36話 ストーカー男

 学校からの帰り道。

 菜月は持ち前の明るさを発揮して、藤白と奈良瀬と楽しそうにお喋りしている。

 大丈夫だと、心配しなくていいよと伝えるように。


 俺は三人が並んで会話している姿を一歩引いた位置で眺めていた。

 藤白も奈良瀬も実に楽しそうだ。

 こういう所やっぱり凄いよ、菜月は。


 俺は横目で後方を警戒する。当然、昨日と同じくあからさまに後をつけている奴はいない。

 だが、今俺達が歩いているのは住宅地だ。隠れられるポイントはいくつもある。

 またどこかから俺達を覗いているに違いない。


(くそっ、この卑怯者が……)


 常に見られているという感覚、いつ襲われるか分からない恐怖。そういうものは真っ先に藤白と奈良瀬の心を蝕んでいく。

 このストーカー野郎のせいで、二人は不安な日々を送る羽目になってしまった。

 許せない。絶対に探し出して捕まえてやる。


 沸々と湧き上がる怒り。

 その中で、一瞬だけ、もやっとした何かが俺の心に差し込んだ。


(あれ……そういえば、なんで俺はそんなに怒ってるんだ……)


 初めて二人とファミレスに行った時、確か俺はこう思ったはずだ。



 ――だからそれ以上は、深く入り込まない。



 そうやって線を引いたはずだ。

 あくまで指南役は彼女達が望んだことで、それ以上の深入りはしないって。


 でも俺は、深く入り込んでいる。家までついて行って、こうして二人の身を案じて。


(いや、だってそれは友達だから)


 ――中学の時、友達に深入りした結果、孤立したのに?


 頭の中で、俺じゃない俺の声で囁かれた。

 その言葉が、ずしんと重くのしかかってくる。


 違う。違うだろ。これはあの時とは状況が違う。

 理屈がどうとかトラウマがどうとか、そういう話じゃない。

 友達が困ってたら助ける。それは、ごく当たり前のことじゃないか。


 ――それがお節介なんじゃないのか?


