少年はやがて世界の形を知る ミドラスの断章
御影道士
第1話 そこにある世界
空に太陽が輝く。
遠くには青い山脈が連なり、その裾野からは森が広がる。
日の光は眩しく温かく、爽やかな風は森の香りを運んでくる。
【世界】は当たり前にそこにある。
『なぜこの世界は存在するのか』
『どうして私はここにいるのか』
『人はどこへ行くのか』
誰もがときには頭に浮かぶ疑問。
何とも哲学的で、はるか昔から問われてきた難問。
だがそれが分かったとして、何の意味があるのか。
今生きる現実とはかけ離れていて、その答えに意義があるかは判らない。
それ故に、誰もが無関係ではないけれど、関係のない話……
──若葉もまばらな森の中を歩く少年にとっても、それは同じことだった。
「?」
鈍色の髪の少年が立ち止まり振り返る。背中の銀色の槍がきらめく。
「どうした?アルク」
茶色の短い髪の少年が声をかける。
春が訪れて間もない山はまだ肌寒く、二人の少年は少し厚手の服を着ていた。
「何か声が聞こえたような気がして。ロイには聞こえなかった?」
「変なことを言うのはやめてくれ。そういうの苦手なんだよ」
ロイは首をすくめる。
「森の中で聞こえる不思議な声は、人を惑わすって聞くぞ」
「もう惑わされてる気もするけど…」
二人は狩りで仕掛けた罠の確認に来ていたのだが、今だ目的地には辿り着けず既に1時間以上さまよっていた。
「いつもの辺りにすれば良かったのに」
「新しく見つかった獣道なんだよ。そっちの方がきっと獲物が掛かる可能性が……あった、あれだ!」
ロイが森の奥を指差す。
なだらかな斜面に沿うように獣道が続いていた。
「今日こそ新鮮な肉だ…!」
気がはやるロイは足早に前を進む。
だが森には不思議と生き物の気配がなく、静まり返っていた。
(動物の気配はしないなあ。今度も収穫なしかな)
アルクがそんな事を考えながら歩いていると、やがて罠の設置場所に着く。
だがそこにあったのは、何かが争った跡のように荒れた地面と、壊れた罠の残骸だった。
地面の抉れは深く範囲も広い。その跡からも、罠にかかっていたのが小動物でない事が推測できた。
「おいおい、罠を引きちぎったってのか?」
「…これは普通の動物じゃなさそうだね。魔物かも」
【魔物】──自然界の中で、人間に対して攻撃的な生物がこう呼ばれている。
普通の動物なら人間が近づけば大抵は逃げるものだ。だが魔物は襲い掛かって来る。
動物より大きく力も強く、鋭い爪や牙を持ち、気性も荒い。人間にとって危険な存在だ。
魔物の狩りは、【猟兵】と呼ばれる専門の狩人が行うのが普通だった。
ロイは現場を少し眺めた後、腰に下げた短剣をちらりと見る。これで魔物と渡り合うのはとても無理だ。
「…よし、帰るか」
「判断が早いね」
「オレは魔導具を持ってないからなあ」
ロイはアルクの持つ銀槍に視線を向ける。
【魔導具】は、人に宿る【魔導力】を用いて様々な効力を得る道具の総称である。
例えば魔導武具には【強化】の魔導が込められていて、刃は鋭さを増し、盾は頑丈になる。
更に優れた魔導武具はその効果を使用者にも及ぼし、身体能力を大きく向上させる。
魔導武具があれば、人間が魔物と戦うこともできる。
「魔導武具は高価だし相性もあるから、簡単には手に入らないよね」
「いや、そんな立派なのじゃなくていいんだけどな…」
魔導具は便利だが癖も強く、効力の高いものほど使用者を選ぶ。
込められた魔導の質が合わないと、その力を十分に発揮できないのだ。
自分に合った良い魔導具を手に入れられるには運も必要で、簡単な事ではなかった。
