ならず者

増田朋美

ならず者

寒くなって、もうそろそろ日中でもコートが必要な時期になってきた。寒いので、ラーメンやうどんなどの麺類食べたいなと思いたくなる季節である。

その日も、杉ちゃんとジョチさんが、ぱくちゃんの経営しているラーメンショップ、イシュメイルラーメンにて、いつも通り担々麺を食べていたところ。

「こんにちは。すみません。ラーメン食べさせてください。」

と、若い男性が店に入ってきた。

「ああ、お品書きはこちらですから、食べたいものを選んでください。」

ぱくちゃんは、その人を、椅子に座らせて、お品書きと書かれた紙を彼に渡した。

「あれ!植松さんでは?」

杉ちゃんに言われて、その人はびっくりする。

「そうですよそうですよ。植松直紀、そのものです。」

というわけでこの人が植松直紀さんであることがわかった。

「それで今日はどうしたんです?なんだかえらく落ち込んでいますけど。まあ、あなたが落ち込んでいるのはいつもそうですけどね。」

ジョチさんがそう言うと、

「はい。これまでにない生徒がやってきたんで、俺どうしたらいいか解んなくなっちゃったんですよ。」

植松直紀さんはまた泣く。

「はあ、お前さんの勤めている学校は、通信制の訳アリの生徒さんばっかり通っている高校だったよな。それならしょうがない。ある程度訳アリであることは、仕方ないと思え。」

杉ちゃんがそういうと、

「はい、結論から言ってしまえばそういうことなのでしょうが、あの生徒には俺達教師でも、対峙できないんですよ。だって、見た目はすごい不良なのに、親御さんがやりての弁護士で、それを使って、学校に文句が言えると脅かしてくるんですよ。だから俺達は、どうしても彼女に対処できなくて、困っているんですよ。」

と、植松直紀さんは涙をふくのも忘れて号泣した。

「つまり、素行が悪い生徒さんがいて、親御さんが有名な弁護士なので太刀打ちできないということですか。」

ジョチさんがそう言うと、

「でも不思議なんですよ。その子、授業も碌に聞かないし、服装もすごく悪いということは確かですが、何でも平仮名ばかりで書くほど読み書きができないのに、歌もうまいし、そういうことだけは得意なんですよ。」

植松直紀さんは言った。

「はあそうですか。つまり、漢字の読み書きができないと。そういうのは、失読症とかディスレクシアなどと言って、専門的な治療が必要なこともあります。だから、そういうところへ連れて行ってあげてください。」

ジョチさんが専門家らしくそう言うと、

「でも、そういう事できますかね?もうただでさえ、俺達の言うこと聞かないんですよ。本人だけではなく、親御さんも、忙しすぎてなかなか彼女に構えないようですし。」

と、植松直紀さんは言った。ジョチさんが、もう少しその子のことを詳しく話してくれというと、

「はい、名前は松井千恵。読み書きができないという理由で、小学校低学年で不登校になり、中学校には一度も行っていません。家族は弁護士をしている母親と二人暮らしです。うちの学校には、4月から通っていますが、授業はやる気なし、服装は悪過ぎ。しかし、音楽の授業で歌を歌わせたところ、声楽家みたいに歌ってたと聞きました。」

と説明した。

「そうですか。そういう生徒さんも受け入れなければ行けないのが通信制高校なんですね。だけど、植松さん。そういう生徒さんを受け持って、彼女がうまく更生してくれたら、それはすごい良かったと思いますよ。だからそれまでの辛抱だと思って、頑張ってみたらどうです?」

