第9話 金剛気
ディアスの鍛錬は、とにかく気を重視していた。最優先だった。
天気が雨なら工房の屋根の下で鍛錬をやってもよさそうだが、そういう時は家の板間で気功だった。
武術の技より気功を優先しているのはアルクも明確に感じていた。
「それでは気功術を始める。まずは励気からだ。できるだけ早くやってみるんだ」
「はい! 師匠!」
アルクは意識を内側に向けながら息を吸い、呼気とともに丹田に強く意念を込める。
一点に凝集した気から熱感と圧が生じると瞬く間に全身に広がり、確かな存在感をもって身体と一体化する。
気の質が変わる〝励気〟の状態になることによって、気功術を使う準備が整う。
(約3秒か。よく集中できている。魔導具の発動より遅いが、そろそろ実戦にも対応できそうだな)
質の良い帝国製の魔導武具は、強化の発動までおよそ1秒ほど。
不意の実戦を想定するなら、2秒までは縮めたいとディアスは考えていた。
「気功術を使うには十分な気だ。日々の成果が良く表れている。頑張っているな」
はっきりとディアスに褒められて、アルクの表情は明るくなる。
「さて一度復習しておこう。気を扱う上で一番重要なのは、意識の質が変わることだ」
(意識の質……師匠はノウハ? とか言ってたっけ)
「気は五感では間接的にしか捉えることができない。気功術を扱うには体の感覚器官ではなく、意識で〝存在を認識〟できる必要がある」
ディアスの言葉にアルクは頷く。
今のアルクは気をなんとなく感じられるものではなく、確かな存在感を持って捉えている。
「そのため意識の乱れ、特に感情による乱れは気の力を削いでしまう」
「それで気功術が使えなくなる訳じゃないけど…」
「気の力は弱まり、消耗も激しくなる。例えば実戦ならば熱くなるのは仕方ない。だが感情は燃えても、頭まで熱くなるべきではない」
「感情は腹に収める、だね」
「そうだ、感情は腹で燃やす。意識の在り方こそが気功術の要だ。心が安定してこそ気の力を発揮できる。それを忘れるな」
「はい、師匠!」
「よし。では頑気功からだ」
頑気功は気功術の一種で体を頑丈にして力を増す。要は魔導具の強化と同じようなものだ。
励気の状態ならば、気を活性化させるだけで自然と身体は頑強になる。
率直に言って術というほどのものではないが、意識して使い分けれるように頑気功と呼んでいた。
アルクが意念をみなぎらせると、それに合わせるように気の力強さが増す。
「うむ、問題ないな」
「魔導具の強化と似ているからね」
アルクは気功術のことは秘密にしているため、普段は魔導具をよく使う。
村の人にとって、アルクは魔導武具使いという認識だった。
「でも魔導具の身体強化とは、ちょっと違う感覚かな」
「どんな感じだ」
「頑気功は体の芯から力が出て、魔導具は外の方から支えられてる感じがする」
「いい感覚だな。それで合ってるぞ。力が来る方向が違うからな」
「それなら同時に使うのは?」
相乗効果があることを期待して質問するアルク。だがディアスからは意外な答えが返ってきた。
「それはあまり意味がない。どちから強い方の強化が出る。もたらす効果が同じだからな」
「別々の所から力から来るから2倍になるんじゃないの?」
「これは力が働く場の問題だ。まあ話すと長くなるから、また今度だ」
「はい、師匠」
アルクは意念を操って頑気功の強さを調整する。
地味ではあるが、気を正確に操作するための大事な訓練だった。
「次は硬気功」
硬気功は体の内側で気の圧を練って、体を硬化する気功術だ。
硬気功は頑気功の頑丈さより遥かに強く魔導武具と同等で、刃物などの武器を止めることも可能だ。
また上達すれば身体以外のものにも影響を与える事ができる。例えば着ている服を硬化することもできた。
しかし欠点もある。強い圧を練って維持するため、動作を著しく妨げてしまう。
当然ながら動けば圧が散じて硬化が解けてしまう。使いこなすには相応の訓練が必要だった。
そんな硬気功だが武術と相性がいい。強く圧を練るので爆発力があるのだ。
瞬間的に硬気功を発することで打撃の威力を高めることができる。
