33話 雨宿り
あれから数日がたった。
二人もあの日の配信の事の重大さは理解しているようで、配信後には何度も謝られた。むしろ謝りたいのは俺の方だ。俺が事前に教えていれば防げたのだから。
指南役が聞いて呆れるよ。
ともかくあれから特に変わった所もなく、俺達はごく当たり前の日常を過ごしていた。
俺の管理する白羽こころと黒羽すいのアカウントにも目立ったコメントもDMも来ていない。
杞憂だったのだろうか。
ミスターあるじからの意味深なメッセ―ジはただのいたずらで、警戒するほどのものではなかったのか。
それならそれでいい。何事もないに越したことはない。
だけど、なんだろう。この胸の内にべったりとこべりついた違和感は。
俺はなんとなしに窓から外を見つめる。今は帰りのHR中だ。
既に他のクラスではHRが終わっているのか、早足に帰路に着く生徒の姿が見えた。
空を見上げると、暗くて分厚い雲が一面に広がっている。
今にも降り出しそうな天気だ。
曇天はまるで俺の心そのものみたいに淀んでいて、見ているだけで勝手に焦燥感が募っていく。
気付けばHRは終わっていて、教室内がばたばたと慌ただしくなった。
橘や光希、悠は部活に行き、菜月も用事があるみたいで足早に教室を出て行った。
「下条君……ちょっと、相談したいことがあるんだけど……」
藤白と奈良瀬が、深刻そうな顔で俺の席までやってくる。
――悪い予感は、どうしてこうも当たってしまうのだろうか。
***
俺達は場所を変えて、使われていない空き教室へやってきた。長い間使われていないからか、埃とカビの匂いが若干鼻につく。
ぴっちりと閉じられたカーテンと窓を開け放つと、少しはマシになった。
「相談っていうのは、この前のことか?」
二人に向き直ると、藤白が暗い顔付きのままこくりと頷いた。
「うん、そう。あのね……気のせいだったら、それでよかったんだけど……でもどうしてもそうは思えなくて、怖くて……私達が頼れるの、下条君だけだから……その……」
言葉の端々から、二人の抱く恐怖がひしひしと感じられた。
きっと、ただ事ではないことが起こっている。自然と手に力が入った。
藤白が、意を決したように小さく息を吸う。
「私達ね……最近、つけられてる気がするの」
それは、俺が想定していた中でもかなり悪い部類の話だった。
「それは、ストーカーってこと?」
「……うん。多分、なんだけど……視線を感じるんだ。姿は見てないから、本当に感覚の話になっちゃうんだけど……。ごめんね、急にこんなこと言って……」
「最初は気のせいだと思ったんです。でも、私も結乃ちゃんも感じたから、多分気のせいじゃないんじゃないかって……」
「信じられないかもしれないけど、でも――」
「しばらくは家まで送るよ」
俺は、藤白の言葉を優しく遮った。
「え……?」
「帰りはもちろんだけど、朝も。その方が安心できるだろ?」
「それは、そうだけど……信じてくれるの? 根拠なんて何もない、ただの勘なのに……」
「この前の配信から視線を感じるようになったなら、根拠としてはそれで十分でしょ。それに……俺達友達だろ? 信じるよ」
もしもこういう状況になったなら、遠慮なく言って欲しい。俺は前もって二人にそう言っておいた。
可能性は低いとはいえ、実際にリア凸してくるリスナーがいないとも限らないからだ。
ただのファンならまだいい。だが、悪意を持って二人に近付く輩がいないとも限らない。
だから友達として、指南役として、二人を助けることは当然のことだ。
それでも、嬉しかった。
きっと二人も俺に迷惑をかけたくないと思ったのだろう。実害があった訳でもないのに、ただ視線を感じるだけで相談してもいいか悩んだのかもしれない。
でも藤白も奈良瀬も、話してくれた。俺に迷惑をかけてもいいと思ってくれた。頼ってくれた。
それが本当に、嬉しかった。
「ありがとう……下条君」
「ありがとうございます……本当に……」
「いいって。気にすんな」
なるべく暗くなり過ぎないように、俺はあえて明るく振舞う。
ストーカー被害がどこまで続くか分からない以上、長期戦も覚悟しなければならない。そうなったら、先に心が参ってしまうかもしれない。
