第12話 悩ましいお年頃
朝、目覚めたアルクの視界にはいつもと違う天井が広がる。
アルクは昨日、アゼルフォート家の屋敷に泊まった事を想い出した。
部屋のカーテンを開けると日の出にはまだ少し早いようで、明るくなり始めた空と赤く染まる山際が見える。
高台にある屋敷の二階からの眺めはとても良く、砦の向こうの遠くの山々まで見渡せた。
林に囲まれ近くに大きな工房のあるアルクの家とは大違いだった。
寝起きの良いアルクは二度寝はしない。
朝の散歩でもしながら家の様子でも見てこようかと、着替えてからそっと部屋を出る。
すると階段を降りた辺りでスフィアの母のスーリアと会った。
「おはようございます、スーリアさん」
「あらアルク、おはよう。今日は早いのね」
「目が覚めてしまって……これから朝食の準備ですか?」
「そうよ」
アルクは瞬き程の間に考える。その方が有意義な時間の使い方だった。
「僕もお手伝いしましょうか?」
「まあ、それならお願いしようかしら」
アルクはこの屋敷に泊まる時はいつも食事の準備や片付けを手伝っていたので、スーリアも申し出を快く受ける。
二人は台所へと向かった。
「アルクは火の方をお願い。右の竈よ」
「わかりました」
アゼルフォート家の台所は広い。竃も鉄板の乗った焼き物用、大きな鍋が置ける煮物用と幾つもある。
アルクは右側にある金属製の竃の前に来て火の準備をしようとして、ある事に気付いた。
「スーリアさん、これ…」
「ふふっ そういえば朝にお手伝いをしてもらうのは初めてだったわね」
アルクは小さな杖のような魔導具を手に取る。それは【発火】の魔導具だった。
発火は対象を加熱して火をつける魔導だが、危険な使い方もできるため正式な魔導士でないと発火の魔導具を所持できない決まりがある。
分類上でも魔導武具という扱いになっており、優れた魔導士なら十数秒で火をつけることが可能だった。
「うちには魔導士がいるから大丈夫よ。少し離して使ってね」
「はい、やってみます」
アゼルフォート家では主に白炭を使っている。アルクは竈の中に白炭を並べた。
白炭は火持ちは良いのだが火つきは悪く、普通は黒炭に火をつけてから白炭に移していくため、火起こしに30分以上は掛かる。
アルクは早速、発火の魔導具を使ってみることにした。
人間の魔導力の範囲は手を伸ばした距離。
アルクは魔導具を小さく構えて白炭へ向けた。
(確か発火の魔導は少し先まで届くはずだけど、近い方が効果は強いんだったっけ)
アルクの知識は正しい。魔導具が発動すれば離れていても効果が届く魔導もあるが、魔導力の範囲外だとその力は半分以下に落ちてしまう。
魔導具は魔導力の範囲内でこそ、その力を発揮できるのだ。
アルクが意念を込めると微細な振動のような感覚と共に魔導力が流れるのを感じた。
続けること約3分、白炭が赤くなり熱を発し始める。それから5分後には火起こしは終わっていた。
(これ、凄く便利だ!)
普段アルクが使う着火の魔導具は棒状の先が発熱するだけだ。
火を起こすには燃えやすい火口(ほくち)を用意して着火の魔導具を使い、煙が出始めたら空気を送って火種をつくる……そこから始めなければならなかった。
だが発火の魔導具ならそんな必要は無く簡単に火が起こせるのだ。アルクは感動した。
やがて野菜を切る音が聞こえ始める。
滑らかな包丁さばきが、心地よいリズムを刻んでいた。
スーリアも貴族のご令嬢だったので、本来ならば家事をする必要のない立場だ。
アルクは以前スーリアから聞いた言葉を思い出す。
『やっぱり人任せで自分はできないっていうのは良くないから。それに、誰かにしてあげる事もできないでしょう?』
母親のいないアルクにとって、スーリアは母の代わりのような人だった。
アルクが幼い頃は、スフィアやトライアと一緒にやんちゃをしてはよく怒られた。
スーリアは優しく、時には厳しく、本当の母の様にアルクに接してくれた。
料理をするスーリアをアルクが手伝う。
しばらくすると少し眠そうな挨拶と共に、スフィアが台所に入って来た。
「おはよう~」
「おはよう、スフィア」
「あら、おはよう。スフィーが来るなんてめずらしい。今日はアルクがいるからかしら」
「そんなんじゃないから」
スフィアはスーリアの言葉を否定しつつアルクに訊く。
「家の様子は見て来たの?」
「まだ。だけど積んであった石の量からして、もう終わってると思うよ」
「それはいつもの希望的観測でなくて?」
「うっ、そう言われると…」
「まあディアスさんのやる事は予測がつかなから仕方ないよね」
「スフィーはゆで卵をお願い」
「はーい」
スーリアはスープを作っていた。出汁がしっかりと効いたスープだ。
アゼルフォート家だけに限らす、ライス村には様々な味付けの出汁文化があった。
ディアスの出汁へのこだわりが伝染したのかもしれない。
そのうちトライアもやって来る。
「おはよう」
「今日は賑やかね」
そしてクロイスの朝は遅い。クロイスが起きてきたら朝食だった。
食事が済んだアルクたちは今日の予定を話す。
「トライは昨日の続き?」
「うん。今日はレイナと一緒にルセフ先生に相談する予定になってるよ」
ルセフはライス村の基礎学校の先生で、まだ20代だが学者さながらの広い知識を持っている。
帝国で広く信仰されている【四元教】の神官でもあり、村の祭事を執り行っていた。
神官は四元教の組織内部の業務に携わる位の高い役職で、普通は都市の神殿でもなければ見かけない。
そのため子供たちの間では、余計な事を知り過ぎたためにライス村へ飛ばされて来たなんて噂が流れていた。
「トライも毎日忙しいわね」
「別にこれくらい何でもないよ。姉さんはどうするの?」
「今日は染物をしようかな。昨日色々あったから進んでないし」
「それじゃあアルクさんは?」
「僕は──」
「アルクはまずお家の様子を見に行かないとね」
「…そうだね」
先生との話し合いに向けた作戦会議らしきものも終わり、アルクは家へ帰る。
だが、まだガラガラと粉砕機が回る音が聞こえてきたので結局引き返した。
(あれ、まだやってる……なんで?)
