第2話 自然と社会の境界線
日の光を反射して、きらきらと輝く水面。
良く晴れた空の色を映して、川は青みを帯びて見えた。
「大丈夫か? アルク」
「思ったより平気。最近調子いいからかな?」
「いや、オレに聞かれても…」
大きな魔物を担いだアルクだが、不思議と疲れた素振りを見せない。
魔導具の力があるとはいえ、常人離れした体力にロイは少々引いていた。
「この辺りかな……っと、よし、やってくれ」
「よい……しょっと!」
ロイが魔物の脚に縄を結び、アルクが川に放り込む。大きな水しぶきが上がった。
「うおっ! 冷てえっ!」
まだ3月も半ば。川の水は凍えるような冷たさだった。
ロイは一息ついてから岩場に腰掛け、白い雪に覆われた遠く山々を眺める。
「いつ見ても立派なもんだ。ここが帝国の端ってのがよく分かるな」
レガルド帝国は大きな内海の北側にある、北方大陸の北西部に位置する。
帝国の北東には夕日に照らされて紅く染まる夕玄山脈が連なり、その雄大さはまるで世界を隔てる壁のようだった。
「あの先には何があるのかな…」
「さあ? 魔物だらけの魔境って言われてるけどな」
アルクの独り言のような呟きに、ロイが答える。
夕玄山脈の麓には大きなスレイ湖があり、そこから白竜川が南へと流れる。
白竜川から東は魔物が出るため、昔から魔物の地として怖れられてきた。
「温泉のためとはいえ、親父たちもよくこんな所に村を作ったよ」
アルクたちが住むライス村は、その白竜川の東側にある。
ロイの父である村長のオルゲンは、温泉に魅了された男だった。
元は帝国の貴族に仕える騎士だったが、ある訪れた地で温泉に浸かって……変わってしまった。
温泉の魅力に取り憑かれたオルゲンは騎士を辞し、俺だけの温泉を求めて旅立つ。
熱く男気あるオルゲンの周りには人が集まり、やがて旅の目的は俺たちの温泉になる──
そして、色々あって今のライス村ができた。
「昔はもっと魔物が出たって言うけど、今はそんなにいないよね」
「月に1体、出るか出ないかってくらいだよな。今日は出たけど」
ロイは川に沈む魔物をちらり見る。
「こんなのがたくさん出たら大変だな」
魔物が厄介なのは、人間に対する執拗な攻撃性だ。
不利になれば引くこともあるが、逃がせば再び襲ってくる。
動物のように追い払うだけではすまないため、遭遇したら倒さなければならない。
その上、魔物は夜行性も多く夜も気が抜けない。
魔物の出る場所で暮らすといのは、常に危険と隣り合わせだった。
しばらくロイと雑談をしていたアルクは不意に人の気配を感じ、川下の方を見る。
「誰か来る」
「ええっ? どういう感覚してるんだよ…」
ロイも立ち上がり、アルクと同じ方向を見つめる。やがて下流の方から二人の人影が近づいてきた。
その人影はアルクたちを見つけると、遠くから手を振った。
「ロイ! アルク!」
「エーカーさん!」
ロイが大きく手を振り返す。
二人の男は川の岩場を渡りながら、アルクたちの場所までやってきた。
「こんなところにいたのか」
濃い赤茶色の髪に、口髭のある男がロイに声をかける。
弓を背負い、革鎧を着ている。村の猟兵のエーカーだ。
それともう一人。明るい金色の髪に涼しげな目元、絵に描いたような優男だ。
アルクと同じような魔導合金製の槍を持ち、胴鎧を身に付けている。
「ライアスさんまで?」
「普段ならすぐ帰ってくるからな。念のためさ」
アルクの問いかけにライアスが答えた。続けてエーカーが事情を説明する。
ロイとアルクの帰りが遅いのが、村で話題になっていたようだ。
「いつもの場所にはいなかったから、大きい獲物だったら川の方かもしれないって事でこっちの方に来てみたのさ」
それを聞いたロイが、エーカーとライアスを手招きする。
縄を引っ張て川の中に沈む魔物を二人に見せた。
「魔物を仕留めたのか!」
エーカーがアルクたちの方を振り返ると、ロイが槍を振り回し突き刺す真似をした。
「オレが見ているうちに、あっという間」
「ほう、さすがアルクだな。大したものだ」
ライアスに褒められたので、アルクは少し照れる。
「怪我は無かったか?」
「それが……ロイがお尻をやられて」
「なんだそれっ」
聞いていたエーカーが吹き出す。
「ちょっと引っ掛かっただけだって」
「どれ、見せてみろ。魔物の瘴気は厄介だぞ?」
「大丈夫だって」
ロイに絡むエーカーを置いておいて、アルクはライアスに尋ねる。
「えーっとライアスさん、師匠は?」
「ディアスにも一応声を掛けたんだけどな。アルクなら心配ないと言って工房に入っていったよ」
「師匠…」
アルクはディアスが工房に入り始めたことが気になった。
工房で何かを始めると、うるさかったり眩しかったり振動に悩まされたりとロクなことがない。
「魔物は初めてじゃないよな?」
「師匠と何度か。今日のは小型だったし」
