第4話 ここは帝国領
アルクは村の外れにある家へと帰る。
アルクと師匠のディアスが住む家は、村の中心である広場からは2km以上離れている。
村の者は、不思議な力を持つディアスが人目を避けるため村外れに住んでいると思っているが、実際は周囲への迷惑を考えずに活動したいからだった。
地下深い工房を建てる、近くの泉から沢を引いて水田を作るなど、ある意味やりたい放題だった。
アルクは綺麗に敷き詰められた石畳の広場を通り過ぎ、集落を抜けて、木が点在する野原の道を進む。
すると、その先からスフィアが歩いて来た。
「アルク、ロイは大丈夫だった?」
「うん、ちゃんと縫ってもらったよ。ナデルに」
「ナデルも診療をするようになったんだ。まあナデルなら心配ないかな。がんばってたし」
スフィアが手に持った籠を見せる。
「これから卵を買いに行くんだけど、アルクも行かない?」
「まあ、それくらいなら」
特に予定もないので、アルクはスフィアに同行する。
スフィアはさっそく魔物の事を聞いてきた。
「ねえ、まだ寒いのに魔物って良くないよね?」
「そうだけど、今日のは暖かそう……じゃなくて、毛の長い魔物だったから寒くても平気だったのかも」
「暖かそうって……冬に魔物が出た事ってあったっけ」
「冬は魔物は出てこないよ」
「どうして?」
スフィアの問いにアルクは戸惑う。
アルクは冬はこの辺りに魔物は出ないことは知っているが、その理由は特に考えたことはなかった。
「えーっと、師匠が冬は魔物の活動範囲が狭くなる……とか言ってたような」
「寒さに強い魔物もきっといると思うけど。そういうのは出てこないの?」
スフィアに訊かれても、アルクは答えに窮する。
アルクは魔物と戦ったことはあっても、その生態には詳しくなかった。
「…正直、僕は魔物の事はよく分からないんだよね。今度、師匠に聞いてみるよ」
「そういう事を教えてくれないの? 大事なことだと思うんだけど…」
スフィアが少し困惑した様子でアルクに訊く。
「師匠は魔物は見つけたら倒すだけだから、その場での判断が大事で、別に詳しくなくてもいいって感じで…」
「それはおかしい気がする」
「やっぱりそうだよね」
ディアスの常識は一般のそれとは多少違っていて、アルクは時々何が正しいか分からなくなる時がある。
こういう時、スフィアの判断はアルクの助けになった。
雑談をしながら歩く二人は、やがて村の広場に出る。
広場の正面には村の会館があり、その前には日時計が設置されていた。
会館は小さな村には似つかわしくない3階建ての大きな建物で、村の行政の中心になっている。
戸籍の管理、様々な相談のための窓口、両替場、基礎学校、図書室、礼拝堂など様々な機能を備えていた。
アルクとスフィアが会館前を通ると、ちょうど村長のオルゲンが出てくる。
鍛え上げられた体に勇ましい風貌て、いつも活力に溢れている。
村に関わる事は何でも率先してやり、村人からの信頼も厚かった。
「おうアルク、今日もロイが世話になったな」
「いつもの事なので」
「アルクのおかげで、あいつも無茶がやれる」
「ロイは狩りに、釣りに、山で採取に、毎日忙しいですね」
「迷惑をかける。だが若いうちは色々な事をやってみるのが一番だからな」
「僕も楽しんでるし、迷惑なんて」
スフィアがオルゲンに尋ねる。
「ねえ村長、ロイには温泉の事を教えてるの?」
「もちろんだ。しっかり管理が行き届いてこそ、いい温泉だ」
「ロイは村長できる?」
「俺としては、いずれやってもらいたいんだがなぁ」
ロイの兄であるレナルドは、村を出て隣のキルハの町で商人になった。
そのためオルゲンは、ロイもやがて村を離れてしまわないか心配していた。
「わたしはロイに投票するからね」
「スフィー、うちの村は選挙はないぞ?」
スフィアは何故かロイを村長に推している。
アルクが訳を訊くと、ロイなら安心して村を任せられると言っていた。
アルクには正直よく分からなかった。
