#22 異世界人と異世界人



しばらく潮騒の音に耳を傾けて、気分を落ち着かせてから水族館の入場ゲートに向かうことにした。



入場料金2,300円。二人分で4,600円。これは馬鹿にならない。



「自分の分くらい自分で出すわよ」

「金持ってるのか?」

「一応働いているから」

「あのメーチャさんが給料を?」



金の亡者が給料を払うなんて。いや、それは当たり前のことなんだけど、アングラを極めていそうなメーチャさんが家賃免除の上に給料を出すなんて、真夏でも雪が降りそうな話だ。



「もちろんもらってるわよ」

「いくらだ?」

「日に4,446円よ」

「なんで……あの金の亡者が」

「そういえば、労働基準なんたらが入ったとかなんとか言ってたわね。それで給金を出すって」



タダ働きをさせていたら、そのうち人身売買とかの罪で逮捕されそう。さすがにまずいと思ったのか。まあ、一日四時間働いて、その金額ということは最低賃金であることに間違いはないが。異世界人を奴隷のように扱うメーチャ容疑者。ネットニュースで話題になりそうだな。



「使うところがないもの。お金ならあるわよ」

「とっておけ。ここは俺が出すから」

「わたしだってプライドくらいあるわよ。いくら婚約者とはえい、春斗の庇護下に入るわけにはいかないでしょう」

「初デートなんだから、少しくらいかっこいいところ見てくれよ」

「……お金出すのがかっこいいの? むしろ王族としては不服だわ」



ああ、リアは王女様だったんだな。だから下々の者に金銭を払わせるのは不快なのか。そこまで気が回らなかった。



「でも、春斗がそうしたいのなら、お言葉に甘えようかしら」

「そうしろって。これは俺のおもてなしだから。はじめてのデートでリアをもてないしたいっていうだけの話だ」

「なるほど……ごめんなさい。春斗のプライドを折るような言動だったわね」

「そこはありがとうだろ。お互い様だ。俺だってリアの気持ち考えていなかったからな」

「うん。春斗ありがとう。そういうところ、嫌いじゃないわ」



券売機で二人分というボタンを押して、お金を投入する。すると、二人分のチケットが発券された。それぞれ海洋生物の写真がプリントされていて、俺がサメ。リアはアシカだった。



「か、かわいい……。アシカ?」

「ああ、アシカだな。あとでショーでも見に行くか」

「ショーなんてやってるの?」

「そうみたいだな」



巡り合いの海。



そんなテーマの水槽は見上げるほど巨大で、イワシの群れがまるで一匹の巨大な生物のようにうねりを上げている。




「うわ〜〜〜〜」

「すごいな」

「これが海の中の世界なのね」



イワシの中を小さなサメが優雅に泳いでいるが、獰猛なイメージとは程遠く、イワシを暴食する気はないらしい。水面に反射する光の中を漂っているように見える。



リアは水槽に手のひらを当てて、子どものように目を輝かせている。



小学生の時に国語の授業で読んだスイミーという話を思い出した。スイミーは小さく黒い魚で、ある日仲間がマグロに食べられてしまうが自分だけ助かる。そして新たな赤い魚の仲間とともに魚で群れを作って自分が目の役となり、マグロを追い払って捕食を避ける話だった。その話をすると、リアはやけに感動していた。



「わたしはその小魚の気持ちが分かるわ。すごく勇気のある魚だったのね」

「ああ、言われてみればそうだな」

「仲間を失ったのに、その恐怖を乗り越えて新たな仲間とともに立ち向かったのでしょう?」

「まあ、そうなるな」

「わたしは無理だもの。本来ならエルムヴィーゼに帰って仲間を募り、帝国に立ち向かうべきなのは分かってる」

「封印を守るためだろ。リアの行動は間違っていないと思うぞ?」

「そうね。でも、子どもができて役目を終えたら或いは」



思わずリアの手首を握ってしまった。



「えっ?」

「帰らせたくない」

「なによ……急に」

「行かせない。リアにはもう危険な目に遭ってほしくない。リアは子どもを作るためだけに生まれてきたんじゃないだろ。リアはリアの幸せを追い求めてもいいだろ」

「……わたしの幸せなんて。わたしだけ幸せになるわけにはいかないわよ」

「じゃあ、俺のために……リアが幸せになってほしい」

「春斗のため……?」

「リアが幸せになってくれることが、俺の幸せだ」



って、俺はいったいなにを口走っているんだ。そんなのリアに強要することじゃないだろうし、リアと俺が結婚すると決まったわけじゃない。リリンもいるし、リリンの話も聞かなきゃいけない。リアのバックグラウンドを知ったからといって、リリンを突き放すことはできない。



