第6話 お隣のアゼルフォートさん

アルクとスフィアは並木道をのんびり歩く。

集落は遠くなり、煉瓦の壁に囲まれた2階建ての屋敷に近づいて来た。


「そういえばクロイスさんの御加減はどう?」

「熱も下がったし、もう大丈夫よ」

「それは良かった」


スフィアの父であるクロイス・アゼルフォートは、いわゆる虚弱体質だった。

春になる前の乾燥する季節は毎年体調を崩す。


「病み上がりだけど食欲も出てきたから、もう心配ないかな」

「今年は長引かなかったね」

「そうね。熱もあまり高くならなかったし。村に来てから健康になってきたわ」


温泉の効能か、村の環境が合っていたのか、それともディアスの作る粉薬のおかげか。

季節の変わり目になると寝込んでいたクロイスも、年に一度、風邪を引くぐらいにはなった。

ただ体質改善には時間が掛かる。「養生は気長にするものさ」とディアスはいつも言っていた。


「ここなら権力とも無縁だし」

「権力?」

「貴族社会は大変なのよ。お父さんに権力争いなんて無理だから」

「確かに想像できない」


クロイスは繊細で穏やかな性格で、争いごとは好まなかった。

だが帝国でも上級貴族であるアゼルフォート侯爵家の一人として、権力とは無関係ではいられない。


アゼルフォート家の歴史は古く、帝国が建国される前から存在している。

ただの古い家柄だったアゼルフォート家だが、帝国が魔導に力を入れるようになると台頭を表す。

優れた魔導士を多く輩出する同家は、魔導具の製作から始まり、やがては軍の要職も占めるようになる。

今では魔導の大家として、軍にも帝国魔導協会にも強い影響力を持つ一大勢力の中心となっていた。

その主家なのだから、権力も責任も並の貴族とは比較にならないほど重い。


優秀な魔導士ではあったが体が弱いクロイスを、妻であるスーリアはいつも心配していた。

兄であるヘクトルより魔導士として優れていたため、他の貴族から離間の標的にもなった。


やがて心労が重なり、クロイスは病に伏してしまう。

スーリアは悩む。ここにクロイスの幸せはあるのだろうかと。

だが帝都にいてはクロイスの平安は無い判断し、思い切ってここを離れないか相談する。

クロイスもそれを受け入れ、帝都を離れた田舎で暮すことにした。


その場所だが、権力とも距離を置きたかったのでアゼルフォートの領地は避けたかった。

そして色々な縁が重なり、帝都から遥か遠くのライス村へ引っ越すことが決まった。


どんな縁があったかと言うと……


ライアスの兄、ハイゼル・フォスターは、魔物討伐で訪れた村で一人の女魔導士に出会う。艶のある長い髪にいつも自信に満ちたな強い瞳。リズリンは勝気で明るい性格で、村の中心的な存在だった。女性の身でありながら魔導騎士さながらの力で魔物を打ち倒し、ハイゼルは何度も窮地を救われる。やがてハイゼルはリズリンに惹かれるようになり求婚するが……断られた。実力主義の帝国と言っても、やはり身分は無視できない。それに優れた魔導力を持つが辺境の村娘でしかないリズリンは、デセイルの魔導協会では疎まれていた。驚いたことに、リズリンは正式な魔導士である三級魔導士ですらなかったのだ。リズリンもそうした醜い権力争いを嫌い、魔導協会からは離れていた。だがハイゼルは諦めない。レーヴェル侯爵領の騎士として武勲を上げながら、魔導協会の不実を追及する。その行動はレーヴェル侯爵も動かし、デセイル魔導協会は正された。そしてリズリンもハイゼルの情熱を認め、やがて二人は結ばれる。初めてリズリンの魔導力が測られたのは、その後だった。魔導騎士のような力を持つので、上級魔導士である二級魔導士ではないかと思われていた。だが、リズリンの魔導力は一級魔導士相当だった。一級魔導士は、帝国においても200人いないと言われる魔導士の頂点。まさに選ばれし者だ。帝国における最重要人材で、例外なく爵位が与えられる。リズリンは貴族となった。実力と権力が備わり最強になったリズリンは、またたく間にデセイル魔導協会の頂点に上り詰める。そして帝国魔導協会の幹部も務めるようになった。帝都魔導協会にやって来たリズリンは、そこでクロイスと出会う。リズリンとクロイスはお互い知り合い程度で、特別親しいわけでもなかった。だが名門アゼルフォート家の一員で、一級にも迫る魔導力を持つが優しく虚弱な魔導士……クロイスにそんない印象を持っていたリズリンは、クロイスの事を気にかけてはいた。そのためクロイスが帝都を離れると聞いた時には、驚きつつも親身になって相談に乗った。権力とは遠く、自然豊かで養生のできる場所……ハイゼルと一緒に何度かライス村を訪れたことがあったリズリンは、クロイスにライス村を紹介した。静かな温泉村か、いいかもしれない。リズリンの話を聞いて、クロイスはライス村を選んだのだった。


