34話 見えない相手

「…………」


 もうもうと立ち込める湯気。

 ざーざーと降り注ぐお湯の雨。


 俺は今、シャワーを浴びている。

 それも藤白と奈良瀬の家のシャワーを、だ。


(なんでこうなった……?)


 いやこうなったもどうなったも、雨でずぶ濡れだったからお風呂に入ってと言われただけだ。

 それは分かる。逆の立場だったら俺もそうする。


 でも初めて訪れたクラスメイトの自宅で、しかも異性の家で、しかも多分親もいない二人暮らしの家でシャワーを浴びるなんて状況に動揺しない男がいるだろうか。


 つまり、俺は今物凄く動揺している。

 心臓が耳元で鳴ってるみたいにうるさい。


「下条君」


「わ、な、なに?」


 突然声をかけられて、俺の声も自然と上ずってしまう。

 すりガラスの扉越しに、藤白の影が見えた。


 やばい。これすっげー恥ずい。


「着替えここに置いておくから。私のスウェットだからサイズ合うか分かんないけど」


「あ、あぁ……ありがと」


 動揺が外に伝わらないように精一杯平静を装う。こういうのは恥ずかしがったら負けだ。堂々としろ。堂々と。


「えーっと……うん、それじゃあごゆっくり……」


 ぱたぱたと藤白が離れていくのを見届けて、俺は盛大に息を吐いた。

 だめだこれ。全然ゆっくりなんかできん。


 藤白も奈良瀬もシャワー浴びないと体冷えちゃうだろうし、さっさと出よう。


 藤白が用意してくれた服に着替え、入れ替わる様に藤白と奈良瀬がお風呂に入る。

 去り際に「その辺座ってゆっくりしてて」なんて言われたが、当然ゆっくりできる訳もない。

 だってすぐそこでクラスメイトの美少女がシャワーを浴びているんだから。微かに聞こえるシャワーの水音が否が応でも耳に入ってくる。


 俺は意識を別の方に向けるべく、辺りを見渡す。

 リビングダイニングは中々の広さで、15畳くらいだろうか。白を基調とした内装で清潔感がある。

 ダイニングには正方形のテーブル。リビングのソファはリネン生地だろうか。ナチュラルな素材が温かみを感じる。


「結構綺麗にしてるんだなぁ……ん?」


 ふとキッチンが目に入った。キッチンボードと冷蔵庫がある。それはまぁ普通の光景だ。

 だが、コンロの上が全然普通じゃなかった。


「マジか、これ……」


 自然と乾いた笑いが出てしまう。

 IHコンロの上のスペースには大量のカップ麺やカップ焼きそばが積み重ねられていた。

 一個や二個なんて生易しいもんじゃない。大量だ。換気扇まで届きそうなほどに。


「料理……しないんだな……」


 ショッピングモールに行った時の反応からしてそうだろうとは思っていたけど、まさかここまでとは。

 これじゃあコンロが一切使えないじゃないか。卵焼いたりベーコンやウィンナー焼いたり、そういう簡単な調理すらもやらないのか。


「そりゃあ手料理も恋しくなるわな」


 この惨状を見るに、いつもは弁当やカップ麺ばかり食べているのだろう。

 二人の健康が本格的に心配になってきた。


「お待たせ下条君。制服は今乾燥機かけてるからちょっと待っててね」


「あ、おう。さんきゅー……っ!!」


 お風呂から上がった藤白と奈良瀬は、どちらも部屋着に着替えていた。

 もこもこのパーカーにショートパンツ。そのショートパンツから伸びる真っ白な足に、俺の目は吸い寄せられてしまう。

 ショートパンツが、短い! あまりにも短い! 制服のスカート丈より全然短い!

 お陰でその魅惑的な肢体が惜しげもなく晒されていて、しかもお風呂上りというのも相まってもうどこを見ていいか分からない。


「……どうかしましたか?」


「い、いや……なんでもない」


 動揺は最高潮。軽口も出てきやしない。

 俺は高ぶった己の心を鎮めるために、キッチンに積み上がったカップ麺の山を無心で見つめた。

 あぁ、なんだろう。すっごい落ち着く。すっごいわ、カップ麺。


「――!! あ、その、それは……カップ麺好きだから! 買い溜めしてるんだよね!」


 俺がキッチンにあるカップ麵の山を凝視していることに気付いたのか、藤白は慌てた様子で弁明してきた。


 その様子に俺は小さく苦笑する。


「カップ麵好きなのは本当かもしれないけど、理由は別にあるだろ?」


「あ、う……」


「藤白も奈良瀬も料理しないんだな」


 二人は「うぐっ……!」と変な声を上げた。


「さ、最初はやろうと思ったんだよ? それに別に下手って訳でもないし、ちゃんとレシピ見たらそれ通りに作れるし……でも……」


「面倒くさくなったと」


「だ、だって毎日作るの……大変じゃないですか……」


 それは分かる。凄い分かる。

 俺もほぼ毎日ご飯を作っているがどうしてもやる気になれなくてサボってしまうこともある。

 俺一人だったら絶対に料理してない。莉子がいるから作ってる。そもそも一人分だけ作るのって結構面倒くさいしな。


「じゃあ、毎日カップ麺とか弁当?」


「最近はウーバー使ってるよ!」


「ウーバーか……ウーバーならまだマシ……なのか……?」


 一応お店の料理だからカップ麺よりかはまともに思える。

 流石に毎食マック頼んでる訳でもあるまいし、ただ外食してるだけと考えれば理解できる。できるが……やっぱり健康面を考えたら自分で作った方がいいだろうなぁ。

 外食はどうしても濃い味になるし、自分で味付けを変えたりもできない。


 しかし驚きなのはその食生活を続けているのに維持されているそのスタイルの良さだ。運動とかちゃんとしているのだろうか。いやする訳ないか。面倒くさがりだもんな。


 見た目には不摂生の影響は出てないが、できればちゃんとしたご飯を食べて欲しい。気持ちは既に友達というより親目線だ。莉子に対する心配に近いものがある。


「俺、今日の晩ご飯作ろうか?」


 だからその提案が出るのはごく自然だった。

 二人は顔を綻ばせるが……すぐに影を落とした。


「うち、食材とか一切ないから……」


「あぁ……」


 自炊を諦めた人間が食材を保管している訳もない。冷蔵庫はきっと空っぽなのだろう。


「じゃあ手料理はまた今度だな」


「うぅ……下条君の手料理……」


「食べたかったです……」


 分かりやすいくらいに肩を落とす二人。

 そんなに食べたかったのか、俺の手料理。そう聞くと特別感があるけど、別に俺のじゃなくてとにかく手料理が食べたいだけだろうな。


「あ、下条君。そんなとこ立ってないでこっち座りなよ。今お茶入れるから」


「いやいやお構いなく」


「お構いするの。下条君にはボディガードしてもらったんだから、これくらいさせて。制服乾くまでまだ時間かかるし」


 そう言われてしまったら断るのもあれなので、大人しくダイニングの椅子に座る。

 床に置いてあった鞄からスマホを取り出すと、SNSからの通知が来ていた。



 ミスターあるじからの、DMだ。



『男連れ込むとか、このビッチが』

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