アルクの持つ銀槍はアルクが師匠から譲られたもので、相性も非常に良く力を倍以上に引き上げてくれる。
アルクにとって心強い相棒だった。
アルクとロイは壊れた罠を回収すると、来た道を引き返す。
「まあ最初は短刀かな。色々な事に使えるだろうし、棒の先に付けて槍にしても良さそうだ」
「魔導具は直接持たないと普通は使えないよ。魔導力が伝わらないから」
「えっ、そうなのか?」
「魔導力は遠くまで届かないんだよ。手を伸ばしたくらいがせいぜいだって」
アルクが両手を広げて見せる。半径1メートル程の範囲だ。
「この範囲より外は、魔導力を伝える方法がないと魔導具は使えないんだ」
「うーん……それじゃあアルクの槍は、槍自体に魔導力が通ってるから先っちょまで強化が届くって事か?」
「そんな感じかな。剣とかも同じだよ」
ロイは物を投げる真似をして見せる。
「じゃあこうやって投げると、強化は切れる?」
「…たぶん魔導力の範囲を出たら切れるんじゃないかなあ」
「じゃあ弓の魔導具はどうなってんだ?」
「あれは弓の張力、矢を射る力が強化されているんだよ。矢の方は──」
二人がそんな会話をしながら山道を歩いていると、不意に山の斜面の上の方からガサガサッ!と音が響いた。
「「!?」」
アルクは素早く銀槍を構え、ロイは短剣を抜く。何かが発する音は、だんだんと近づいてくる。
(人間を避けようとしない、これはもしかすると…)
二人は音のする方向から後ずさりながら、近くの木や茂みからゆっくりと距離を取る。
辺りは静まり返り、緊張感が高まる。
「ロイ右っ!!」
アルクの声にロイが視線を右に切る。10mほど先の茂みから黒い塊が飛び出した。
「うおっ!」
とっさにロイは左側に飛びのく。ロイと黒い影が交差し、アルクはヒヤリとする。
黒い塊は勢い余って斜面の下へ転がっていく。
「ロイッ!!」
「大丈夫だ!ケツをやられただけだ!」
元気な反応にホッとするアルク。ロイは木の上に避難しようと近くの木に登り始める。
黒い塊は20mほど先で木に引っかかると、今度はアルクの方へ向かって突進して来た。
姿は猪に似ているが鼻は小さく下顎が大きい。伸びる牙は20cmはある。
(間違いない、魔物だ!)
肩高は70cm程で魔物としては小型。だが普通の動物とは比べものにならないほど凶暴で危険だ。
(心を落ち着けて、集中するんだ)
アルクは槍を左下に向けて構え意念を込める。
ビリビリとした魔導力の波動と共に、槍と力強く一体化するような感覚を得る。
強化による身体能力の向上で、アルクには体が一回り大きくなったように感じられた。
魔物が迫り槍の間合いに入る瞬間、アルクは鋭く動く。
魔物の突進に対して体を右にさばきながら、槍を横から魔物に叩きつけた。
大きな力の衝突で、体が浮き上がりそうなほど強い反動が起こる。
アルクはバランスを崩さないように腰を落とし両足で体を支えた。
大きな鎚で打たれたような衝撃に、魔物は2m近く跳ね上がる。
飛んだ先にはロイが登った木があり、牙が突き刺さった。
「うおおおおおぁあ!!」
もがく魔物と激しく揺れる木に騒ぐロイ。
アルクはすぐさま魔物に接近すると、身動きできない魔物の側面から心臓を槍で突く。
魔物はビクッと跳ねたあと痙攣し、やがて動かなくなった。
少し間を置いてアルクは槍を下す。木の上で様子をうかがっていたロイも降りてきた。
「ふお~、あっという間だったな」
ロイは倒れた魔物を見て感嘆の声をもらす。
魔物が飛び出してから30秒も経っていない。わずかな間の出来事だった。
「運がよかったよ。暴れ回られたら大変だった……ってお尻は?」