アルクは知る由もないが、粉砕機の調子が悪くて直していたため作業が長時間中断していたのだ。
行くあてのなくなったアルクは困ってしまった。
(はぁ……どうしようかな。広場にでも行ってみようかな。昨日はロイとは会わなかったし)
村の広場にはロイの姿はなかった。だが代わりにレイナが村の会館に入っていくのが見えた。
(トライに聞いてた時間より随分早いけど、どうしたんだろう)
アルクもレイナを追って会館へ入った。
レイナは真っ直ぐ進み正面の礼拝堂へ入っていく。今は人もいない。
アルクは俯いて座るレイナを見つけると声を掛けた。
「どうしたのレイナ、ため息なんかついて」
「ひゃあ! アルク……さん?」
「レイナ、最近急にさんを付けるようになったよね。トライの真似かな?」
少し意地悪な質問にレイナの顔がふくれる。
「そういう訳じゃありません! アルクさんこそ、どうしてここに?」
「何か思い詰めている様子のレイナが心配になって」
「思い詰める?」
「ルセフ先生の件なら大丈夫だと思うけど。先生、割と適当だから」
「そっちは心配していないわ」
「そ、そう…」
アルクはレイナの隣に座る。レイナはしゅんと肩を落とすと再びため息をついた。
「私がトライに迷惑をかけてないか心配になって…」
レイナの方も何かしら思うところはあったようだ。
「迷惑? トライは気にしてないよ」
「…面倒な子だって思われてるかも」
「あ、それは思ってるかも」
「そんなぁ…」
レイナはがっくりとうなだれると黙ってしまった。
「……私もアルクとスフィーみたいに、仲良くなりたい……」
レイナが小さく呟く。だがアルクにはしっかり聞こえていた。
「もっと自然体でいいんじゃないかな。僕もスフィアも、お互いあんまり遠慮はしないし」
「そんなこと言われても」
「トライは、レイナがピクニックが好きな元気な子だってことをよく知ってるよ?」
「そういうのが恥ずかしいの…!」
怒るレイナをなだめながらアルクは続ける。
「トライに見せたい自分があったとしても、無理に背伸びをしても仕方ないよ」
「でも」
「自分らしくない自分をずっと演じるのは疲れるよ? 合わない服を着るようなものだから」
「……」
「そのうち、トライといるのが苦しくなるかも」
「…そんなの、やだ…」
レイナは泣きそうな表情になる。
「大丈夫、トライはレイナを嫌いになったりしないよ」
「……」
「レイナが変わりたいのなら、少しづつ変わっていけばいいよ。トライはちゃんと待っていてくれるはず」
「そう…?」
「トライはスフィアより落ち着きがあるし、心も広いからね」
「わたしより?」
「!!!」
急に後ろから聞こえたスフィアの声にアルクは仰天する。
アルクは振り向かずに尋ねる。
「…スフィア、どうしてここに?」
「家の様子を見に行って、すぐ引き返して来たでしょ。一言くらいあってもよかったんじゃないかな」
「…それじゃあ僕はこれで」
アルクはそそくさと退散する。
スフィアはアルクを追わずにレイナの隣に座った。
「レイナ、もっと素直にならないとダメよ。トライと一緒に遊びたいのなら別に理由なんていらないの」
「理由?」
「もっともらしい理由をつけられると断りづらいし、都合をつけないといけなくなるでしょ。そういうのを振り回すって言うのよ」
「ううっ…」
遠慮のない言葉がレイナの心に突き刺さる。
「別に断られたっていいじゃない。今更そんな間柄じゃないでしょ。アルクがわたしとの約束を忘れるなんてよくある事よ」
「…忘れるって、断られるよりひどくない?」
「そこは慣れよ」
スフィアは頬に手を添えて少し考えた後、妙な事を言い出した。
「…これからはトライを誘う時、理由は禁止ね」
「えっ!? どういうこと?」
「デートのお誘いに理由は必要ないのよ」
本人の気恥ずかしさを全く考慮しない強引な言い分なのだが、次から次へと畳み掛けられてレイナはもう訳が分からなかった。
「一緒にいたい、それだけでしょ? 素直になりなさい」
「で、でも」
「いちいち理由をつけて拘束する方が迷惑よ」
「ご、ごめんなさぃ…!」
「予定がつかないなら仕方ないじゃない。その時はまた今度でいいでしょ?」
「そ、そうだけど…」
「……お返事は?」
「……はい、わかりました…」
アルクとスフィアに集中攻撃を受けたレイナは、もう気力が残っていなかった。
よく考えればスフィアにそんな事を決める権利は無いのだが、心の整理もつかないまま、レイナは妙な約束をさせられるのだった。
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