#15 異世界人の受難Part03



目を開けると手足を縛られていた。まだ頭がボーっとする。足音なんてしなかったのに突然背後に気配を感じて、なにか煙のようなものを嗅がされたことまでは覚えている。



「お、おお、起きたか、か、かか、勝手に入って、入ってきやがって」



リアの前にパンツ一丁の巨漢が仁王立ちしていた。脂ぎった長髪に一二〇キロは超えていそうな身体。さっき風呂に入っていた男か。こいつがリアをなんらかの脅迫によって呼び出したというのか。だが、口に貼られたテープによって言葉にならない。このままだとリアに危険が及んでしまう。なんとかしないと。



「こ、こ、こいつが、お、お、おま、おまえのか、かか、彼氏か」

「んッ!! んんッ!!」



リアは涙目で首をゆっくり振っている。



「そ、そこでみ、見てろ、こ、こ、この女、を、好きにし、していいって、言ってた」

「フンッ!! フンーーーーッ!!」

「か、かわ、かわいい、お、お顔、な、舐めて、」



どうにか身体さえ動けばッ!!

クソッ!!



リアの顎に男の汚い手が触れた。そして、男は座って汚い顔をリアの顔に近づける。リアは目を瞑って涙を流した。

もう駄目だ。リアはこんなところで、この汚い豚のような男に汚されてしまう。俺は結局なにもできなかった。無力だ。



ん、目の前にビー玉が転がっている。なんだ、これ。薄っすらと光っているがなにか意味あるのか。足がなんとか届きそうだ。これを男の足元に転がして、転倒させられないか?

なんとか拘束されたままの両足のつま先でビー玉を引き寄せて、そのまま思い切り蹴り飛ばすと、壁にぶつかって男の足元どころか部屋の外に転がっていってしまった。鈍い音を立ててバウンドしながら階段の下に落ちていってしまった。



クソ。駄目だ。



「うへ、へへ、へへ、いただきまー」

「フン……フッーーー!!!」



俺が目を伏せたときだった。目の前から凍てつくような冷気の風を感じた。顔を上げると、男が冷凍マグロのような姿で氷漬けになっていた。リアの結束バンドは氷の刃によって切られた。リアは自由になった手で口のロープは剥がし、



「あぁ、気持ち悪い。本当に最悪ね。春斗助かったわ」



いや、俺はなにもしていないんだが?

リアは俺の結束バンドも氷の刃で切ってくれて、俺を解放してくれた。



「ぷはっ! リアッ!」

「気を付けて。まだどこかに潜んでいるわ」

「なにが?」

「あなたに睡眠花の花粉を嗅がせた奴よ」



睡眠花の花粉?

さっきの煙か。つまり、それは異世界の植物ということになる。いったいなにがどうなっているのか、状況が理解できない。まずリアの身になにがあったのか聞きたいのだが、今はそれどころではないらしい。



「窓から脱出するわよ」

「えっ!?」



カーテンを開けて、窓と雨戸を開いたところで外に出ようとしたとき、突然ぶら下がる形で狐の面を被った何者かが顔を覗かせた。



「うわあああああ」

「きゃあああああッ」



まるでホラー映画のワンシーンのごとく不気味さと驚かせ方の独特さが相まって、思わず叫んでしまった。顔を出した者は身のこなしが軽く、まるで体操選手のように一回転してベランダに降りて俺とリアに対峙した。



「帝国の追っ手なのね?」

「…………」



狐の面の人はなにも答えなかった。瞬時にリアは魔法で狐の面の人を氷漬けにした。しかし、すぐに氷は砕かれてしまった。



「なぜ魔法を使える?」



狐の面の人の声は、男や女、それに子ども、動物、機械音、様々な音が混じり合っていて本人の声がどんなものなのか判別が付かない。PCで作る合成音にも似ているが、少し違う。ノイズに近い声だ。声だけでは男なのか女なのか。年齢がどれくらいなのかまったく分からない。