 違う。二人は実際に困ってる。ストーカーに付き纏われてるんだぞ。

 だからこれは正しい行いで、俺は間違ったことはしていない。

 これで俺が藤白と奈良瀬に嫌われることなんて絶対にない。


 ないのに――


 はっきりそう言い切れるのに――



 どうして俺の手は震えてるんだ。



「陽翔?」


 菜月の声で、急速に現実に引き戻される。


「ん、どうした?」


 俺は取り繕う。


「いや、なんかぼーっとしてるように見えたから……」


「なんでもないよ。ちょっと晩ご飯何にするか考えてただけ」


「そっか……」


 それ以上、菜月は何も言わなかった。


 程なくして、俺達はマンションに着いた。

 エントランスに入ると、奈良瀬が深々と頭を下げる。


「今日はありがとうございました。下条君、菜月さん」


「本当にありがとね、二人とも。我儘に付き合わせちゃって……」


 きっと警察に相談しないから手間を増やしてしまっていることを言ってるのだろう。

 そんなこと、気にする必要ないのに。


「全然気にしないで。むしろもっと頼ってほしいくらい!」


「そうだぞ。なんなら俺達が勝手にやってることだ」


「下条君なんて今日は朝も送ってもらったのに……」


「それも俺が勝手にやってることだ。最近運動不足だったからな。むしろ有難い」


 そうやって軽口を叩いて笑ってやると、藤白も奈良瀬も微笑んだ。


「それじゃあ、今日は本当にありがとうございました」


「またね、下条君、菜月」


 奈良瀬がエントランスに設置された端末で暗証番号を入力し、オートロックの扉が開いた。


「またねー!」


「おう。明日も朝迎えに行くからな。夜はちゃんと飯食えよ。カップ麺じゃなくてな」


 苦笑い浮かべる二人が見えなくなるまで見届ける。

 開いたオートロックの扉が閉まる所まで、ちゃんと。


「陽翔」


 俺が一息ついた時、菜月が口を開いた。


「二人の前では言わなかったけど、ずっとつけられてる」


「――!! やっぱりか」


 俺じゃ気付かなかったけど、どうやら菜月には分かるらしい。


「……というか、分かるもんなんだな、そういうの。漫画みたいだ」


「あー……それは……」


 なぜか菜月は恥ずかしそうに俯いてしまった。


「お父さんが、小さい頃から私のことこっそりつけ回ってたから、それで……」


「あー……」


 そういやあったな、そういうの。

 おじさんは生粋の親バカ。菜月のこと大好きマンだ。それのせいで鍛えられたのだろう。


 三歳の頃から命がけの尾行ごっこさせられてた暗殺少年みたいだな。やっぱり漫画じゃねぇか。


「それでどうする? こっちから仕掛ける?」


「まずは様子を見よう。俺達がマンションに入ったことでもう帰ってる可能性もあるし」


「そっか。それもそうだね」


 俺達は何食わぬ顔でマンションを出る。

 しばらく歩いていると、


「まだいるね」


 俺と談笑しているフリをしながら、菜月が目線で合図してきた。


「……どの辺か分かるか?」


「たぶん、右斜め後ろの脇道」


 想像以上に正確な位置が告げられる。

 マジで凄いな、この能力。おじさんのストーキングに感謝だ。


「というかそれって、俺達をつけてる……ってことか?」


「そうなるね」


 標的を俺達に変えた?

 何か理由があるのか。


 俺が思考を巡らせていると、


「陽翔」


 菜月は一言、俺の名前を呼んだ。

 その瞳の奥にあるのは、怒りだ。


 菜月だって藤白と奈良瀬の友達だ。許せないんだろう。

 だから行かせてくれ。そう言っているのだ。


「深追いするなよ。凶器を持ってるかもしれないし、最悪顔さえ見れればそれでいい」


「任せて」


 俺はスマホを取り出し、カメラを起動する。証拠を押さえるためだ。

 ブレザーの胸ポケットにスマホを入れて目配せで合図を送ると、その瞬間、菜月は後方に向けて駆け出した。


「――ッ!!」


 見えた。一瞬だったけど、男。

 逃げたであろう男を追って、俺も菜月の後に続く。


 家と家の間にあるその脇道は、小さな緑道のようだった。

 石畳一枚分程度の道幅で、両サイドには草木が生い茂っている。手入れがされてないのか、一部は枝葉が伸びきっていて道を侵食していた。

 その奥に、脇目も振らず逃げている男の背中。


 男はその狭い道を進むのに苦労しているのか、若干もたついている。

 反対に菜月は障害物をものともせずにすいすいと進んでいく。


「わ、わ、く、来るなぁ! ……あっ!」


 男が背後から迫る足音に気を取られたせいか、足を取られて前のめりにつんのめる。

 そのままバタッと盛大にこけた。


「さぁ、観念しなよね」


「言い逃れはできないぞ」


 俺達を見ていたこと。気付かれてすぐに逃げ出したこと。

 以上を踏まえて、完全にこいつは黒だ。


「お、俺は何もしてない! たまたま通りがかっただけだ!」


「じゃあなんで逃げたの?」


「それはお前らが突然追いかけてくるからだろ!」


 ふむ、まぁ確かに今はまだその理屈も通るな。

 そのまま白を切るつもりか。


 俺はしゃがみ込んで男と目線を合わせる。


「なぁ、あんた……推しはいるか?」


「は、はぁ? なんだよ急に」


「俺はいる。白羽こころと黒羽すいって言うんだけどな。これが滅法可愛くてな。それでもまだまだ人気とは言えなくて……どうして誰も分かってくれないのかねぇ、二人の可愛さを。まぁ俺は彼女達がフォロワー5人の時から知ってる最古参だから誰よりも二人を理解してる自信があるけど――」