だからといって、封印を守るために子どもだけを残して、エルムヴィーゼに帰って生死を賭けた戦いに臨むなんて、俺は反対だ。



「もう、ばか。そんな顔しないの。春斗の気持ちは分かってるわよ。わたしの身を案じてくれているのは……嬉しいわ」

「でも、これはリアの選択なのも分かってる」

「行かないわよ。春斗を置いて帰るなんてしない。約束する」

「本当だな?」

「指切りげんまんする?」

「……ああ」



指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます。指切った。



「これでわたしを幸せにしなかったら、針千本を冗談抜きで飲ませるから。覚悟しておきなさいっ!」



本気で針千本用意しそうで怖い。



「お魚さんの鱗も水の中で見るとキレイね」

「お魚さんなんて可愛く言われてもな」

「なによ?」

「いや、悪い。リアのキャラじゃないなって思ったから」

「悪かったわね」

「でも、俺は……好きだぞ」

「えっ?」

「その、リアのそういうとこ」



リアは「ばかっ」とつぶやいて先に進んでいってしまった。そんなに悪いこと言ったか。お魚さんだなんて、“さん”付けをするような性格じゃないだろ。人間はすべて呼び捨てで、俺なんか変態だの、エロいだの、ばか呼ばわりするくせに。



慌ててリアを追いかけると、暗い通路で立ち止まって俺を待っていてくれた。



「遅いわよ。はぐれたら一生会えないんだからね。ばか」

「はいはい」

「ほら」

「え?」



リアは俺の小指を摘んでゆっくりと先陣を切った。指切りげんまんをしたせいか、小指を摘むことに抵抗がなくなったのだろう。そもそも、この時点でリリンとの約束は破棄されたことになる。俺との身体接触は禁止されているはずだが、指が触れてしまった。



それにしても“一生会えない”か。リアを召喚した日、リアを異世界省に連れて行くときに俺が言ったセリフのパクリじゃねえか。




16−2




次のエリアはクラゲゾーンだった。暗い空間の中にライトアップされた丸い水槽が浮かび上がる。クラゲは思っていたよりも大きくて、白く透明な体は神秘的。時間によって紫からピンク、そして青、黄色と水槽内のライトの色が変化していく。



「このクラゲという生き物はスライムの一種なのかしら?」

「スライムがどういう生物なのか分からないからなんとも言えないけど、多分違うと思う」

「スライムはゼリー状の体の中に生命のコアがあるだけの単純生物ね」

「そうやって聞くと、なんともファンタジーすぎるな」

「生命のコアはどんな生物でもあるはずよ。魂を覆う殻とも言うわね。万物どんな生き物でも死ぬと世界樹に魂が吸収されるの。そして吸収された魂が葉になって、その葉が落ちる時に再び生まれ変わるわけね」

「知らなかった。エルムヴィーゼはすごいな」

「ここだって同じでしょう? こんなの常識じゃない。そんなことも知らないなんてあなた頭は大丈夫なのかしら?」

「悪かったな、魂の知識がなくて」



頭をカチ割りたくなった。こいつは本当に。



リアはクラゲが好きらしく、いつまでも見ていられると言って水槽の前で呆けるように立っている。なんとなく絵になるなと思って、俺はスマホのカメラを向けた。普段、俺はあまり写真を撮らないものだから、リアはシャッターが鳴った瞬間驚いたみたいだった。



「な、なに?」

「リアが絵になるなって思って撮ったんだ。ほら」

「これがわたし?」

「ああ、なかなか良い感じだろ?」

「そういえばデートは写真を撮るものなのでしょう?」

「別にそういう決まりはないと思うけど、まあ、そうだよな」



デートをしたことがないから分からない。そういえば、よさこいのイベント毎に有珠は俺と写真を撮っていたな。それくらいしか自撮りなんてしたことがない。



「二人で撮る?」

「……わたしの写真を撮って、高く売りさばくつもりじゃないでしょうね」

「するかっ!」



高く売れそうではあるけど。クラゲの水槽の前で撮ろうということになったが、なかなかうまくいかない。インカメラで撮ると違和感でしかない。その違和感の正体は、おそらく俺とリアの距離感だ。スマホのディスプレイに映る俺達は棒立ちで、どこかよそよそしい。



「遠い。リア、この写真気持ち悪いくらいに仲悪そうだぞ」

「……どうすればいいのよ」

「……近づいていい?」

「……いいわよ」



肩が触れるくらいに寄って撮ってみると、さっきよりはだいぶよくなった。でも、リアはその写真を見て「全然婚約者には見えない」と納得しない。



「仕方ないわね。こ、これは写真のためなんだからねっ!」

「えっ!?」



俺の腕に抱きついて顔を俺の肩に付けた。画面越しに見るリアが超絶可愛すぎる。少し上目遣いになるところもリアっぽくていいし、角度的に水槽からの光が瞳に入ってキラキラしていてアニメの中のヒロインみたいだ。そして極め付きの満面の笑み。急激に心臓の鼓動が速くなって過呼吸で倒れるかと思ったくらい。思わずシャッターボタンを連打してしまった。