そうしてクロイス一家はライス村へやって来た。


余談だが、最初はしばらくはライアスの屋敷で暮らす予定だった。

だが村へ来ると既に屋敷は出来上がっていて、クロイスは大変驚く。

ディアスの仕業だった。建材がいつの間にか揃い、村から離れているのいい事に夜も建設が進む。

半月で屋敷は完成していた。

クロイスは、今は魔導具の製作を行う魔導士として村で暮らしている。


やがて門の前に着く。その向こうには左右対称で白い壁の屋敷があった。

アルクはいつ見ても立派なお屋敷だと思う。

1階には応接間、食堂、台所、浴室、作業場、倉庫、書庫などがあり、2階が私室等になっている。


専属の使用人はいないが、村の女性たちがお針子の仕事に来ていて清掃や洗濯など家事の手伝いをしている。

力作業には向かない女性たちにとって、収入となる大切な仕事だ。

毎日というわけではないが、女性たちが集まる日は賑やかになる。


父のクロイスが魔導具なら、母のスーリアは服を仕立てるのを生業としていた。

スフィアも糸から生地を織る手伝いをしている。

スフィアは染物にも興味を持ち、アルクと一緒に野山で採取をして草木染めをしていた。


「さてと、お買い物に付き合ってくれてありがとね。今度は約束も忘れないでね」

「うっ、気を付けます」

「それじゃあね、アルク」

「うん、またね」


スフィアと別れ、アルクは北の林の中へ続く道へ入っていく。

その途中、道端の石に腰掛ける人を見かけた。

キリっとした眉に鷲のような鋭い目。本人には全くそんなつもりはないのだが、目力があるのでまるで睨んでいるかのように見える時もある。

スフィアの父のクロイスだった。


「クロイスさん!?」

「やあ、アルク君」


病み上がで家で大人しくしているはずの人が目の前にいたので、アルクは驚いた。


「どうしてこんなところに!?」

「ちょっと外を歩いてみたくてね。でもへばってしまって、ここで一休みしていたのさ」

「無理はいけませんよ」

「横になってばかりも、体に良くないだろう?」

「そうですけど、もうちょっと元気になってからで…」


やはりいつもより顔色は良くない。アルクは少し心配になる。


「大丈夫ですか?」

「なあに、休めば平気さ」

「…気功やります?」

「おや、頼めるかな」


クロイスが村に来てから、ディアスは度々クロイスに気功による治療を行っていた。

アルクもときどき同じことをしていたので、お互いに慣れたやり取りだった。


気功とは【気】を用いて身体を活性化する技だ。

気は生物を動かす【生命力】と深い関りがあるエネルギーで、この世界の誰もが持つ力でもある。

だがそれを意識して操作することは難しく、長い修練だけでなく才能も必要とする。

アルクは武術の鍛錬を通して、気を操る気功術も身に付けていた。


魔導具を使わない不思議な力は、一般的に【魔術】という認識をされている。

魔術は普通の人間では持ちえない特別な力……言うなれば超能力だ。

当然ながら魔術を扱える者は魔導士よりも遥かに少ない。

そして魔術は希少なだけでなく、魔導では性質上難しい事も可能な非常に有用な力でもある。それ故に帝国は魔術を扱える【魔術士】を集めようと積極的に動いてた。


アルクが扱う気功術も魔術の一種という事になるため、普段は秘密にされている。

村で知っているのはスフィアたちアゼルフォート家の人と、ライアス、エーカーなどごく一部の者たちだけだった。

ロイはアルクの不思議な力のことを何となく察してはいたが、魔術の面倒な事情も知っていたのであえて訊く事はしなかった。

不思議な力が有ろうと無かろうと、ロイにとってアルクが親友であることに変わりないからだ。


アルクは半眼になり、深い呼吸をする。

臍下丹田に意念を集中すると、気の圧を感じた。

日々の修行の成果か、すぐにアルクの体は強い気で満ちる。


両手でクロイスの背中に触れると、ひんやりとした感じを受けた。

体温が低めというだけでなく、クロイスの気もひんやりとしているようにアルクには思える。


(師匠は魔導力の質の影響って言ってたけど…)


アルクはクロイスの体を包み込むイメージで気を流す。

クロイスは体がじんわりと暖かくなるのを感じ始めた。少しづつ活力が湧いて来る。

そうしているうちに、向こうからスフィアが駆けて来た。

クロイスの姿がなかったので探しに来たのだ。


「アルク! お父さん!」


スフィアがクロイスを叱る。


「もう、お父さん! 何やってるのよ!」

「すぐに帰るつもりだったんだ」

「お散歩なら、家の周りでいいじゃない」

「…そうかもしれないね」


スフィアはアルクに向き直り、謝る。


「ごめんね、アルク」

「お隣同士だし、これくらい気にしなくても」

「お隣……なのかな?」


アルクとスフィアの家は500m以上離れているが、なるほど、他に家は一軒もないのでお隣と言えるかもしれない。


「師匠が迷惑をかける事もあるし、お互い様だよ」

「ふふっ それもそうね」


アルクとスフィアは少し笑う。


「それじゃあクロイスさん、お願いできるかな」

「はい、確かに受け取りました」


クロイスは大人しくスフィアに引き渡される。

スフィアにクロイスを預けて、アルクは帰路につくのだった。

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