#05 異世界人は薄さ0.01ミリについてなにも知らない。



脱衣場の扉を開けてみるとなんだか妙に肌寒い。もう初夏なのに異様な冷気を感じるし、浴室のすりガラスの戸の隙間から水蒸気のようなものが漏れ出ている。

これはいったい……!?



「リア?」

「は、春斗」

「どうした? 無事か? なにがあった?」

「出たのよ」

「なにが?」

「黒いモンスターが」

「? モンスター?」



モンスターってよく異世界ファンタジーに出てくるアレかッ!?

そんなのが出たとなれば一大事じゃないかッ!?

もしかしたら異世界に通じるゲートとかに何らかの異変が生じて、モンスターが日本に侵入してきたのかもしれない。そうなると、リアを救出して一刻も早くこの部屋から脱出しなければならない。



人命第一ッ!!



「リアッ!!」



すりガラスの戸を開けると、リアのシルエットが映った。水蒸気に包まれていて全身は見えないものの、裸だと胸の大きさとウエストの細さが際立っていることは分かった。スタイルが抜群に良い。



いや、今はそれどころではないッ!!



「きゃああああああああああああああ」



リアの二度目の絶叫と同時に頬にパチンと衝撃を受けて、俺は仰け反った。水蒸気の中から手が伸びて、俺の頬を盛大にビンタしたのだ。クソ、痛い。



しかし、勢い余ってリアはそのまま足をすべらせて「きゃあっ!?」と情けない声を上げながら俺にダイブしてきたのだった。



「ば、ばか、気をつけろ」

「だって。ボディソープとかいう液体石鹸がヌメヌメしているのが悪いのよ。まるでモンスターの触手から出る体液みたいじゃないッ!!」

「触手? エロゲの中のようなモンスターなのかッ!?」

「は? なにが?」

「どこだッ!?」

「もう始末した。頭にきたから氷漬けにしてやったわよ」



俺の腕の中でリアはドヤ顔で語った。どうやら自分が裸であることを忘れているらしい。しかしいつまで俺に抱きついているつもりなのだろう。おかげで身体の柔らかさをばっちり堪能できた。予想通り胸の弾力は相当なものだ。



いや、そうじゃないだろ。モンスターなんて見当たらない。俺の想像するモンスターはかなり巨大で、狭い浴室なんて簡単に破壊できるんじゃないかって思う。



「リア」

「な、なに?」

「今、氷漬けにしたとか言っていなかったか?」

「そうよ。あの黒いのカサカサと鬱陶しいわ。しかも黒光りしてるなんて、気色悪いモンスターもいるものね」

「お前、もしかしてGに魔法使ったのか?」

「G?」

「ゴキブリのGだッ!!」

「気持ち悪い名前ね」

「それはそうと裸で抱きついてくるとか、どんだけだよ。まあ、これでどっちが変態なのか証明されたわけだが」

「へ……?」



ようやく自分の状況を理解したらしく、三度目の「きゃあああああああああ」という絶叫とともにさっきビンタされた頬とは反対側のほっぺたを思い切り殴られた。重要なのはパーじゃなくてグーだったことだ。



「この変態ッ!!」

「どっちがだ……」



リアにバスタオルを渡してから身体に巻いてもらうことにして、問題のG氷漬けの現場を確認すると、大変なことになっていた。浴室全体……床から壁、それから天井まで氷漬けになっていて、挙句の果てにはせっかく張ったお湯が見事にアイスリンクのようにツルツルピカピカ状態。これだと入浴は絶望的だ。



「お前はゴキブリごときに……」

「いだだだだだっ!!」



頭にきて、リアのこめかみをグーでグリグリと、いわゆるアイアンクローで責めてやると「もうしません、もうしませんからぁ〜〜〜」と反省の言葉を口にした。



「それで、これ溶かせるんだろうな」

「まさか。わたしは氷属性なのに炎なんて使えるわけないでしょう。この氷を見れば誰だってそんなこと分かるわよ。あなた頭大丈夫?」



……。



「お前の頭を粉砕してやるからなッ!!」

「いだだだだだっ!! ごめんなさいっ!! もう生意気言いませんからっ!!」



リアが涙目になったところで現実問題を考えることに。リアは入浴途中だったためにまだ髪の毛しか洗っていない。そうなると中途半端で気持ちが悪いだろう。仕方なく湯船を諦めてシャワー浴にしてもらうか。



「今度はゴキブリとか虫が出ても魔法使うなよ。俺を呼べ」

「……とんだ変態ね」



リアはそう言って再び浴室に戻っていった。ゴキブリや蜘蛛なら俺がなんとかしてやるという優しさだったのに、なんで罵られなくてはいけないのか。まったく、これだからワガママ異世界人は困る。



リアがシャワーを浴びている間に、リアが当面生活に困らないセットをメーチャさんが届けてくれた。着替えから日用品、生活に必要なありとあらゆるものを。



「春斗、お前の家賃に上乗せしておくアル。プラス十万な。せっせと働いて返すよろし」

「じゅ、十万!?」

「手数料も含むアル。まいど〜〜〜」



金の亡者すぎる。明細も分からないまま十万も取られるのは納得行かない。



「ところで魔力を感じるアルな」

「ああ、リアがゴキブリに驚いて氷の魔法使ったみたいなんだ」

「……魔力がない日本で、なんで魔法を使えたアルか?」

「は?」

「だから、異世界人が魔法を使えるなら日本征服だって夢じゃないアル。でも、そうはならないアル。それはなんでか分かるか?」

「さあ」

「日本……いや地球は魔力がない世界アル。その世界で魔法を使えるというのはおかしいアルな」

「そういうもん?」

「春斗、リアとかいう女にはゆめゆめ気をつけるアル」



メーチャさんは俺に忠告して、玄関の扉を閉めた。大きな紙袋二つを脱衣場に運んで、「メーチャさんが日用品持ってきてくれたから、置いておくぞ」と声をかけると、リアは「分かった〜〜」と上機嫌で返した。



リアが危険人物?

確かに口は悪いし、性格もひねくれている。だが、悪いやつには見えない。まだ出会って一日と経っていないが、この日本でなにかを企てるような危険な思想を持っているとは思えない。



「は、春斗……こ、こ、ここ、これが普通なの?」

「なにが?」



リビングでしばらく考えていると脱衣場の引き戸が開き、シースルーのドレスのような衣服(ネグリジェってやつ?)を着たリアが恥ずかしそうにしながら出てきた。俺は思わず飲んでいたアイスコーヒーを吹き出してしまった。



「な、なんてエロい服着てんだよ」

「こ、これが日本の普段着なのでしょう?」



透明な上着の裾をぎゅっと握ったリアは俯いている。恥ずかしいなら着なければいいのに。っていうか、メーチャさんはなにを買ってきたんだ。これが十万の内訳なのかっ!?

ナイス!!

じゃなかった。ふざけんな。



「あと……下着が……その……お尻がスースーするのだけれど……?」



ああ、Tバ——って、想像したらエロすぎなんですけど。



「うぅ……はるとぉ」

「な、なに?」

「異世界省の人に言っちゃうんだから」

「なんて?」

「青原春斗さんにえっちぃ恰好させられて、慰み者にされましたって」

「待て。待て待て待て。俺のせいか?」



メーチャさんのせいだろ。ふざけんなよ。



「あとさ、この薄さ0.01ミリってなに?」

「あああああああああああああああもうッ!!」



やってくれたな、メーチャさん。


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