「やっと喋ったかと思ったら、声を変えているなんて。どこまで姑息なのかしら」

「この世界に魔力はない。その世界で魔法が使えるわけがないのだ」

「知らないわよ。使えるものは使えるんだから」

「その男か。さきほどまで使えなかった魔法が、その男が来てから使えるとなると、」

「こいつは知り合いでもなんでもない。ただの通りすが、」



リアの言葉を待たずして、狐の面の人はいなくなった。いや、気づくと俺の目の前にいた。こいつ足音もしなければ、動きが速すぎてまったく行動が読めない。こいつはリアの命を狙っている殺し屋に違いない。



「春斗、逃げてッ!!」



だが、逃げる余裕などなく、狐の面の人は俺の首根っこを右手で掴み、締め上げた。



「ぐっ……やめ、」

「春斗ッ!!」

「無駄ですよ。王女殿下」



狐の面の人が投げた幾つものビー玉のような丸い球体がリアの足元に転がる。リアは手を突き出して魔法を放とうとしても、先程までとは違ってなにも起こらない。



「魔法が……」

「魔力を吸収する鉱物から作った魔道具だ。魔道具対策に持ってきたが正解だったな。まさか殿下がここで魔法を使うとは……」

「そんな……」



狐の面の人の力が強まる。このままだと窒息してしまう。



そうか、このビー玉は魔法を使えなくするアイテムで、俺がさっき蹴っ飛ばして階段下に落ちたから、リアは魔法を使えるようになったということか。そんなものを持ってきたとなると、やっぱりこの狐の面はリアを追ってきた殺し屋かなにかなのだろう。



「春斗を離しなさいッ!!」



リアが狐の面を背後から羽交い締めにする。俺の手を離した狐の面が、今度はリアの背後に立った。



「あなたわたしを殺すつもりはないのでしょう? いったいなにが目的?」

「なぜそう思う?」

「殺すつもりなら、もっと早い段階で殺せたのに、その男にわたしを襲わせようとしていたから」

「絶望と失望を知ってからでも遅くはない」

「性格悪いな。だが、その浅ましくも歪で、クソのような根性のお陰で助かったな。リア、俺はリアになにがあったのか知らない。だが、リアのバックグラウンドがなんであれ、俺はリアの味方だ。こんなクソみたいなヤツの言い分が正しいワケがないだろ」

「春斗……ありがとう」



狐の面はベランダに置かれていた剣を拾った。ファンタジーの世界でよくあるロングソードなのだろう。



「殺し屋じゃないのね」

「どちらにしても関係ない」



魔法の使えないリアが、剣を持つ狐の面に太刀打ちできるわけがない。



「リア、なんとか逃げよう」

「無理よ……春斗、わたしが時間を稼ぐから、逃げて」

「お前は、この期に及んで……」



狐の面は鞘から抜いた剣の切っ先をリアに向ける。

これは本格的に絶体絶命だな。



「そうだ、時間を稼げるかも」

「え?」



メーチャさんに貰った特製催涙ガスを思い出した。胡椒と唐辛子だけど、これなら動きを止められるかもしれない。



「リア、目を閉じて息を止めろ」

「なんで、」

「いいからッ!!」



ポケットから出した小瓶を狐の面に向けてぶち撒ける。面をしていようが、呼吸はしているだろうし、視界はあるはず。同じ人間なら必ず効くはずだ。



「ぐっ!? ごほっ!!」



予想通り狐の面の動きが止まった。俺はリアの手を引いて部屋を出る。



「なにしたの?」

「特製催涙ガス」



階段を下りようとしたところで、狐の面は咳き込みながら追いかけてくるのが分かった。本当にしつこいヤツだ。



「リア、魔法は撃てるか」

「まだあの魔道具の範囲内で無理かも」

「分かった。ひたすら走るしかない」



しかし、狐の面はいつの間にか目の前にいた。瞬間移動でもしているのかというくらいに速い。



「や……ごほっ、ってくれ……ごほっごほっ、たな」



狐の面が剣を構えた。今度こそ終わりかもしれない。







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