「今度はなかなかいいじゃない。でも、春斗はどうして恥ずかしそうな顔してるのかしら」

「仕方ないだろ……リアが」

「わたしがなによ?」

「……なんでもない。次行くぞ」

「ちょ、ちょっと〜〜〜」



カニの水槽エリアを抜けて二階に上がると、なんとも獰猛そうなサメがいた。シロワニとかいう名前らしい。サメなのにワニなのかと思ったが、因幡の白兎の話に出てくるワニもサメだというし、そういうものなのだろう。凶悪そうな顔をしている。けど、リアの感想は違った。



「目が可愛いと思うの」

「凶暴なのに? 人を襲うかもしれない魚だぞ?」

「どんな生物でも生きるために捕食はするでしょう?」

「それはそうだけど」

「人間の物差しで測ればそうなるかもしれないわね。本能で敵を怖いと認識するのは生物としては当然の反応だものね」

「リアは怖くないのか?」

「襲われたことないもの」

「それはそうだろうけど。そんなこと言ったら俺だってないよ?」

「よほど人間のほうが怖いわよ」



襲われたことがないからサメは怖くない。人間は怖い。深い意味はないのかもしれないが、少しだけリアが人間のことを苦手だと言っている意味が分かった気がする。



「リア、大丈夫だ。うん」

「なにが? ちゃ、ちゃっかり手なんて……つ、つ、繋いでるんじゃないわよ、ばか」

「俺のそばにいろ」



リアの手を引いて次の水槽に移る。小指じゃなくて今度はしっかりと手を繋ぐことができた。氷の魔法を使う割には温かい手だ。リアが迷子にならないようにちゃんと俺がエスコートしてやらないとな。



隣の水槽にはマンボウが泳いでいる。サメの後に見るとなんだか落ち着くな。



「海の中を見たいと言ったのはわたしだけど、こうしてみると可哀そうね」

「可哀そう?」

「もっと広い世界で生きたいでしょうに。わたしも……同じだったから気持ちが分かるの」

「子どもの頃、王城から出たことがなかったって話か?」

「そう。安全が守られる代わりに自由もなかったわ。自由になったかと思えば、今度は命を狙われるなんて」

「そうだよな」



リアからすれば自由の上に成り立つ平和は夢のまた夢だったはず。この水槽の中の生き物たちも同じだ。広い海に帰れば命の危険は脅かされる。しかし、この水槽の中にいれば餌は無条件でもらえる代わりに自由はない。どちらがいいのか、俺には判断できない。



「今はどうなんだ?」

「……幸せよ。一応はね」



ただ一つ言えることは、リアはもっとたくさん幸せになる権利があると思う。これ以上つらい経験をしてほしくない。



「リア、もっと楽しいこといっぱいしような」

「だから、さっきからなに。らしくないわよ。ばか」



館内放送により、イルカとアシカのショーが始まることが分かった。俺達も会場に向かって席に着く。一番前のほうは水が激しく掛かるらしい。だからなのか、あまり人がいない。リアの希望もあって、俺たちは最前列に座ることに。



「絶対にずぶ濡れになるぞ」

「大丈夫よ」

「その自信はどこから……」



しばらくするとステージにアシカが調教師とともに現れた。



「かわいいっ! 生アシカっ!」

「ナマか……」

「変なところだけ抽出しないの。変態」

「どこが?」

「なんとなく」



アシカはボールを口の先で転がしたり、ヒレで拍手をしたりと芸達者だった。次にイルカショーが始まり、予想通り水槽の縁あたりを泳いでわざと水をかけてくる。レインコートを売店で買ってきた客はずぶ濡れになることを楽しみ、まさかそこまで濡れないだろうと高をくくっていた客はあまりの水量にドン引きしていた。



俺達は……。



掛かってくる水すべてがリアの魔法により霜となって空中を漂う。氷にならないように調整するのが難しいらしく、リアは、



「わたしの魔法調整もなかなかでしょう?」

「すごいとは思うが、目立ってるぞ」



魔法なんて見たことのない人ばかりだ。いや、それ以前に魔法だと認識していない人のほうが多い。



イルカのショーを終えて席を立とうとすると、一人の女性が俺達の前に立ち止まった。その女性は夏だというのにビーニーをすっぽり被っている。そしてマスク。一体なんの用だろうか。



「あの、エルムヴィーゼの人とお見受けしました」

「そうよ。あなたは?」

「私はヴェリアです。ヴェリア・ランチェリーと申します」



ヴェリアと名乗った女性はマスクを外した。顔全体に火傷の痕があり、唇も削がれたような形跡。鼻はかろうじて付いているが、眉毛はなくなってしまっていた。大事故にでもあって、整形手術を受けたかのような顔立ちだった。これでは原型が分からない。



「失礼しました。私もエルムヴィーゼ出身です」

「え?」

「あの、あなたはウィンサームの……?」



ヴェリアの声はしわがれた老婆のようだった。声帯を切られたのかもしれない。

ヴェリアと名乗った女はリアに鋭い視線を送った。




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