「アルクたちはこれから?」
「一緒に買い物です。村長はやっぱり…」
「ああ、温泉だ」
日に三度の温泉は、村長の日課だった。
アルクとスフィアは広場から村の門へと続く通りへ出る。
この通りも広場と同じように石畳が続いており、村の商店はここに並んでいた。
スフィアが先になって商店へ入る。まだ3月ということで棚も空きが多い。
それでも、青菜、カブ、サツマイモ、豆、野いちご、小麦の袋、塩、干し肉、干し魚、瓶詰の漬物など様々なものが並ぶ。
あまり訪れることのないアルクにとっては、少し新鮮な光景だった。
店番をしていたジゼットおばさんが声を掛けてくる。
「あらスフィー、卵かい?」
「ジゼットさん、卵10個ある?」
「あるよ。いつもありがとね」
卵は高級品で、ひとつ銅貨2枚する。村に養鶏場はあるが、たくさん採れるわけではないからだ。
ジゼットが卵を用意する間に、スフィアは店内を眺める。
「あれ、これ檸檬の蜂蜜漬け。いつ入ったの?」
「前から置いてあったよ」
「いくら?」
「もうだいぶ時期を過ぎてるからねえ。大銅貨1枚でいいよ」
砂糖も南方から帝国に入ってくるようになったが、甘味全般はまだ贅沢品だ。
「これも一緒で!」
「全部で銀貨1枚ね」
現在も取引は物々交換も多い世の中だが、ライス村では多くの貨幣が流通している。
村から出ていく貨幣より、外から入って来る貨幣の方が多いからだ。ライス村が豊かな証拠だった。
アルクたちは商店を後にする。スフィアは思わぬ甘味にご機嫌だった。
通りに出ると少し強い風が吹く。
アルクは旗がはためく音を聞いて、村の門の方向を見上げた。レガルド帝国の旗が風になびく。
門に掲げられた帝国旗は、この村が帝国領であることを示していた。
赤地の旗の中央には交差する剣と盾、その上に冠が描かれている。
それは帝国の皇家に伝わる三つの神器を表していた。
「帝国の旗ね。帝都ではよく見たわ」
スフィアの言葉を聞いてアルクは少し考え込む。
「そういえば、ここも一応帝国領になるんだよね」
「一応って……確かに飛び地ではあるけれど」
この村で帝国らしさがあるものといえば、この旗くらいだ。
正直なところ、アルクは帝国民というよりはライス村の住人という意識が強かった。
「帝国との繋がりがあるから街道から外れたこんな辺境でもやっていけるのよ。この村ができたのも帝国の支援があったからって聞いてるわ」
スフィアの言う通り、ライス村の成立には帝国が大きく関わっている。
オルゲンたちは旅の果てに理想の温泉を見つけ出した。
だがここは魔物が出るような危険な場所な上に、一番近い隣町のキルハまで白竜川を渡って2日も掛かる。
このような所に村を切り開くのは非常に困難だった。
それに暮らして行くために必要なものを揃えるには多くの資金がいるし、社会生活を営むには相応の人口が必要だ。
生きていくために必要な物の生産にも、環境の維持にも、人手がいるからだ。
自分たちの村をつくるなど、今のオルゲンたちの状況ではとても不可能な事に思われた。
そこでディアスはオルゲンに、ライアスを頼るように助言をする。
帝国の魔導騎士であるライアスを通して、ここを新たな帝国の領土とするように働きかけたのだ。
新領地の開拓という形で帝国から資金や物資等の様々な支援を取り付け、移住者を募り、村づくりを進める。
こうしてライス村はできあがった。
帝国への大きな借財も残ってしまったが、それはディアスがだいたい何とかした。
「アルクはもう少し帝国のことを意識してもいいかもね」
「そうかな?」
「帝国で暮らす以上、帝国との関係は切れないわよ」
「うっ…」
スフィアのもっともな意見にアルクは固まる。
「そ、そういうことはだんだん考えるよ…!」
アルクは曖昧に答えつつ、再び帝国の旗を見上げる。
強い春風に吹かれ、旗は音を立てはためいた。
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