第10話 振り回される人たち

アルクの朝は、特に早くもない。外が明るくなってくれば自然と起きる。

太陽の動きに倣った健康的な生活をしていた。

アルクはいつものように台所へやってくる。ディアスが朝食の準備をしていた。


「師匠、おはよう」

「おはようアルク。今日はちょっと遅かったな」


アルクも普段はディアスの手伝いをしているのだが、今日は出遅れようだ。

竈の上の鍋の中では、野菜や豆などの具が煮込まれていた。

やがてディアスは鍋を火から外すと味噌を溶く。お味噌汁が出来上がった。


アルクの朝はいつもお味噌汁だ。

ディアスは「朝の味噌汁は毒消し」と言って具がたっぷり入ったお味噌汁を作る。

ただ種類は非常に豊富だったので、アルクが飽きることはなかった。

ご飯を炊くのは昼食の時なので、朝食はお味噌汁が主菜だ。

今日はいつもある漬物、チーズの他に、干し肉もあった。

だがアルクは硬くて濃い味付けのされた干し肉は苦手だった。


二人は食事をしながら今日の予定について話をする。


「アルクは今日は?」

「そうだね、気功の練習でもしようかな」


鍛錬の時以外でもアルクは気功をよく行う。

ただしそれは軽く体を動かす運動のようなもので、負荷の重い訓練はしない。鍛錬に差し障るからだ。


「なら軽気功をやるといい。ぴょんぴょん跳ねるだけでも感覚が養われていく」

「感覚かあ。それってどれくらいやるといいの? 何回くらい?」

「そうだな、毎日3000回もやれば嫌でも体が覚える」

「……」

「アルク、訓練とはそういうものだぞ」

「そうかもしれないけど…」


確かに体に染み込ませるにはそのくらいの回数が必要なのだろうが、アルクがこなすには現実的な数字ではない。

ディアスは時々、アルクがまだ少年だということを忘れてしまうのかもしれない。


「僕は僕なりにやって行くよ、師匠」

「フッ…アルクも言うようになったな。スフィーの影響かな?」

「知らないよ」


アルクは話題を変えるべく、逆にディアスに質問をした。


「師匠は今日何するの?」

「昨日の続きだな」


工房の近くに積まれた石の山を思い出すアルク。


(よりによって石だもんねえ。砕くとか言ってたし)


「どれくらい掛かりそう?」

「できるだけ早く終わらせるつもりだが…」


ディアスが時期を明確にしない時は注意が必要だと、アルクは経験から学んでいた。


(これ、絶対に今日中には終わらなそう)


難しい表情をするアルクをディアスがなだめつつ食事は進む。

こうしてアルクの一日が始まるのだった。


昼過ぎ、ディアスは工房のどこからか運び出した手回しの粉砕機を組み立て始めた。

アルクはその作業を見つめる。騒がしくなるのは時間の問題だった。


「アルク、出掛けるのか?」


アルクの様子を察したディアスが声を掛けてくる。


「どうしようかな…」

「セメントはとても役に立つんだ。この村のためだ…」

「せめて夜は静かにして欲しいかな」

「アルクも眠る訓練をやるべきだな」


ディアスは時々、アルクに眠る訓練をしたらどうかと勧めていた。

ディアスが言うには「訓練をすれば、いつでもどこでもうるさくても、すぐ眠れるようになるぞ」とのことだ。


「それって、すぐできる訳じゃないよね」

「そりゃ訓練だからな。一月くらいは掛かるかな?」

「それじゃあ行ってきます」

「今日は泊まってきてもいいからな」


ディアスの作業は二日、三日と平気で続くことがある。

アルクも始めのうちは我慢していたが、やがて不満を抱えたままだと日常が上手くいかないのを感じるようになる。

そしてスフィアに相談してアゼルフォート家に避難するようになった。

もちろんアゼルフォート家にお世話になる間はディアスとの鍛錬も中止になるので、アルクは自主鍛錬をする。


林の中の道を歩いていると、後ろからガラガラと金属板の上を石が転がる音が聞こえ始めた。


(あぁ……始まった。今回は短いといいけど)


アルクがそんなことを考えながら林を抜けると、アゼルフォート家の門からスフィアの弟であるトライアが出て来るのが見えた。

スフィアとよく似た明るい栗色の髪で、顔立ちは父のクロイスに似ているが、目は母のスーリアに似てパッチリとした二重だ。

父と同じく謎の目力があり、本人にはそんなつもりはないのだが決め顔をしているように見える時がある。

皆からはトライと呼ばれていた。


「こんにちわ、トライ」

「こんにちわ、アルクさん」


13歳になってから、トライアはアルクをさん付けで呼ぶようになった。

幼いころは一緒に泥んこになって遊んでいた間柄なので、アルクはどうも違和感を感じる。


「うーん、やっぱりさん付は──」

「だめよ、アルク」


いつの間にかやって来ていたスフィアが口を挟む。


「お母さんにいつも言われてるんだから。目上の人は、きちんとさん付で呼ばないといけないって」

「でも」

「ふふっ これも慣れだよ。アルクさん」


トライアは戸惑うアルクを見て、少し面白がるように言った。


アルクは改めてトライを見る。アルクより2つ年下の13歳だが、去年あたりから急に大人びてきた。

アルクから見ても確かにトライアは容姿端麗だ。村でも評判だった。

スフィアはアルクの視線をなんとなく察して口を開く。


「我が弟ながら、トライはカッコイイよね。お父さんとお母さんのいいとこ取りって感じかしら」

「うん、そんな感じだよね」

「そうかな……自分ではよくわからないけど」

「レイナもトライにお熱だしねぇ~」


レイナは12歳になるライアスの娘で、トライアに気があった。

本人は隠しているつもりだが周囲の人々にはよく分かっていた。


「そういえばアルクはどうしたの?」


スフィアに訊かれて、アルクはディアスが作業を始めたことを話す。


「それは災難ね。久しぶりに家に泊まる?」

「今日中に終わらなかったら、お願いしたいけど」

「アルクさんなら、いつでも歓迎だよ」


避難先が順調に決まって、少し気が楽になるアルク。

次はトライアが午後の予定について話し始めた。


「これからライアスさんの所へ行くんだ。レイナが学校の事で色々と相談がしたいらしくて」

「そうなんだ。今年からトライと離ればなれになっちゃうから、レイナも一緒に上がりたいのかな?」

「きっとそうよね」


帝国ではおおよそ30年ほど前に制定された【護民法】により、7歳~12歳の子供は基礎学校へ通うことが定められていた。

週に一日か二日ほど学校へ通い、読み書き、計算、帝国の歴史などを学ぶのだ。


ライス村の基礎学校は7歳~9歳、10歳~12歳、13歳~15歳の3つの教室に分かれている。

12歳で基礎学校は終わりなのだが、帝国には16歳から入学できる教養学校があり、そのために学ぶ予科教室がライス村にはあった。

予科教室では様々なことが学べるため、教養学校へ進む予定がなくても通う意味はある。アルクとスフィアも通っていた。


「ねえアルクも一緒に来ない?」

「ライアスさんのお屋敷に?」

「そう」


特に行くあてもなさそうなアルクをスフィアが誘う。

家から避難してきただけのアルクは断る理由もなかった。


「いいよ、予定もないし」

「じゃあ決まりね」


かくして三人はフォスター家へ向けて出発するのだった。

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