#10 異世界人と行く稽古


今まで見たことのない人が、“よさこい”と聞くとかなり渋いイメージを持つことのほうが多いと思う。それは俺も同じだった。



だが実際には違う。いや、違わなくないが、踊る楽曲の懐が深い。

俺がよさこいと出会ったのは高校生の頃のことだ。初めて見させてもらったあの日、俺は衝撃を受けた。



当時、俺の両親は不仲の極みで、離婚調停という泥沼の争いをしていた。結果的に妹は母親に付いていき、俺は父親と一緒に暮らすことになった。母親は芸能関係の仕事をしていて多忙だと口にしていたが、蓋を開ければ不倫をしていたのだから救いようがない話だ。だが、妹はそんなクズの母親を擁護していたのだ。



妹の言い分はこうだ。



母親にも事情があった。不倫の発覚する前も後も、ほとんど家に帰ることのないクズ父親だから母親は不倫という不徳に走ってしまった。少しでも過程を顧みれば母親が浮気をすることなどなかった、と。



だが、俺から言わせれば、帰らないのではなく帰れなかったのだと思う。父親は仕事柄全国を飛び回り、一月に一度家に立ち寄る程度だったのだから、母親が不倫という不徳に走ってしまったという妹の言い分も分かる。だが、それでも俺は許せなかった。妹は父親の顔をほとんど覚えていない。母親と俺が家族のすべてだと思っていた。だから俺と妹では考え方が違って当然だ。



父親のもと(といっても父親はほとんど家にいないが)で暮らす俺は、次第に家に帰らなくなった。毎日漫喫で過ごしたし、金は父親が定期的に振り込んでくれたからなにも困らなかった。高校生活は友達も少なく、一人で過ごすことのほうが多かった。つまり孤独だったんだ。そんな俺を見かねたクラスの女子、村野有珠は俺と昼休みをともに過ごしてくれて、ある日、俺を誘ってくれたのだ。



『ねえ、付き合ってくれない?』

『付き合う?』

『変な意味じゃないからね。勘違いしないで。そうじゃなくて、よさこいの練習見に行かない?』

『……よさこい?』

『まあ、いいからいいから。見学付き合ってよ』



そして連れてこられたのが、区民体育館だった。

そこで見たよさこいは、俺にとって衝撃でしかなかった。



その日は衣装合わせを兼ねての練習だったらしく、華やかな着物のような法被は桜吹雪の舞うピンクと紫のコントラストがビビットに映えて、全員扇子を持って一心不乱に踊っていた。それにアンバランスとも言える現代風の楽曲に震えた。本当にカッコいいと思った。村野有珠は学校では一軍女子のトップランカーで通っていて、そんな彼女がよさこいに興味を持っていることは、なんだか意外だった。



有珠は見学に来るのが二回目で、今日は踊ってみると意気込んでいた。そして、その笑顔が眩しかったことは今でも覚えている。楽しそうだなって。



これが俺のよさこいの道に入るきっかけだった。そんなよさこいの練習も日課となっていて、今日も区民体育館で“合わせ”がある。



リアが目の当たりにしているよさこいの練習風景はあのときと同じまま。今日は今年の衣装が出来上がってきて、袖を通して踊ってみる日だったのだ。



「な、なにこの熱気、もしかして軍隊を作って、国家転覆でも狙っているんじゃないでしょうね」

「どう見ても武器なんてないだろ……」

「だって、隊列組んでいるじゃないの」

「隊列って……。それよりも衣装はどう?」

「……キレイ。エルムヴィーゼでは絶対に見ることのできない服ね。素直に……素敵だと思うわ」



そして、俺も衣装に袖を通した。今年はレトロモダンな雰囲気で、大正時代をイメージしている。桜吹雪のピンクが右側、そして左側は濃紺の中に浮かび上がるウサギの描かれた満月の法被。着替えて出ていくと、リアは口元に手を当てた。



「どう……だろうな?」

「……まあ似合ってるんじゃ……ないのかしら……」



リアはいかにも興味なさそうな話し方をしていて、目線をこちらに向けないようにしているが、目の端でチラチラ窺っているのが分かる。



「どうせ似合ってないよな。自分でも分かるって、それくらい」

「そ、そんなことないわよ」

「ほー。かっこいい?」

「ばっかじゃないの。自分で言うなんて信じられない」

「冗談が通じないなぁ」

「……っこいいわよ」

「今、なんて?」

「なんでもない。早く練習しなさいよ、ばかっ」



リアはついにはそっぽを向いてしまった。反応が分かりやすく面白いな。俺もはじめて間近でチームの衣装を見たときはびっくりしたもんな。本物の着物の生地を使っているし、艶やかでかっこいいって思った。リアもなにかしら思ってくれたら嬉しい。



「それじゃあ、着替え終わったら一回合わせるぞ~~~」



声を上げたのは代表の岩佐翔さんだ。岩佐さんは居場所のなかった高校生の俺を受け入れてくれた、言ってみれば親のような存在。年齢も親父に近く、今年で四五歳になるはず。俺がチームで最も信頼している人で、ずっと付いていこうと思っている。