ジョチさんがそう言うと、

「お客さんご注文は?」

とぱくちゃんが言った。

「みんな普通に読み書きを学校で教えてもらうことができて羨ましいよ。僕達ウイグル族は、学校に行くなんて、全然許されてなかったんだよ。」

「ああ、ああ、すみません。そういうことなら、醤油ラーメンをください。」

植松さんがそう言うと、あいよと言ってぱくちゃんは厨房に戻っていった。

「その松井千恵という女性に会ってみたいですね。僕達も彼女に対してなにかお手伝いができたらと思いますし。」

「いやあ無理ですよ、理事長さん。車椅子に乗ってたり、足が悪かったりすると、なにか暴力的な事件を起こされたときに困りますから。」

ジョチさんはそういったのであるが、植松さんはすぐに反論した。だけど杉ちゃんが、

「無理とか、そういう事考えていたら、いつまでも意味のない教育をすることになるよ。そうでは無いでしょう。」

と言ったので、少し考えて覚悟を決めたらしい。

「わかりました。彼女に話をしてみます。」

そう言って出された醤油ラーメンを、ライオンみたいにかぶりついた。

それから数日後。杉ちゃんたちが製鉄所でいつもと変わらず着物を縫ったり、利用者さんと喋ったりしていると、

「杉ちゃん連れてきましたよ。こちらへ来てくれるか、心配だったんですけど、わかってくれる人がいるからといったら、一緒に来てくれました。松井千恵さんです。」

と玄関先から植松直紀さんの声がした。杉ちゃんが応答すると、玄関先に立っていたのは、植松直紀さんと、16歳くらいの少女だった。髪は黒く染め直しているが、スカートは尻が出るくらい短かったし、ブレザーもきちんと着ないで、シャツがブレザーから出ていた。ルーズソックスは履いていなかったが、ローファーの靴は、かかとを潰して履いていた。

「はじめまして。松井千恵です。」

と、彼女は挨拶した。

「どうも、影山杉三こと杉ちゃんって呼んでね。商売は和裁屋だよ。よろしく。」

杉ちゃんが右手を出すと、

「和裁屋?」

と彼女は言った。

「そうだよ。着物を縫ったり、帯を縫ったり、他にも色々作れるよ。それが和裁屋だ。」

杉ちゃんが言うと彼女は、

「そうなんですか。着物なんてこの世から必要ないと思ってたのに。」

と言った。

「いや、それはないね。着物を必要とする人はある程度いる。それはお前さんもいずれわかる。まあ、ここにいては寒いから、中にはいれ。」

杉ちゃんが言うと、千恵はお邪魔しますと言って、製鉄所の中に入った。杉ちゃんが植松直紀さんに、あとは僕らでなんとかするというと、植松直紀さんは授業があるのでと言って、製鉄所を出ていった。

「お前さんは、どうして学校に行こうと思ったの?もう一回学び直したいと思ったからか?」

廊下を移動しながら杉ちゃんが言った。

「いえ、ただ親に学校にいけと言われただけよ。」

と千恵さんは嫌そうに答える。杉ちゃんは、とりあえず製鉄所の食堂に案内した。大体の利用者はここで勉強を教え合っている。その日も三人の利用者が、勉強していた。一人は、資格試験のための勉強をしていて、あとの二人は別の通信制高校の宿題をやっているのだった。普通勉強は一人で黙々とやるものであるが、ここではわからないことがあったら、気軽に質問してもいいことにしているので、勉強は複数で行われている。それを見た千恵さんは、怒りが生じたのか、いきなり台所にあったやかんを取ってきて、中身を宿題をやっていた二人の利用者に向かってぶちまけた。

「何をするんですか!」

と利用者は言うが、千恵さんはそれ以上何も言わなかった。利用者たちは濡らされたノートを片付けているが、それ以上彼女を批判したり、嫌な人だと言うことはなく、ただ黙って片付けていた。

「なるほど。植松さんがお前さんに手を焼いている理由がちょっとわかったぞ。」

杉ちゃんが、そう言うと、いつの間にか隣の部屋からやってきた水穂さんが一言、

「辛かったんだね。」

と言った。千恵さんはその言葉に思わずびっくりしたらしくて、やかんをその場に落としてしまった。やかんの中に残っていた水が、床に飛び散ったが、これも利用者たちが片付けている。

「お辛かったんですね。勉強というものが本当に苦しかったのでしょう?」

水穂さんは優しく言った。

「どうしてそれがわかるんですか?」

千恵さんはそう言うが、

「いえ、過去にもそういう利用者さんはいました。家の事情で勉強についていけなくなって、勉強が本当に辛いと言っていた方もおられました。」

と、水穂さんは静かに言った。怒ることも無ければ、嫌味っぽく言うこともない。ただ事実を述べているだけであった。

「私は、死のうと思ってるんだ。」

千恵さんが言うと、

「それだったら、他人に怒りをぶつけるのではなく、何でもいいから話してご覧なさい。」

水穂さんはそれに妥協することなく言った。

「話せって、いろんな人には十分話せたわ。でも、一生懸命努力しろで終わってしまうじゃないの。みんな私のことを最終的には努力しないだめな人としか見ないのよ。」

「そうですか。でも、ここにはいくら努力してもできない人はいっぱいいます。杉ちゃんだって、いくら努力しても、歩けないことは明白なので、車椅子に乗ってます。」

千恵さんがそう言うと、水穂さんは具体的な名前を出して彼女に言った。このときに大事なのは、具体的な例を使用することが大事なのである。単にいっぱいいるだけの表現では信じられないことが多い。