「ん? ああ、あんまり痛みはないな」
「すぐ手当をしないと」
アルクに急かされて、ロイがお尻を出す。右上の辺りが7cmほど裂けていた。
「人差し指の長さくらい切れてるよ」
「けっこういったな。引っ掛かったくらいの感じだったんだが」
アルクは腰に付けた道具袋から、蒸留酒の入った小瓶を取り出す。
「消ど…瘴気を祓わないとね。取り付いたら後が大変だ」
この世界では細菌の知識は一般的ではなく、病や腐敗は取り付いた瘴気によるものとされていた。
清潔にすることで瘴気を祓うという考えは広まっていて、洗浄には聖水や強い酒などが用いられていた。
「ああああ…! 尻が熱い…!」
「次は薬草を塗るよ」
悶えるロイを置いて、アルクは淡々と応急処置を進める。
ねっとりとした薬草で傷口を覆い、包んでいた葉っぱを貼りつけた。
「こんな感じかな」
「助かったよアルク。見えない所は自分じゃ、ああっ滲みてきた…!」
「帰ったらちゃんと診てもらうからね」
自分の怪我よりも獲物が気になるロイは、そそくさとお尻をしまうと魔物に近づく。
灰色の体毛に覆われ口には長い牙、体長は120cmはある。
「大物だな……これでも魔物だと小さい方か?」
「普通ならこの倍近くはあると思う」
「やっぱ魔物はやべえな……おっと、早いうちに運ばないと。こっからは鮮度だ」
「ロイは怪我してるからね。僕に任せてよ」
アルクはべっとりと槍に付いた血を布切れで拭うと、背中に掛けてから強化の魔導を使う。
牙が刺さった魔物を木から引き抜き立て掛けると、ロイが胸部に刃を入れ血抜きを行った。
「こんなもんか」
「早めに冷やすといいんだっけ。川はどっちの方かな?」
「こっからは近いぞ。一応それも考えて場所を選んだんだ」
「よし、それじゃあ──」
アルクが魔物を担ぐ。少年が自身より重い魔物を簡単に持ち上げるのは、違和感を覚えるような光景だ。
「おう、やっぱアルクはすげえよな」
「魔導のおかげだよ」
「魔導もすげえな……オレも才能があればなあ」
魔導力はこの世界の誰にも宿る力。だがその強さは個人差が大きく、すべての人が同じように魔導具を扱えるわけではない。
日常で使う小さな魔導具ならともかく、魔導武具が使えるのは3人に1人、
身体強化が出来るような強い魔導武具を使えるのは30人に1人、
そして魔導力の流れを詳細に感じ取り、魔導具を作ることができる【魔導士】は300人に1人と言われている。
例外はあるが、魔導力は子供が成長するにつれて強くなり、大人になりしばらくすると以後は変わらないのが普通だ。
魔導は有用な力ゆえに、魔導力を高めようと様々な方法が試されてきた。
だが良い結果が出た事は殆ど無く、それどころか再現性すらなく、魔導力を高める方法は今だ発見されていない。
現在では、魔導力は個人の才能という結論に至っている。
気落ちしたように見えるロイに、アルクは元気に言い切る。
「大丈夫。魔導の才能なんてなくても、楽しく生きていけるよ」
「あ、ああ、そうだな。まあ楽しくは生きていけるよな…?」
言い切るアルクに少し気圧されて、ロイは戸惑いながら答えた。
「それより、そんなに長くは持てないからね」
アルクが担ぐ魔物の重さは80kg以上はある。身体強化があってもなかなか大変な重量だ。
「おっと悪い、こっちだ。足元には気を付けてくれよ」
ロイが先導しながら二人は山を下りてゆく。
やがて斜面は緩やかになり、川のせせらぎが聞こえ始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます