#13 異世界人の受難Part01



リアが日本に来てから五日、リリンに関しては四日が経過した。どちらにしても月日が過ぎるのはあっという間で、光陰矢の如しとはよく言ったものだ。このままだと一年もすぐに来てしまう。焦っても仕方ないことだが、そうは言っても悩んでしまう。



リアもリリンも日中はメーチャさんの中華料理屋で働いていて、それなりにがんばっているらしい。異世界での生活に比べたらそこまで苦ではないみたいで、むしろウェイトレスとしての仕事よりも、ランチタイムに軒先に立っていることのほうが多いとか。



会社の昼休みに同僚と外で食べるために歩いていると、人だかりができていた。



「うお、青原さんヤバいッス」

「なにがです?」

「可愛い子がチャイナドレスを来て、手招きしてるッス。しかも二人も」

「へー」



ん。

よく目を凝らしたら、リアとリリンだった。しかもノリノリで“飯旨飯店”の看板を持って客を誘惑していた。いや、深夜のガールズバーのノリだぞ。



「青原さん、あそこにしましょう!」

「いや、俺はいいや」

「なんでですかっ!!」

「なんでって……」



すると、めざとく俺を見つけたリリンが、「ハルトぉ~~~」と手招きしながら叫んだ。そういうことは本当に止めてほしい。人だかりが一斉にこちらに視線を向ける。リリンに腕を掴まれて、強引に店の中に引きずり込まれるように拉致られた。同僚は口をパクパクさせながら俺に付いてくる。



リアは外でフードをすっぽり被った女性客に捕まっていて、なにやら話し込んでいた。このクソ暑い炎天下で長袖のパーカーを着ているとか、そんなに日焼けが心配なのだろうか。リアはしばらくすると店の中に入ってきて、どこの席に座ろうか迷っていると、「早くしなさいよ、ばか」となぜか罵られた。ひどい。



「青原さん……知り合いだったんッスね……」

「し、知り合いというか……まあ」

「なにぼさっと突っ立ってるのよ。そこに座りなさい」



結局、リアとリリンに引き込まれるように店の中に入ってしまった。当然、メーチャさんにもからかわれて、青椒肉絲セットを食べて昼休みを終えたのだった。

このときまでは、リアもリリンも何事もなく平静だったと思う。



金曜の夜ということもあり、同僚(昼間の件を聞きたかったのだろう)に飲みに誘われたが、リアとリリンもいるし断って早々に帰宅することにした。すると、帰宅と同時にリアがうちに駆け込んできた。



「リリンの調子がわるそうなのだけれど」

「夏風邪でも引いたか?」



リアとリリンが借りているうちの隣の部屋に行くと、意外にも部屋は片付いていた。まだ段ボールが重なってはいたが、リビングはカーペットが敷いてあり、テーブルの上には怪しげな魔法陣。天井から垂れたキャンドルが怪しく光っている。聞くところによるとどうやらリリンの趣味らしい。



「リリンは?」

「自室よ」



リビングはシンメトリーになっていて、右側の扉はリアの部屋に繋がり、左側の扉はリリンの部屋。左側の部屋をノックすると「どうぞぉ……」と元気のない声でリリンが返事をした。確かにいつもの覇気がない。リアが心配するのも理解できる。



リリンの部屋は極めてシンプルでベッドが置いてあるだけ。出窓にプランターが一つ飾られていて、唯一それだけがこの部屋で自己主張をしているような珍しい植物だった。太い幹にキラキラと輝く葉を付ける枝。そう、これは地球上には絶対に存在しない植物だと言うことが分かる。まるで映画の中の小道具のようだ。



見れば見るほど不思議な気持ちになってくる。これは異世界から持ち込んだのだろうか。そうだとするといったいどうやって……。

いや、今はそんなことよりもリリンだ。



「リリン、大丈夫か?」

「ああ、ハルトぉ……なんとか」

「症状は?」

「頭が痛い」

「熱はあるのか?」

「ううん。頭が痛いだけだから大丈夫。あとは倦怠感と吐き気、それから……うん、よく分かんないや」



頭痛だけじゃないだろ、それ。



「重症ね」

「聞く感じだと病院に行くレベルだな」

「普通に考えても、リリンならこういうときは弱音を吐いて、春斗に甘える算段をするでしょう?」

「それは確かに」

「しないってことは、それだけ余裕がないのよ」



確かにリアの言うことも一理ある。そう考えると急に心配になってきた。



「やっぱり病院に行くか?」

「これは病気の症状じゃないから大丈夫だよ。ハルトぉ、ありがとうね」

「じゃあ、なんの症状なのよ。自分で分かっているなら対処しなさい」

「魔力に関する症状なのは間違いないんだけどね。今、自己解析してるから、診断にはしばらく時間が掛かるんだよ」



リリンはシャツを捲ってみせた。すると、腹に魔法陣が描かれて、薄っすらと光っている。



「それはいつ分かるんだ?」

「あと数時間すればスキャンが終わると思うんだけど」

「ならそれまでしばらく寝てなさい。どうせ土日は仕事も休みなのだから。これだから虚弱体質は困るのよね」

「リリン、なにか必要なものがあれば言ってくれ」

「うん。ハルトぉ、添い寝してほしい」

「春斗、行くわよ」

「ちょ、リア」



リアに半ば強引に腕を引かれて強制退室させられた。リリンも昼間はあんなに元気だったのに、急に元気がなくなると心配になる。それはリアも同じ気持ちだったらしく、



「少し気になるわね」

「そうだな」



夜になると夕方までの晴天が嘘のように雨粒が窓を激しく叩いた。六月の気候にしては珍しく雷を伴う荒天で、毎晩のように俺の部屋に忍び込んでくるリアは、雷も苦手のようだ。