「ふざけんな! こころとすいを一番理解してるのは俺だ! ……あっ」


 俺はにんまり笑みを浮かべる。

 ミスターあるじは彼女達に並々ならぬ執着を見せていた。煽れば乗ってくると踏んだ俺の考えは間違いじゃなかったらしい。


「ふーん。二人のこと知ってるのか」


「そ、それがなんだよ! そんなの関係ねぇだろ!」


「そっかそっか。でも俺達最近ずっと誰かにつけられててさ。一応警察に連絡していいか? あんたが違うって言うなら警察にそう伝えてくれ。人違いならそれくらいできるだろ? 菜月、警察に連絡」


「分かった」


 菜月はスマホを取り出して警察に通報……するフリをする。

 菜月も藤白が警察に相談したくないことは知っている。だからこれはフリ。こいつを精神的に追い詰めて自首させるためのブラフだ。


 これで観念してくれればいいんだけど――


「なっ、くっ、や、やめろおおおお!」


「――菜月ッ!!」


 男は突然、飛びかかる様に菜月に向かって右拳を振り上げた。


 割って入るのは、もう間に合わない!

 俺はとっさに手を伸ばす。せめて服の裾でも掴んで引きずり倒せれば……!


 そんな俺の一瞬の思考は、全て無駄だった。


 菜月は向かってくる拳を左手で難なくいなすと、


「はぁっ!」


 そのまま右手でがら空きのボディを打ち抜いた。


「うっ! ……おっ……」


 男はなすすべもなく蹲る。


 そ、そうだった。とっさに体が動いちゃったけど、この幼馴染俺よりも強いんだった。

 とはいえ――


「な、菜月さん……?」


 おえおえと嘔吐く男。

 これはやり過ぎなのでは? 善処しますはどこ行った?


「大丈夫! ちゃんと手加減したから!」


 うーん、なるほど! これでも手加減していたらしい!

 じゃあもうしょうがないな。菜月は何も悪くない。悪いのはこいつだ。


「こ、このやろぅ……警察に、いってやる……こんなの傷害罪だ……」


「あー、すまん。一部始終は全部撮ってあるから、たぶん無駄だと思うぞ」


 俺が胸ポケットからスマホを取り出すと、男は目を見開いた。

 ちょうどカメラ部分がポケットからはみ出るから違和感なく撮れるんだよね、これ。


 流石に敗北を悟ったのか、男はがっくりと項垂れる。


 さて、これからどうするか。警察に連絡するのは嫌だって藤白は言ってたけど、こうなると流石に連絡しない訳にはいかないよなぁ。

 また何をしでかすかも分からないし、こっちの顔も割れてしまっている。


「ん、そういえば……なぁ、なんであんたは二人の正体が分かったんだ?」


 前に俺が疑問に思ったことだ。

 生活圏を特定しただけじゃ、藤白と奈良瀬のことを見つけ出すのは困難。二郷高校だと当たりをつけたとしても、ここの生徒だって数百人いる。

 何日も張り付いて、声だけを頼りに二人を探し出すなんてそんなラッキーが起こるとは考えにくい。


「お、教えてもらったんだよ。友達に」


 ……教えて、もらった?


「誰にだ」


「な、名前は知らない。リアルで会ったことないから。ネットでの名前は――」


 空気が揺らいだ、気がした。



「ミスターあるじ」



「――!?」


 ミスターあるじ……?

 じゃあこいつは、人違い……だってのか?


 嘘をついてる? いや、この場面で嘘をつくメリットがない。動画は回しっぱなしだし、そんな嘘はアカウントを調べたらすぐにバレる。


 じゃあ、それが本当だとして。

 ストーカーは元々二人いた、ということになる。

 正確には、ミスターあるじがこいつをけしかけた。


 なんのために?


 心臓がどくどくと脈打つ。

 嫌な汗が背中を垂れる。


 そんなの、決まってる。



 ――



「――菜月ッ! ここは任せた!」


「え、ちょっと陽翔!?」


 俺は駆け出した。マンションに向かって。


 急げ。急げ。急げ。急げ急げ急げ急げ急げッッ!!!


「頼む、間に合ってくれ……!!」

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