それだけでなく、攻撃してきた相手を逆に跳ね飛ばすような使い方もあった。
アルクは崩天の術の型を行いながら硬気功を使う。
動作の鋭さも迫力も段違いなる。ディアスも納得の技の切れだった。
「アルクは硬気功が上手いな」
「やっぱり僕に合ってると思う」
「よく鍛錬できている様で何よりだ」
アルクは一通り型を終える。
心の状態を反映するかのように、アルクの気は充実していた。
「最後に軽気功だな」
軽気功は体を軽くする気功術だ。熟練すれば体の重さは羽根のように軽くなる。
非常に有用な術で、応用の幅には限りが無い。移動にも戦いにも活用できる。
アルクは練武場に何本も打ち込まれた木の杭の上を飛んでみる。
人間の跳躍力を越えて3m以上も浮かび上がる……のだが着地は上手くいかず、両手を広げてバランスを取った。
アルクはディアスのように、木々の上を飛び回ったり水面を跳ねたりすることができない。ふわりと高く飛び上がるくらいだ。
「アルクは軽気功はどうも苦手だな」
「ふわっと浮いた時に、体の感覚もふわっとしちゃって」
「普通は気の操作が上手くなれば自然と軽気功も上達するんだが……アルクは向き不向きが極端に出ているな。特に硬気功とは熱意の差もあるかな…?」
「そ、そうかもしれないね」
「軽気功はとにかく便利だ。できないよりはできる方がいい。これからは練習も増やさないとな」
「はい、師匠」
気功術の種類は他にもあるが、アルクが教わっているのはこの三つだけだ。
とにかく基本を重視するのがディアスのやり方だった。
軽気功の訓練を終えて休憩を取る。普段ならこの後は気功術のどれかを選んでそれに合わせた鍛錬するのだが、今日は雰囲気が違っていた。
ディアスの表情がいつもより硬いのを見て、アルクも覚悟を決める。
「今日は金剛気をやるぞ」
「…はい! 師匠!」
【金剛気】……それは気功術の先にある業だった。
気のように何かに宿るのではなく、金剛気はそれ自体が力だった。
それも絶大な──
金剛気は人間の限界を遥かに超えた大きな力。決して誰でも手が届くものではない。
だが幸か不幸か、アルクは瞑想で意識の深いところへ降りていくうちに、その場所に辿り着いた。
アルクは初めて金剛気の力を試した時の事を良く覚えている。
手に乗せた石を握ると石は弾けるように砕けた。
力を込めたつもりは少しもなかった。
ディアスは言った。
「金剛気の力の前では人間の体は泥でできた人形と変わらない。簡単に壊れてしまう」
正直なところ、アルクにとって金剛気は過剰な恐ろしい力だった。
ディアスは金剛気を完璧に制御することができる。
金剛気を発動しながら文字を書く、細工を彫る、卵でお手玉をする……どんな事でもできた。
だがアルクは自分がそんな事ができるようになるとは、とても思えなかった。
金剛気はディアスの力の秘密でもあった。
ライス村の人々はディアスの凄さは知っている。限度を超えた身体強化も何らかの術だとは思っている。
だが金剛気の本当の力は知らない…
だから金剛気の存在は絶対に秘密だった。
アルクは目を閉じると呼吸を静かに落ち着かせて、深く集中する。
しばらく続けるうちに表と裏が入れ替わるような、意識の枠のようなものが変化するのを感じる。
体の感覚がだんだんと遠くなり、代わりに磁力のような微細な反発力のある力を体の輪郭のように感じる始める。
やがてうっすらと淡い光のようなものがアルクの全身を覆う……金剛気が顕現した。
アルクは気が勢いよく燃えるように感じる。どんどん消耗していくのが分かった。
金剛気は波打つように振動していた。
(やはり安定しないか。アルクは心の奥で金剛気を修めることに迷いがあるようだ…)
『アルク、そこまでだ』
ディアスの声を感じ、アルクは金剛気をゆっくり収めていく。
体の感覚が戻ってくる。心臓が激しく動いていた。
アルクは大きく深呼吸をする。体が重くなるような疲労感があった。
アルクが落ち着くのを待ってから、ディアスは口を開いた。
「金剛気には形が無い。それ故に気功術とは比べものにならないほど心の状態が反映しやすい。上手くいかないのは、アルクに否定的な気持ちがあるからだろう」