「春斗……怖い」



一向に止む気配がない雨と雷がさらに恐怖に拍車をかける。空が割れるような耳をつんざく音とともに一瞬の閃光が部屋を貫く。



「本当に夜は性格が変わるよな……」

「そんなこと……ないもん」

「リリンもいるし、一人で寝られるだろ?」

「や……春斗がいい」



年齢が退化しているんじゃないかというくらいに、子どもじみたリアは控えめにいっても可愛い。丸くなった性格はそれまでのリアの属性とは真逆で、どちらが本物のリアなのかと思ってしまうほど別人のようだ。



リビングで明かりを点けたままにしているにもかかわらず、リアは雷が鳴るたびに俺に抱きついた。



「リア、聞きたいんだが」

「なに?」

「もし異世界マッチングで俺じゃない誰かとマッチしても、こうやって……その……だ、抱きついていたのか?」



これは別に嫉妬心で聞いているわけではない。単純に出会ったばかりのリアが俺を好意的に捉えてくれるのは少しばかり違和感があったからだ。初対面で人を好きになる確率がどれくらいあるか分からないが、俺は限りなくゼロに近いと思っている。単純に見た目が好みだとか、フィーリングが合うとか、そういうケースはあるかもしれない。しかし、すぐに結婚をしたいと思うような感情にまで至らないのが現実ではないのだろうか。



そう考えると、お見合いして結婚まで至った日本人はすごいと言わざるを得ない。もしかすると恋愛感情と結婚は別物なのか。



「ない……よ。あるわけないでしょ」

「ない? ならなぜ俺はいいんだ?」

「分かんな——きゃあああ」



雷鳴が鳴り響く。窓を揺らすようなとんでもなく大きい雷だった。



「変なこと聞かないで。わたしだって分からな——きゃあああ」

「どこかに落ちたな」

「うん……」



俺は見た目も性格も平凡でこれといったモテ要素がない。そんな俺に好意を持ってくれているのが信じられない。だからこそ、異世界マッチングで召喚される異世界人は、日本国籍を得るために従順にならざるを得ないと言われていることが、自分のケースにも当てはまるんじゃないかと刺さってしまう。



疑うのは申し訳ないが、リアもリリンも本当に俺に好意を持っているのか懐疑的になってしまう。



「わたしは……春斗のことが……って、ばかっ。言わせないでよ」

「……愚問だよな。ごめん」



リアが異世界でどんな立場だったのか、俺は聞いていない。だが、リアは日本国籍を得るために異世界から渡航してきたのだ。そうなると、それなりの理由があるはずで、このまま帰るわけにはいかないと考えているのは間違いない。だから、俺を好きになる努力をしてくれているんじゃないのか。



それは……なんていうか、複雑だ。

俺の不純な理由で異世界マッチングをしてしまったために、リアは幸せになれないかもしれない。もっと責任を持って異世界マッチングをすべきだった、と。俺がもう少し恋愛に積極的で、リアやリリンを可愛がるような性格だったら、もっと幸せにできたのかもしれない。



だから、俺も努力をしないといけない。リアやリリンのように。



「正直、俺、将来のこととかどうなるか想像つかないんだが、ちゃんと考える。今はこれしか言えないけど、誠意は見せる。だから」

「……うん」



再び鳴り響く雷鳴に、リアは俺に抱きついて、顔を俺の胸に押し付けた。

そして、蚊の鳴くような声で、



「春斗が……好きなの。自分でもどうしちゃったのかなって思うくらいに」



そう漏らした(のだと思う)。それはリアから聞くことはないだろうと思っていたセリフだったために俺は内心驚きを隠せなかった。リアは俺を好きになる努力はしてくれている。それは分かる。だが、その好きになるタイミングが今だとは夢にも思わなかった。そして、まさかその気持を言葉にしてくれるとは……。



たとえそれが嘘であっても嬉しかった。だから、リアを大事にしたいって心から思えた。



いつも人をけなしたり、バカバカ言うから、俺のことなんて単なる国籍取得の道具だと思っているんだろうな、と俺も思っていた節があった。



だが、このことをきっかけに俺は自分がいかに無責任で不甲斐ないヤツなのかを思い知らされたのだった。リアは言うだけ言って寝てしまっていた。よほど怖かったのか涙を流していて、その顔を見たら、俺は自分をぶん殴ってやりたくなった。



そして、俺もいつの間にか寝てしまっていた。まさかリビングで寝落ちしてしまうなんて。

朝起きると、昨晩の嵐が嘘のように空は晴れ渡っていた。そこで違和感に気づく。リアがいない。俺の近くで寝ていたはずなのに姿が見えない。リアが俺の部屋に来ている時は、必ず帰るときは声をかけてから出ていく。たとえ俺が寝ていたとしても、わざわざ起こしてから帰るのだ。



テーブルの上にメモ書きが残されていることに気づくのに、そう時間は掛からなかった。

飯旨飯店のチラシの裏に書かれた下手くそな日本語が俺の心拍数を上げた。リアになにかあったのだ。



“用事を済ませてくるね。もし戻らないときは絶対に探さないで。そのときはリリンと仲良くね。リアより”




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