「お、春斗、今週は来ないかと思っていたぞ」

「すみません」

「それと、そこの美人は……彼女か!?」

「うえええええええええええええええええええ春斗に彼女ッ!?」

「嘘だろぉぉぉぉぉぉ先を越されたぁぁぁ」

「春ちゃんに彼女、うそでしょぉぉぉぉぉ」



いや、みんなで合わせるんじゃなかったのか……。



「な、なんなのよ、この人たち」

「みんな家族みたいなものだ。ああ、こいつはリアです。まあ、いろいろあって、異世界マッチングでマッチしちゃって」

「……信じられん。まあ、いい。リアちゃん、この際だからうちのチームに入ってくれないかな」

「ちょ、岩佐さん!?」

「まあ、とにかく見てくれよ。うちのチーム、“東十二師兎”の演舞を」



人を見たら勧誘。これが岩佐さんだとは分かっていたけれど、まさか異世界人まで勧誘するとは。そんな気もしていたが、こればかりはリア次第だ。



俺はさっそく大旗という巨大な旗を手にする。この巨大な旗を握る重圧は半端ない。単純な旗の重さよりも、チームのすべてを背負っているような気がして、毎度手汗握る思いだ。けれど、それが俺の役割。俺はこの旗にすべてを賭けている。軟弱だった高校生のときは持ち上げることも難しく、フラフをかざす意味も理解していなかった。だが、今は違う。



よさこいの演舞で使用する曲は自由度が高い。ただし『よさこい鳴子踊り』という楽曲を必ず入れなければならない。どんなにアレンジをしていても、そこを無視するのはルール違反になる。うちのチームの今年の楽曲は、コンテンポラリーダンスに近い演舞で、極め付きはトランペットとサックスの生演奏だ。独自路線を行く東十二師兎の演舞は、見るものに衝撃を与える。それほどまでに斬新かつ洗練されている(と自負している)。



「いざ、参る。東十二師兎、ここにありけり~~~ッ!! はっ!!」



岩佐さんのセリフで構える。そして曲がアンプから流れはじめて、フラフ師の俺は大旗を高く掲げた。十二匹のうさぎの絵が書かれた旗が青空を舞う。いや、今日は体育館の天井しか見えないけれど、常に空を意識している。



演舞が終わると、リアが駆け寄ってきた。



「その……春斗……かった」

「なに?」

「だから、かっこよかったって言ったんじゃない。このバカ。ちゃんと聞いてなさいよっ!」

「ああ、ありがとな」



まさかリアにそんなことを言われるとも思っていなくて、リアだけじゃなくてこっちまで恥ずかしくなってきてしまった。



「わたしも……覚えてあげてもいいわ」

「なにを?」

「踊りよ。だって、みんな楽しそうだし、春斗がその……がんばっているから……私も……少しくらい覚えたいって……」

「ああ、やろう。リア」



俺がリアの手を両手で掴むと、リアは驚いたのか「ひゃっ」と声を上げた。



「あ、ごめん」

「そうよ、い、いきなりびっくりするじゃない」

「ああ、だから悪かったって」

「汗すごいわね、これ使いなさいよ」

「うん?」

「タオルよ」

「ああ、ありがとう。気が利くな。持ってきたのか」

「そ、そんなの持ち歩くの当たり前でしょう。バカじゃないの」

「そうか?」

「そうよ。ああ、もう。ほら、屈みなさい」



言われるとおりに膝を折ると、リアはタオルで俺の額を拭いてくれた。冷房はないし、工業扇をいくつか置いてあるだけで室内はかなり暑い。けれど、タオルはキンキンに冷えていた。リアが拭いてくれたところが冷えて気持ち良い。よく見たら、リアはこっそりタオルを魔法で冷やしてくれたみたいだ。



「ありがとうな。リア」

「お、お礼を言われるようなこと……してないわよ」

「いや、冷えていてすごく気持ちよかった」

「暑そうだったから、これくらいしてやってもいいと思っただけよ」



リアからタオルを受け取って、自分の首元に当てる。すごく冷えていて気持ちが良い。よく見たらリアも汗をかいているようだった。それで、リアがそっぽを向いている隙きに、リアの首元にタオルを当ててみた。



「ひゃあああああッ!!」

「冷たくて気持ち良いだろ」

「ば、ばっかじゃないの。びっくりして死んだら呪うからねっ!」

「やっぱり氷魔法を使えても、冷たさは感じるんだな」

「人をなんだと思ってるのよ。当たり前でしょ。本当にしょうもないんだからっ!」



今度は手を差し出して、俺に向けてシャーベットのような霧を噴射した。これがかなり冷たくて気持ちいいが、衣装が濡れる。



「ば、ばか。衣装が濡れるだろ」



お仕置きと称してリアの手首を掴み、引き寄せて再び首にタオルを押し当てた。



「や、やめてっ!! 冷たいからぁ」

「お仕置きだっ!!」

「ば、ばか。こっちは暑いと思って善意でしてるんでしょ。そんなことも分からないわけ、このオタンコナス」

「オタンコナスって、どこでそんな言葉覚えた」

「“日本について学ぶ”の第三十二巻の百二十頁の六行目よ」



そんな死語まで教えているのか。異世界恐るべし。そのくせ美容パックを知らないとかおかしいだろう。



「それで……い、いつまで……その……抱きついているのよ」

「あ、悪い」



羽交い締めを解いて、咳払いをして誤魔化す。



「イチャイチャしているところ申し訳ないんだけど……あの春斗」

「イチャイチャって……してないぞ。有珠。おつかれ」

「おつかれ。それでそのリアちゃんと付き合ってるの?」

「いや、付き合っているというか」



村野有珠は、ずいぶんと前から俺とリアの仁義なき戦いが終わるのを待っていたらしい。



なんだかずいぶんと不機嫌そうな顔をしているな。有珠のやつ。






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