「その歳で魔物を一人で倒すとはな…」
ライアスが騎士としての訓練を終え、魔物と初めて戦ったのは18歳になってからの事だ。
アルクがディアスから武術を教わっているのは知っていた。
それでも数え年で15歳のアルクが魔物と渡り合うのは、驚くに値することだった。
ライアスは【魔導騎士】と呼ばれる、全身を魔導武具で武装して戦う騎士でもある。
魔導力は並の魔導士を大きく超え、その強さは魔物も正面から捻じ伏せうる。
ライアスは元は白竜川の西側一帯を治めるレーヴェル侯爵領の騎士だった。
魔物の領域と接する場所は、魔境から溢れてくる魔物との戦いが絶えない。
ライアスも名門フォスター家の騎士として、相応しい活躍をしていた。
だがオルゲンと出会い交流し、その夢を支えることを選ぶ。
そして侯爵に仕える騎士から、帝国に直接仕える魔導騎士となった。
魔導騎士は基本的に帝国軍の所属となるが、中には帝国魔導協会に所属する魔導騎士もいる。
資金や人材の問題から軍の編成や維持が難しい辺境の防衛では、魔導武具を管理する魔導協会の協力が不可欠だ。
協会所属の魔導騎士は、協会の貴重な戦力として様々な問題の解決に当たるのだ。
ライアスは帝国魔導協会所属の魔導騎士となり、ライス村の成立に尽力した。
ライス村が帝国領の一部として置かれているのは、ライアスの存在があっての事だった。
「──早めに冷やしたし、これならいい肉が──」
「ロイ、残念だが魔物の肉はとにかく不味いんだ。加工しないと、とても食えないくらい。だから──」
ロイとエーカーのやり取りを眺めながら、ライアスは考え込む。
「どうしたの? ライアスさん」
「春先から魔物というのはちょっとな」
魔物にも活動時期がある。基本的には動物と同じだが、冬場は活動が鈍くなる。
ライス村の辺りでは春も遅くになってから姿を見せ始め、夏から秋にかけて行動が活発になる。
春の早くに魔物が出てくるのは、たいていは数が増えている事が原因だった。
「魔物が急に増えたりする事ってある?」
「移動してきた場合もあるかなら」
魔物の群れの移動は、突発的な脅威となるため対処が難しい。
予兆を見逃さないことが肝要だった。
「…これは色々分かるまで、東の山は立ち入り禁止かな」
アルクとライアスがそんな会話をしている傍らで、エーカーは川に沈む魔物を引っ張って調べていた。
「この毛皮はいいな。若い個体だけある。これは良い値が付くぞ」
「ホントか?」
「ああ。あと牙が良い。傷が少なくて芯からしっかりと硬い。これなら大銀貨3枚くらいになるかもしれない」
「マジかよ…」
思わぬ大金にロイは目を丸くする。
「質の良い魔物の素材は、そんなに多く出回らないからな。ほとんどは傷物さ」
大きな魔物を仕留めることは容易ではなく、たいていは傷だらけになる。
牙が折れる、爪が欠ける……魔物との戦いは命がけなので、仕方のない事だ。
魔物の素材は強度が高く、様々な用途がある。
多くの需要が存在するため、意外な高値が付くことも珍しくなかった。
「さて獲物は俺に任せて、ロイとアルクは先に村に帰るといい」
エーカーは立ち上がり、二人にそう告げる。
「それにロイはお尻を早く診てもらった方がいいだろうしな」
「余計なお世話だよ」
ライアスもアルクに忠告する。
「アルクも早めに帰った方がいいぞ。スフィーと野草を採りに行く約束をしてただろう」
(※ アルクの幼馴染のスフィアの愛称 アルク以外は皆、スフィアの事を愛称で呼ぶ)
「しまった…! いつもみたいに何もないと思って…」
「見通しが甘いな」
アルクたちはライアスとエーカーに後を任せると、川に沿って歩き始めた。
ロイはお尻のケガに触れながら、アルクに訊く。
「なあ、これ、やっぱり縫ってもらわないとダメか?」
「痛いけど仕方ないよ。縫った方が治りも早いし、瘴気が憑きにくくなるから」
「あぁ…」
アルクの表情が浮かないことに気付き、今度はロイが訊く。
「何かあったか?」
「スフィアとの約束を忘れてた」
「あ…、それは悪いことしたな…」
「いや、いいよ。今日は仕方なかったよ」
「「………」」
先の事を考えると気分が重くなり、自然と口数も少なくなる。
アルクとロイは、互いに少し見つめ合った後、ため息をもらす。
「「はぁ~」」
二人は足取り重く、村へ帰るのだった。
※ 暫定ですが、この世界の貨幣の価値は以下のような設定になっています
大銅貨・大銀貨・大金貨は長方形で小型のインゴットのような形をしています
銅貨 100円
大銅貨 1000円
銀貨 3000円
大銀貨 30000円
金貨 300000円
大金貨 3000000円
魔導金貨 30000000円
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