「それじゃあ帰るか。場所分かんないから、道案内よろしくお願いします。お嬢様方」
俺がわざとらしく一礼すると、二人は小さく笑った。
「仕方ないなぁ、下条君は」
「しっかりついてきてくださいね?」
「ははぁ、仰せのままに」
笑い声が、空き教室に木霊する。
これで少しは気が晴れたかな。
***
「それでさ、光希が言ったんだよ。陽翔、お前は絶対ベーシストタイプだって」
「ベーシスト……ですか? なぜ?」
「根暗っぽいってこと」
「えー下条君が根暗? ないない」
「絶対、ないですね」
「いやいや、俺にだって根暗な要素あるよ?」
「根暗な人は店員さんとお喋りしたりしないの」
学校からの帰り道。俺達は他愛もない会話をこうやってつらつらと続けていた。
こうでもしないと、きっと二人は不安と恐怖に圧し潰されてしまうから。だから俺は会話が途切れないように話を振り続ける。
その合間にちらちらと後ろを確認する。
当然、怪しい人影なんて見えない。
たまたま今日はいないのか、それとも俺がいるから警戒しているのか。
どちらにせよ油断は禁物だ。そもそも相手が一人なのかも分からないしどんな手段に出てくるかも予想がつかない。
しかし、こうして一緒に帰るのはあくまで応急措置でしかない。根本的な解決をするなら受け身ではだめだ。せめて実際にストーカー行為を働いている所を動画にでも収められたら警察も動いてくれるだろうが。
一体、どうしたもんか。
「下条君……?」
俺が考え込んでしまったせいか、藤白が不安げな表情を浮かべていた。
「あぁわりぃ。ちょっと今日の晩飯どうするか考えてた」
そうやってなんでもないと暗に伝えると、
「ごめんね……下条君」
藤白は消え入りそうな声で、ぽつりと呟いた。
「だから気にすんなって。こんなんさっさと解決して、ちゃちゃっといつもみたいに馬鹿騒ぎしようぜ」
「でも、私達……なんもお礼できてない……」
「いいってそんなの。感謝されたくてやってる訳じゃないし」
そう言っても、藤白も奈良瀬も浮かない顔をしていた。
うーん、ここで断り続けるのも二人の気持ち的にはよくない……か?
簡単に缶ジュースの一本とかでも貰っておくかと、考えていたら――
「あ、雨……」
雨が降ってきた。
次第に雨足は強くなって、ぽつぽつだったのがざーざーと音を立て始める。
「やば……本降りになってきたな」
「もうちょっとで着くから走ろう!」
俺達は鞄を頭を上に乗せながら走る。
しばらくすると、大きなマンションが見えてきた。コの字型をしたそれはとても綺麗な外装をしていて、敷地内への入口は木々や草花で立派なガーデニングが施されていた。
エントランスに入ると中も外見に違わず綺麗な造りをしていた。石畳の床やオレンジの照明がシックな雰囲気を演出し、革張りのソファが佇む様は高級マンションのイメージまんまだ。
「びしょびしょになっちゃったね……」
「ですね……中までぐしょぐしょです」
なんとなしに二人に目をやると、開けたブレザーから覗くワイシャツ越しにぴったりと張り付くキャミソールと、薄っすら見える下着。慌てて目線を逸らす。
「あー……とりあえずここまで来たら大丈夫だろ。俺は帰るわ」
このマンションはオートロックみたいだし、見た感じセキュリティもその辺のマンションとは比べ物にならないだろう。
だったら俺の役目はここまでだ。早く帰ってお風呂にでも入ろう。
そう思っていたのだが――
「下条君……あの……嫌じゃなければだけど……家、寄ってかない?」
「……え?」
「結乃ちゃん……それは……」
「下条君、このままだと風邪引いちゃうでしょ? それにほら、お礼もできてないし……お茶でもどうかなって……。真白は嫌?」
「……嫌じゃないです。私も下条君が風邪を引いてしまうのは不本意なので」
藤白はそれを聞いて、「どうかな?」と俺に聞いてきた。
「いやでも、流石にそれは……くしゅんっ!」
俺のくしゃみが、エントランスに響き渡る。沈黙が突き刺さる。
「……お邪魔させていただきます」
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