#23 異世界人の葛藤




ヴェリアがエルムヴィーゼ人と聞いて、自己紹介をするのを躊躇うのかと思ったが、リアはすんなりとヴェリアに「リア・スウィーティー」と名を名乗った。いや、リア・スウィーティーという名前自体が偽名なのだが、リアという名前でバレバレなんだよな。といっても、本名はリアーティ・なんとかなんとかなんとか・ウィンサームだったな。俺って未だにリアの本名を覚えられないでいるのか。



「リアーティー王女殿下で間違いないですよね?」

「……違うと言ったら?」

「そういうことにしておきます」



エルムヴィーゼ人には念の為に警戒したほうが良さそうだが、そこはリアだよな。口は悪いが何事にも真っすぐで困った人は見逃さない。王女たるリアらしい振る舞いだと俺は勝手に解釈した。こんなひどい怪我をしてきたのだから、ヴェリアの話を聞かないわけにはいかない。なんてリアの顔に書いてある。



「それはともかく、あなた、その顔はいったいどうしたのかしら」



よく考えたらデリカシーがないよな。これだけの大怪我をしたのだから、トラウマの一つや二つあってもおかしくない。だが、ヴェリアはゆっくりと口を開いた。



「知ってのとおり、ウィンサーム王国領土で大規模な戦争が起こって……私はレジスタンスだったんです。ちょうど大森林にいたのですが、火災に巻き込まれてしまい……こんな顔に」

「それは、レンドランの大森林のこと?」

「ご存知なのですか?」

「知ってるもなにも……」



リアは目を背けた。なにか嫌なことでも思い出してしまったのだろう。大規模な森林火災を海外のニュースで見たことがあるが、視界すべてがオレンジ色の炎と煙に包まれて、方向感覚を失いどこに逃げていいのか分からなくなったと、煤だらけの人がインタビューに答えていた。



「わたしもその火災から逃れたから」

「そうだったのですね。それでリア様も……」

「それで日本に逃げてきたってわけね。その……痛くない? 火傷は大丈夫?」

「それは……死ぬかと思いました」



一瞬、ヴェリアの表情が変わった気がした。眉間に皺を寄せて、目つきは鋭く、かつ低い発声。よほど恨んでいるのだろう。



「ですが、幸い森にいた仲間のレジスタンスの中に回復師がいたんです。でも完治にはいたりませんでした。ジュラミルダ帝国の掃討作戦に太刀打ちできず、手負いの私だけでもと仲間たちが中立国ガームに避難させてくれたのです。それでホームレス同然の生活をしているなか、ウィンサームの騎士だという女性の方が必死に私を支援してくれました」

「ウィンサームの騎士!? 名前はッ!?」

「おい、リア」



リアは立ち上がってヴェリアの肩を揺さぶった。ウィンサームの騎士が話に出てきたからとはいえ、いくらなんでも興奮しすぎだ。



「シトラ様です」

「シトラが生きてるのッ!?」

「生きてます」

「今はどこに?」

「ウィンサーム王国国境で帝国軍と死闘を繰り広げております」

「そう……」



シトラという女騎士は、リアの護衛であり幼馴染であり親友だ。それは以前リアの過去の話の中で幾度となく登場しており、生まれてから今までリアが唯一絶対の信頼を置いていた人物。リアを逃すために盾となってジュラミルダ帝国に捕まったのだと聞いていた。つまりそれは死を意味する。リアはそう確信しており、心を痛めていたはずだ。



それがここにきて生存を確認できたことはかなり大きい。



「本当にばか」

「リア?」

「なんでわたしに無事を知らせないのよ……」

「伝えようがなかったのです」



ヴェリアはしゃがれた声でリアに言った。しかし意外だ。まさか日本の水族館で出会った異世界人とリアに共通の知人がいたとなると、なんだか世界は狭いと感じてしまう。



「だって、生きてさえいればなんとでも……」

「シトラさんはガーム議会の審査が通らなかったのです」

「え? 議会がなんで?」

「王女殿下が戻らないようにシトラ様に接触を禁じたのです」

「なんで……そんなことを。酷いじゃない」

「加えてシトラ様は王国最後の希望です。ガームは中立とはいえ、帝国を毛嫌いしております。だから、シトラ様を本営として、レジスタンスとともにウィンサーム王国には立て直してもらわないと困ると考える貴族が多いのでしょうね」

「でも、連絡くらい……」

「改めてお聞きしますが、あなたはウィンサームの王女殿下ですよね?」

「ち、違うと言ったら?」



動揺を隠せないあたり、リアはやはりかなりのポンコツだと思う。



「水銀のような髪に蒼玉のような瞳。ウィンサーム家の子に懸賞金を賭けた。額にしておよそ二千万ジュラ」

「……それで声をかけた理由は? まさかわたしをウィンサームに連れ戻して賞金をもらいたいわけではないでしょうね?」

「まさか。シトラ様の代わりに殿下に私がお伝えしたかったのです」



つまり、シトラが接触禁止命令を受けたために、ヴェリアが代わりにシトラの生存と状況を教えてくれたということか。



「お聞きしますが、殿下はウィンサームに戻るつもりはないのですね?」

「……ええと」」



リアは俺の顔を見た。さっき、俺が“帰らせたくない”と言ったことを気にしているのだろう。だからと言って、シトラを慮るリアの気持ちを察して、俺がなにかを言うのも違う気がした。俺は自分の本心を伝えてあるし、それは曲げたくない。だが、どんな結果になってもリアの意思は尊重するつもりだ。