「はい、師匠…」
「…そうだな、参考になるか分からんが俺のを見てみるといい」
ディアスの周囲に、陽炎のように金剛気が現れる。
アルクのように体をうっすらと覆うのではなく、完全な球体だった。
金剛気の球の中に、ディアスの姿があった。
アルクはディアスに言われて、金剛気を使うディアスの腕を木の棒で打ったことを思い出す。
棒は止められるのでも、弾かれるのでもなく、破裂した。
金剛気は力であり形は無い。そんなこともできるという事をアルクは知った。
(師匠なら、歩いて進むだけで巨大な城門も破壊できるかもしれない……いけない、しっかりと見ないと)
金剛気は普通は目で見ることはできないが、気功術を修めた者なら淡い光のようなものとして捉えることが出来る。
アルクはディアスの金剛気を感じ取ろうと努める。
はっきりとは判らないが、球の中を力が綺麗に循環しているように思えた。
フッとディアスの金剛気が消える。ディアスは金剛気の発動も解くことも瞬時に行うことができた。
「何か見えたものはあったか?」
アルクは首を左右に振って否定する。
「フッ正直でいい。…金剛気はただの力だ。怖れがあるとしたら、それは自分の中だ」
「…!」
「怖れからは間違いや迷いが生じてしまう。だが自分で作り出した怖れなら、自分でなんとかできるはずだ。心を制するんだ」
「心を制する…?」
「怖れに意識を向け、力を与えてしまっているのは自分自身。集中するんだ。意識を一点に集中して、それ以外のものを追い出すんだ」
「…はい!」
「…まだできるか?」
「はい! 師匠!」
アルクは目を閉じ、ゆっくりと意識の深いところへ降りて行く。少しづつ金剛気が現れ始めた。
ディアスは金剛気を練るアルクを見ながら考える。
(アルクはきっと、金剛気の力をどう扱えばいいのか分からないのだろう)
アルクはディアスを目指す一心で進んできた。
しかし今は想像以上に大きな力の前に竦んでしまっていた。
(何か目標が必要なら、教えてもいいのかもしれない。奥義〝金剛纏武〟のことを)
ディアスが金剛気を完全に制御できるのは、奥義の領域にまで到達したからだ。
(金剛気は万能の力……極めればこの物質の世界である【現界】で、どんなことも成せるようになる)
奥義に至る……それは遠い道のりでもあるのだが、師として弟子の成長を望む心が時々顔をのぞかせる。
優れた弟子であるアルクについ期待してしまう、悪い言い方をするならば欲のようなものがディアスにもあった。
だがディアスは思い直す。金剛気の力を持って何を成すのか。
今のアルクには、まだそれが決まっていないように思えた。
(そうだな、アルクの心が定まるまでは待つべきだ。力と向き合うのはアルク自身なのだから)
アルクは目を閉じたまま、額の辺りにぼんやりと見える光に意識を集中する。
それに呼応するように、光はだんだんと輝きを増していく。更に集中するアルク。
光は線のようになって真っ直ぐと伸びていく。ざわざわとした何かが静まり、気持ちが澄んでいくのを感じた。
アルクの状態は一度目よりも安定していた。
金剛気は静かな水面のように、ゆらゆらと流れていた。
「よし、そのくらいにしておこう」
アルクは金剛気を解く。先程とは違い呼吸も乱れていない。
疲労感はあったが、適度に体を動かした後のような心地よいものだった。
大きな変化に、アルク自身が驚いた。
「格段に良くなっているぞ。強い意志で心を定めれば、それ以外の感情は自然に消えていく」
「…心って、とても大事なんだね」
「精神を鍛えるのも立派な鍛錬だ。強い心があるからこそできる事が、世の中にはたくさんあるぞ」
「はい! 師匠!」
アルクの元気な返事に、ディアスは満足気に頷いた。
「では今日の鍛錬はここまでだ」
アルクとディアスは練武場の掃除を行い、それから最後に並んで抱拳礼をする。
こうして本日の鍛錬は終わるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます