あああぁぁぁぁあああ!! こころちゃんもすいちゃんも、俺のもんだぁぁぁぁ!!」
イケメン君が俺に向かって駆け出す。
血走った目で、よだれを垂らしながら突撃してくる。
勝負は一瞬だ。
ナイフを躱し、あいつの体に有効打を入れる。
それができなきゃ、死ぬ。
死。それが脳裏にちらついて、足が竦みそうになる。
その時、あいつの奥にいる藤白と奈良瀬と目が合った。
そんな心配そうな顔すんなよ。
大丈夫だ。俺は、こんな奴には負けない。
今までの人生で色んなことを学んできた。色んなことに触れてきた。
サッカー、バスケ、野球、バレー、テニス、卓球、水泳。
色んなスポーツをやって――
当然武道だって、触ってきたんだ。
俺がどれだけ菜月んとこの道場でしごかれたと思ってる。
そうだ、例えナイフを持っていたって菜月や菜月のおじさんの方が万倍怖い。
「死ねええええええええ!!!」
相手が激情している時こそ、自分は常に冷静であれ。
逆に利用するんだ。相手の熱を。周りが見えなくなるほどの、その怒りを。
右手のナイフが突き出される。
「ふっ……!」
それを屈んで、避ける。
ここで止まるな。イメージしろ。攻撃する自分を。
あいつを倒している自分の姿を。
攻撃のイメージを、強く持て。
屈んだ状態から、ぐっと足に力を込める。バネが力を溜めるように。
「お、らあああああああ!!」
回し蹴りの要領で体を回転させ、溜めた足の力を一気に解放!
繰り出された俺のハイキックは、ドンピシャでイケメン君の横っ面に直撃した。
「がっ……あっ……」
イケメン君は壁に蹴り飛ばされて、そのままずるずると床に崩れ落ちる。
俺は手から零れ落ちたナイフを足で蹴り飛ばした。
「はぁ……はぁ……やった、か……?」
イケメン君はぴくりとも動かない。完全に意識を失っているようだった。
え、てか……生きてるよな……?
この家、廊下が広いからかなり勢いよく回し蹴りかましちゃったけど、大丈夫だよな……?
様子を伺うと、息はある。どうやら殺人犯になることはなさそうだ。マジで焦った。
力が抜けて、思わずその場にへたり込む。
「「下条君……!」」
すると、藤白と奈良瀬がこっちに向かって駆けて来ていた。
俺は軽く手を上げて無事をアピールするが――
二人は俺に向かってそのまま飛びついてきた。
「おわ!」
「下条君、下条君……! よかった……無事でよかった……本当に、死んじゃうんじゃないかって……」
「本当に、よかったです……本当に……うぅ……」
二人は俺の胸の中で涙を零す。
「ごめん。心配かけちゃったな」
そんな二人を俺は優しく抱き締めた。
これじゃあ、お節介で嫌われるんじゃないかとか考えてた自分がバカみたいだよな。
二人は俺のことを、こんなにも心配してくれていたのに。
「藤白、奈良瀬」
だから俺は伝えたくなった。
バカな考えを持って、ずっとびびっていた自分との別れの言葉を。
これからを紡ぐ言葉を。
「ありがとな」
藤白も奈良瀬もぽけっ、と目を点にさせたと思ったら、
「そ、それはこっちのセリフだよ!」
「そうですよ! それを言うならこちらこそありがとうございます、です!」
「ん、そうか? まぁ確かにそれもそうだな」
俺は笑った。なんだかおかしくって、笑いたくなった。
藤白も奈良瀬もバカみたいに笑ってる俺を見て「ぷっ」と吹き出して、笑った。
その時、がちゃり、と玄関の扉が開く。
「陽翔! 大丈……夫、みたいだね」
現れたのは菜月だ。隣にはお巡りさんも一緒だった。
「あぁ、見ての通りにな」
床には牛丼やら味噌汁やらがぶちまけられてて、引き戸のガラスは粉々だけど、でも、ちゃんと無事だ。
「菜月、さんきゅーな。色々押し付けちまって悪い」
「ふふ、いいよ別に。慣れっこだし。私は陽翔の幼馴染、だからね」
ふわんりと微笑む菜月に、俺は思わずドキリとする。
「あぁ……本当に、頼れる幼馴染だよ」
開けた玄関の扉から見えるのは、オレンジ色に光る夕日だ。
きらきらと輝いていて、俺は思わず目を細める。
長い長い一日が、ようやく終わる。
明日からは、また配信について二人と相談しないと。
今後の対応とか、方向性とか、考えなきゃいけないことは沢山ある。
(もしも二人が今回のことでトラウマになったりでもしたら……)
一瞬、そんな考えがよぎった。
「下条君」
藤白が、奈良瀬が、俺を見つめる。
「これからもよろしくね」
「私達には、下条君が必要ですから」
二人は恥ずかしそうにしながらも、でも目は真っ直ぐに俺に向いていた。
あぁ、そうだったな。
この二人は、俺が思ってる以上に、強いんだ。
「あぁ、任せとけ」
嬉しくて嬉しくて、胸の内に湧き上がる感情が抑えられなくて――
俺は小さく、笑みを浮かべたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます