第7話 アルクと師匠

アルクは家の様子を気にしながら林の中の道を進む。


(大丈夫、変な音は聞こえてこない)


やがて視界が開け、平屋の家とその倍以上の大きさがある白い壁の工房が姿を現す。

いつもと変わらない光景に見えたが、工房の近くには石が山のように積まれていた。


(あ、これ、うるさくなるやつだ…)


アルクには何の石かは分からないが、加工するにしろ、砕くにしろ、とにかく大きな音が響く。

ディアスは無限とも思われる体力にものを言わせて、昼も夜も構わず活動する。

ディアスは「仕事は井戸を掘る時のように一気にやるんだ。少しづつやってたら、いつまで経っても終わらないからな」と言って、止まらない。

その度にアルクは「人間は夜になったら寝るんだよ」と言っていた。


(最近は静かで平和だったのになあ)


ここ一月ほどディアスは書斎に籠っていて、工房には近づかなかった。


(魔物は出るし、師匠も外で動き出すし、暖かくなってきたってことかな)


アルクは玄関を開けて家に入る。


「ただいまー」

「お、やっと帰って来たな」


ディアスが顔を出す。長い髪を今は短くまとめていた。

色々な作業をしていたのだろう。アルクも見るのは久しぶりだった。


「もう昼過ぎだぞ。そんなに大物だったのか?」

「ちょっと色々あって」


アルクはさっそくディアスに訊く。


「ねえ、あの石…」

「ああ、セメントを作っとこうと思ってな」

「…水に溶かすと固まる砂だっけ?」

「水を加えて固める砂だな。水が多いとダメになるぞ」

「…あの石砕く?」

「砕くな。それから焼くぞ」

「焼く!?」

「焼成だな」

「ショウセイ?」

「まあ、熱を加えて性質を変えることだな」

「ふうん…?」


アルクはディアスと暮らし、普段からその知識には触れている。

それでも知らないことも理解できないことも、まだ山ほどあった。


「それより昼の用意はできてるぞ」

「うん、ありがと師匠」


アルクは槍を外して身に付けていた荷物を置き、家に上がる。

山歩きをしてきたので、浴室で手足を洗って汚れを落とす。

それから食堂へ向かった。


美味しそうなご飯の香りが漂ってくる。

帝国での主食は基本的にパンだ。

だがディアスはこだわりがあるのか、わざわざ稲作をして米を作っていた。

ご飯を食べているのは、ライス村でもアルクとディアスだけだった。


ご飯に謎の肉がたっぷり入った汁、茹でた野菜、漬物、チーズが並ぶ。

ディアスは「出汁の効いた料理は旨い」と言って、よく鍋物や汁物を作る。

実際、味わいの深さは格別でとても美味しい。アルクはディアスの料理が好きだった。


「「いただきます」」


ゆっくりと食事をしながら、アルクは今日の出来事を話す。


「そしたら飛び出して来たのは魔物で」

「魔物か。時期は早いが、やはり出て来たか」


何か知っていそうなディアスの反応に、アルクが尋ねる。


「師匠は今日、魔物が出てくるのが分かってた?」

「いや、そういう訳じゃないが……ただ今年は魔物が多くなるだろうから、砦から先にはあまり行かない方がいいな」

「ライアスさんも、東の山はしばらく立ち入り禁止って言ってた」

「それがいい」


少し不安げなアルクの表情を見て、ディアスはいつもの調子で答える。


「なあに、ちゃんと対策はするさ。村まで魔物が来る心配はない」

「それならいいけど」

「それより、魔物はどうやって仕留めた?」


アルクはあったことを順番に話していく。ロイのお尻の怪我、川でライアスたちに会ったこと、診療所へ行って、スフィアと買い物をして……ディアスは楽しそうに聞いていた。

そこでアルクは先ほどスフィアに言われたことを思い出し、魔物の話を切り出した。


「師匠は魔物にも詳しいよね」

「急にどうした?」

「やっぱり魔物の種類とか、生態とか、知ってた方がいいと思って。その方が魔物に対して色々な対応ができるるんじゃないかな」


ディアスは少し考える素振りを見せる。


「確かにそうかもしれないが……知れば良いとも限らないな」

「どういうこと?」

「魔物は動物と違って、亜種や変種が多いんだ。姿が似ていても行動がまったく違うのもいる、かもしれない。アルクも同じ魔物はあまり見たことないだろう?」

「そうだけど…」


今のライス村はめったに魔物は出ない。アルクが魔物と戦った経験は10回もなかった。


「いつも言っているように、戦いでは状況を見極める冷静な判断力が重要だ。だが先入観があると、正しい判断ができなくなる」

「先入観?」

「この場合、こうだろう、こうに違いないという思い込みだな。逆にそうでなかった場合には不意を突かれてしまう」

「…例えばどんな?」

「そうだな、一度戦ったことのある魔物によく似た魔物で、鋭い爪は無いと思っていたら、隠れていた爪がいきなり伸びて引っかかれるとかな」

「それは確かに危ないかも」

「同じように見えても生態は全く違う魔物がいる、かもしれないし、他の魔物に擬態する魔物がいる、かもしれない──」

「……」

「だから魔物はどうやって素早く倒すかが大事なのさ。隠れた牙があるかもしれない、毒があるかもしれない、そういう危険があるかもしれないから、できるだけ早くな」


もっともらしい言い分で、いつものよう納得させられそうになるアルク。

だが今日は違った。「かもしれない」が多いのが何か引っ掛かった。


「かもしれない……師匠、じつは魔物の事よく知らないんじゃ──」

「アルク、人を疑うのはよくない」


被せ気味に反論するディアス。

いつもと微妙に様子の違うディアスを見て、アルクはふとエーカーとのやり取りを思い出した。


「そういえばエーカーさんに聞いたことがある……魔物の素材はお金になるから、余裕があるなら傷が少なく倒せる方がいいって伝えたら、金貨が歩いてるとか何とか言ってたって…」

「…記憶にないなぁ」


ディアスにとっても、ふとこぼした一言に違いない。まったく覚えがなかった。


「師匠にとって魔物は歩く金貨だから、種類とかどうでもいいのかなぁ」

「アルク、それはちょっと言い過ぎじゃないか?」


ディアスはアルクにとって、一番身近な存在だった。

アルクは物心がついた時には、この村でディアスと暮らしていた。

自分がディアスに預けられた事は聞いていたので、ディアスが親でないことは知っている。

そして共に暮らすこと約10年……ディアスの容姿はずっと若々しい青年のままだ。

そのせいもあってか、アルクにとってディアスは年の離れた兄という印象だった。


育ての親でもあり、武術の師でもあるが、アルクにとっては頼れる兄。

だからアルクもディアスには割と遠慮がない。

それはアルクにとって親しさと信頼の表れでもあった。


「ごめん。でも師匠は興味のないことには、ホントに無関心だから」

「ぐっ、それはそうかもしれないが……そんな事ばかり言うんなら、魔物の事はちゃんと自分で勉強するんだぞ?」

「だからごめんって」

「本ならいくらでも貸すからな」


その後も他愛のない雑談をして、やがて食事は終わる。


「さて、おしゃべりもこのくらいにして、アルクは少し昼寝でもするといい。朝から歩きっぱなしだったろう?」

「大丈夫だよ」

「そうか。なら今夜の鍛錬も平気だな」


ディアスがこう言う時は、たいてい少し厳しめになる。

仕方ないのでアルクは素直に従う。


「わ、わかったよ」


アルクは自室に戻るとベッドに腰掛ける。

朝はまだ寒かったが、今は天気も良くぽかぽかとした陽気が心地よい。

寝転ぶと自然と力が抜け、アルクは眠りに誘われていった。

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