第3話 村には試練が待つ

アルクとロイは、村へ向かって山間の川沿いを進む。

だんだん視界が開け、その先に小高い丘が見え始めた。

丘には丸太を突き立てて並べた高さ3mほどの壁が延々と続いている。


ここはライス村の東にある砦。

魔物は東の山から出てくるので、この砦がライス村の防衛線になっている。

下からだと良く見えないが、丸太の壁は二段構えになっていて守りも堅い。

だが……使われたことは一度もない。


ディアス、ライアス、エーカー、オルゲン…

普通の片田舎の村には存在しない猛者たちによって、魔物は次から次へと容赦なく狩られた。

やがて魔物もこの辺り一帯にはあまり近づかなくなった。


そんな砦だが、野生動物の侵入を防ぐのには役に立っている。

砦が出来てから、動物による畑の被害は確かに減った。


アルクとロイは開けっ放しの砦の門をくぐり、外壁と内壁の間を左へと進む。

そのまま砦内の斜面を登っていくと、正面の地面がなくなる。

丘の南側は崖になっていて、50mほど下には切り立った崖の間を流れる川が見える。

侵入して来た魔物を突き落とせるように、砦はこのような構造になっていた。


眼下に広がる景色をみながら、ロイがつぶやく。


「嫌なことに向かって進むってのは、辛いことだな…」

「ロイ、行くよ」


立ち止まるロイをアルクが促す。


「目をそらしても仕方ないよ。避けては通れない事には、覚悟を決めないと」

「覚悟か……覚悟って何だろう」

「えっ!?」


思わぬ質問に戸惑うアルク。


「え~っと……心の準備みたいなものかなぁ。立ち向かう意思を持つんだよ」

「立ち向かう?」

「ま、負けない心だよ」


アルクは何とか言葉を繋ぐ。だがロイも何かしら納得するものがあった。


「そうか……痛みに負けない心だな。ありがとうアルク。オレも覚悟を決めるよ」

「どういたしまして…?」


内壁の向こうは段差になっていて、石造りの階段がある。

砦の出口部分には金属製の門と厚い石壁があり、ここだけは城壁のように堅牢な造りになっていた。


砦を抜けてもまだ村は見えず、なだらかな斜面が続く。


「オレ、マータおばさん苦手なんだよ……アルクも一緒に来てくれるか?」

「いいよ。マータさん凄く気が強いからね。わかる」


マータは村の診療所の医者だ。

冷静で手先も器用で頼れる医者なのだが、体格が良くて男勝りの気の強さは村でも評判だった。


「頼むぜ。一人だと何をされるか」

「何もされないよ。からかってるだけだって」


やがて坂道は終わり、広い草原の向こうの高台の上に2階建ての屋敷が見える。

村の東の外れにあるスフィアが住む屋敷だ。南側には綿花畑が広がるが、まだ3月なので今は何もない。

アルクたちが村へ続く道を歩いていると、遠くから呼ぶ声が聞こえた。


「アルク~!」


明るい栗色の長い髪が風に揺れる。アルクの幼馴染のスフィアが手を振っていた。

アルクはぴたりと止まると、片手を上げて答える。

ぎこちない動きのアルクを見て、ロイが問いかける。


「立ち向かう意思は?」

「……」

「負けない心は?」

「…その、状況的にもう負けてるから…」


アルクはスフィアに対して落ち度がある立場なので、強く出るのは難しい話だった。


「そうか、耐える覚悟というのもあるのかな。深いな」

「……」


近づいていくと、スフィアの他にもう一人。

肩辺りまで伸びた髪を、今日は後ろでまとめている。エーカーの娘のテナだ。


「よう! やっと帰って来た」


テナが元気に声を掛けてくる。テナは好奇心が強く活発で、周囲を明るくする少女だ。

だが元気すぎることが玉に瑕だった。アルクも時々振り回されていた。


「いつもはすぐ戻って来るのに今日は遅いから、心配……はあまりしてないや。お父さんたちには会った?」

「ああ、川でな」

「へぇ~今回は大物だったんだ。鹿?猪?」

「なんと魔物さ」

「こんな時期に魔物が出るわけないじゃん」

「マジなんだよ」


テナとロイのやり取りを聞いていたスフィアが、ぱっちりとした瞳でアルクを覗き込んでくる。

アルクは無言で頷いた。


「大丈夫だった?」

「小さかったし」

「さすがね」


スフィアはアルクが普段から武術の鍛錬を積んでいて、魔導武具が使えるだけではない事を知っていた。

魔物が出てもアルクなら十分対処できる事を知っていたので、特に疑わなかった。


いつもの感じのスフィアに、アルクは恐る恐る謝る。


「えーっと、その、約束してたのに遅くなっちゃって、ごめん…」

「別にいいわよ。今日は仕方なかったでしょ? 事情があったわけだし」


申し訳なさそうなアルクだったが、スフィアはさらりと流した。


「それより、ロイと出掛ける予定があるなら先に言ってくれないと。どうせすぐ終わると思ってたんでしょ。見通しが甘いわよ」

「ライアスさんにも言われた…」

「それに、もうテナと出かけて来たし」


スフィアの足元の籠には、草木染めの材料になる予定の若葉や花、木の根などが入っていた。


「この時期だと、まだ花も少ないよね。ちゃんと色は出そう?」

「今回は採る種類を増やしてみたの。色々と試してみるつもりよ」

「あ~~お尻ケガしてるじゃん!」


横からテナの声が響く。


「だがら魔物だったて言ってるだろ」