「帰らないわ。わたしは自分の役割を果たすし、責任だってある」

「それは……ウィンサームの存亡よりも大事なことなのですか?」

「それは……天秤に掛けることが難しいわね」

「これからいっぱい人が死んでも、ですか?」

「わたしが死ねば、もっと多くの犠牲が出ると思う」

「ですが、殿下が戻られれば士気が上がります」

「そうかもしれない。でも……わたしは」

「分かりました。シトラ様には伝えておきます」

「待って、ヴェリアは戻るの?」

「もちろんです。私一人が平和に生きるわけにはいかないですから」

「ごめんなさい」

「いえ。これが私の生きる道ですし、殿下は殿下のお考えがあるのでしょう」



リアはその場で片膝を突き、ヴェリアに頭を垂れた。



「シトラの無事を知らせてくれて、本当にありがとう……あなたに神のご加護がありますように」

「残念ながら。私は見捨てた神に縋るつもりはないので。あ、気に触ったらごめんなさい」

「……そう。なら、わたしがあなたの息災を願うわ」

「ありがとうございます」



ヴェリアは踵を返して階段を下りていった。最後はヴェリアの目が少しだけ鋭かった気もする。ヴェリアはリアを探していたのだろうか。リアを探し回っていたにしては、こんな水族館まで探しに来るとは、なかなかの気概だと感心してしまう。



リアはしばらくベンチに座ったまま呆然とマンボウの水槽を眺めていた。死んでいると思っていたシトラが生きていたのだから、それは嬉しいはず。それとヴェリアに聞かれたことがボディブローのように効いているのかもしれない。



俺は今までそういう生死を賭けた人生というものを体験したことがない。まして、大切な人を失うという経験がないから、気持ちを分かち合ってあげることもできない。だから、どう寄り添っていいのか分からなかった。



それなのに自分の気持ちだけを押し通した。それで良かったのだろうか。



「ごめんなさい。心の整理がつかなくて」

「いいよ。ゆっくりでいい」

「少しだけ心の荷は下りたけど、それでもウィンサームのことを考えると、わたしだけ……こんなに幸せでいいのかって悩むこともあるの」

「……さっき、俺はああ言ったが、俺に気にせず帰りたければ帰っていい。俺にリアを引き止める権利なんてないからな」



だが、リアはキリっと俺を睨んだ。



「ばかなの。わたしはあなたにウィンサーム王の第一継承者として誓ったのよ。あなたにすべてを捧げるって。その言葉の責任は軽くないわ。わたしはあなたとともに生きる。そう決めたのに、やすやすと帰るわけないでしょ」

「だが、気持ちは違うんじゃないのか?」

「それは……そうかもしれない。本心を言えば、まだわたしは、わたしの心はウィンサームとともにある。シトラが戦うならわたしも戦わなくちゃって思う。わたしだって、分からないの。どうしたらいいのか……」



王家に生まれて封印の使命を背負い、ウィンサーム王家として帝国と戦わなくてはいけないという責務の重圧がのしかかり、俺と出会ってしまったことにより、婚約者としての意思を全うしなければならない。



葛藤しないほうがおかしい。



ヴェリアが現れたことによって、問題が可視化されてしまった。ウィンサーム王国はまだ滅亡しておらず、戦闘を続けているのだからなおさらだ。



「悩めばいいと思う」

「えっ?」

「そんなにすぐに割り切れるものでもないだろ。俺はリアじゃないから、リアの気持ちが分からない。だが、近くにいることはできる。だから、なんでも話してほしい」

「……うん」



シビアな話を聞いてしまったから、切り替えるのはなかなか難しいだろう。だが、葛藤する反面、シトラが生きていると分かった今、リアの気持ちは多少軽くなったのも事実のようで、それはリアにとってターニングポイント的な出来事だったのも確かだ。



「いつかシトラと会って直接話したい。それがまずは第一の目標ね」

「そうだな。その方法を探すのも一つだ。リリンに相談してもいいし」

「癪だけど、あの子は特別な力を持っているから、協力を要請してもいいわね」

「なかなか割り切れないかもしれないが、今日はデートを楽しもう」

「そうね。春斗ありがとう」

「? なにが?」

「春斗に帰ってほしくないってはっきり言われて、それが嬉しかったの」

「悩ませているのに?」

「逆にそれは、わたしがここに居て良い理由でしょう?」

「まあ、そうなるかもな」



リアはおそらく、俺に気を使わせないためにそう言ったんじゃないかと思っている。俺がリアを引き止めていることに俺自身も葛藤していると案じてくれたんじゃないかって。



リアはそういう人なんだ。



だから、リアを帰したくないって堂々巡りの螺旋のような状況に陥っているんだろうな。俺も、リアも。






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