「猪が飛び出したんじゃなくて? ホントに魔物倒したの?」

「アルクがな」


テナがアルクに近づいて来て尋ねる。


「ねえ、どうやって倒したの?」

「テナ、悪いけどこれからロイとマータさんの所に行くんだ。また後でね」

「それじゃあ仕方ないかなぁ」


アルクが断ると、テナは素直に引き下がる。聞き分けがいいのがテナの良いところだった。


「エーカーさんが、ちゃんと魔物持ってくるからな!」

「それは楽しみだね~」

「くっ!」

「ほらロイ、診療所へ行くよ」


意地を張るロイを、アルクが引っ張る。


「それじゃあ、スフィア」

「ええ、またね」

「お大事に~!」


元気に手を振るテナに見送られ、アルクとロイは再び歩き出す。

ここから診療所がある村の中央広場まで、まだ遠い。

歩みの遅いロイの背中をアルクが押し、やがて診療所へとやって来た。


「こんにちわ~」

「おや、アルクにロイじゃないか。どうしたんだい」


机に向かっていたマータが立ち上がる。

マータの背丈は180cm超え、アルクはもちろん村の大人たちより大きい。

威圧感に押されて、ロイは思わずアルクの後ろに隠れる。


「ロイが怪我しちゃって」

「今日はなかなか帰ってこないって聞いたけど……まったく無茶するんじゃないよ!」


声も大きい。アルクは帰りたそうなロイを前に押し出す。


「どこを怪我したのさ」

「お尻の辺りを切って…」

「お尻? 転んだのかい」

「ちょっと引っ掛かって」


ロイが魔物のことを言わないのは、お小言を避けるためか。

アルクもそれを察してか、余計なことは言わない。


「木の枝にでも引っ掛けたのかい。まあ見せてみな」


ロイは診察台にうつ伏せになってお尻を出す。

何かねっとりとした視線を感じ、ロイはゾクリと寒気がした。


「へぇ~……いいお尻してるじゃないか」

「マータさん、見るのは右上の傷だよ」

「おっと」


落ち着いたアルクの声が、ロイには頼もしく聞こえる。


「応急処置はしたけど」

「ああ、アルクはしっかりしてるね」


マータは張られた葉を剥がすと、塗られた薬草を拭う。

傷口を見たマータは、鋭い刃物のようなもので切れた傷であることをすぐに察した。


「引っ掛かったねえ」

「……」


沈黙するロイは置いておいて、マータは少し考える。


(傷は長いけれど深くないし、丁度いいかもしれないねぇ)


「ナデル! こっちに来な! ナデル!」

「げっ!」


ロイが短くうめく。


「もう、お母さん! そんな大きな声で言わなくても聞こえてるよ!」


奥からマータの娘のナデルが出てくる。

ロイとは同い年の幼馴染で、今はマータの下で医者の見習いをしていた。


「ひゃあ! ロイ! 何でお尻出してるの!」

「お尻を怪我したからに決まってるじゃないか。ほら、ナデルが治療するんだよ」

「お母さん! 私、人は初めてなんだけど!」

「お肉ばっか縫ってないで、やってみるんだよ!」


そんな騒がしいやり取りを聞いて、ロイはうろたえる。


「ちょっと! そんな! いきなり!」

「さんざん練習したから大丈夫さ。縫合の腕は、あたしが保証するよ」


マータはナデルの方を向くと、発破をかける。


「ほら、今日が最初の日だよ! 覚悟を決めな!」


ナデルは、少しの間目を閉じて深呼吸する。

そして両手で頬をぴしゃん!と叩くと、決意を固めた。


「よし! ロイは私が治してあげるわ!」


緊張で強張るロイのお尻をナデルが優しくなでる。


「その、ロイ、力を抜いてね」

「あ、あぁ……や、やさしくしてくれよぉ…?」


ナデルは傷口を丁寧に洗浄してから、縫合を始めた。


(迷いのない、流れるような手つきだ)


ナデルのなめらかな針さばきに、アルクは驚く。

初めての緊張感に負けないその動きから、ナデルの絶え間ない努力をアルクは感じる。

同じように日々鍛錬を積む身として、心が引き締まる思いだった。


やがて治療が終わり、ナデルがロイに説明をする。


「今日はこれで終わりだけど、経過が大事なのでロイは毎日診療所に来てね」

「ああ」

「瘴気が憑くと良くないから、傷口の扱いは丁寧に。それと濡らさない事。温泉に入るのも控えて。それから──」


ロイは気恥ずかしいのか、少し視線を外しながらナデルの話を聞いていた。

ロイが照れながらお礼を言う。


「その、ありがとう、ナデル」

「ええ、お大事にね」


奥で腕を組んで黙っていたマータは、そのまま最後まで動かなかった。


診療所の外へ出ると、ロイは空を仰ぐ。


「…今日は色々あったな」

「まだお昼頃だけど。まあ確かに色々あったよね」


二人で少し空を眺めた後、ロイが切り出す。


「さて、オレは家に帰るよ」

「そうだね、僕も帰らないと。魔物の事はロイに任せていいかな」

「ああ、任せとけ。アルクの家は遠いからな」

「うん、それじゃあ」


アルクは手を振ってロイと別れる。それから村外れにある家に向かって歩きだした。

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少年はやがて世界の形を知る ミドラスの断章 御影道士 @7way

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