「でも、あたしみたいに、漢字を覚えられなくて、みんなにいじめられたり、学校の授業についていけなくなることはなかったと思います。だから、私みたいな不幸は味わってないと思います。」

千恵さんがそう言うと、

「漢字を覚えられないねえ。読み書きができなかったのか。でもさ、それって悪いことではないから、それで自分を責めてしまう必要は無いと思うけどね。僕も、読み書きできないけど、のほほんと生きてるよ。はははは。」

と、杉ちゃんがカラカラと笑った。

「そうですね。本当に 杉ちゃんはのんびり生きてますね。確かに読み書きはできないですけどね。」

水穂さんは、そう杉ちゃんに言った。

「それに外国の俳優さんでも、誰かに代読してもらわないと、仕事ができないっていう人はいっぱいいるそうじゃないか。そういうふうに、今は障害を大っぴらにしても、問題なく生きていける時代になってるよ。だから、読めないせいでこうされたとか、ああされたと嘆かなくてもいいんじゃないの?」

杉ちゃんに言われて千恵さんは戸惑ったような顔でこう言ってしまう。

「でも、あたしは、学校では読み書きできないからだめな人ってさんざん笑われて、学校の先生にはお前が生まれてきたから悪いとかそういうことを言われてきたんですよ。でも親はもう忘れろとか、無責任なことばっかり言うし、もう私の人生、こんなめちゃくちゃで、もう、やり直しも効かないし、死んだほうがいいのではありませんか!」

「うーんそれはねえ。確かに、お前さんは、学校の先生にそういうひどいことを言われて、傷ついているのは確かだと思う。でもね、お前さんだって、生かされているんだ。それはね。なんかやり遂げるべきだからそうしろって言われてるのと違うか?そりゃあ、こうされたとかああされたとかで駄々をこねているようでは完璧に負けだ。だけど、それをさ、なんていうのかな。武器にするという生き方だってあると思うんだよね。そういうことされて傷ついた、という事実を商売道具として使うことだ。具体的に言うとだな、他にもお前さんのように学校のことで困っている人がいるかも知れないじゃないか。お前さんは、無責任な大人の励ましが、いかに辛いものであるか知っている。だから、そういう無責任な言動はしない。それによって救われるならず者も、いるんじゃないのかな?」

杉ちゃんという人は、時折哲学者のような発言をするときがあるが、今回もそうだった。それで独演会を始めてしまうこともある。本来であれば止めるべきかもしれないが、水穂さんはそれをそのままにしておいた。

「きっとね、どんな世界でもならず者はいると思うけど、その裏ではとても寂しかったり、悲しかったりして、ならず者にならなければならなかったという人もいるんだよ。だからさ、そういう奴らを現実の世界へ引っ張ってあげる仕事ってのが、いかに重要だと思うんだよね。まあ世間ではあんまりそういう仕事って重要視されないけどね。でも、レンタルお姉さんとか、そういうのを使って、外に出られたケースも色々有るよねえ。」

「そうですね。決してならず者は、中身までならず者ではありませんよね。」

杉ちゃんに言われて、水穂さんはそう彼に話をあわせた。それと同時に、

「こんにちは。イシュメイルラーメンです。ラーメン持ってきたよ!」

と言って、ぱくちゃんがラーメンのケースを持って、製鉄所に入ってきた。製鉄所は上がり框が設けられていないため、簡単に入ってしまうことができる。

「はい、持ってきましたよ。伸びちゃうから、早く食べてね。」

ぱくちゃんは、食堂のテーブルの上に、ラーメンの丼をおいた。大ぶりの丼で、太い黄色い麺が入っている醤油ラーメンである。水穂さんの前にはチャーハンが置かれた。

「なんか黄色い讃岐うどんのような太い麺ですね。」

千恵さんが言うと、

「そうですよ。ウイグル語でラーメンと言えば、こういう太い麺を言うんだよ。もともとラーメンはウイグルの郷土料理であるラーメンから取ったもの。」

と、ぱくちゃんはにこやかに言った。

「それにして、杉ちゃんまた弁舌をふるっていたようだけど、何を話してたの?」

ぱくちゃんは、日本語の敬語文法をあまり理解していないのだろう。どうも発音が不明瞭で、千恵さんには理解しにくかった。

「何にも大したことじゃないよ。ただこいつがな。読み書きができないことを、いろんな人にバカにされて理解されていなかったことを悲しんでいたんで、それは今はあまり気にしないでいいって話をしていたんだよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうそう。僕も、あんまり読み書き学問は得意ではないし、それに、何よりも、僕らは学校にいかせてもらえなかったから。学校に行けるなんて上等じゃないか。そんな嬉しいことはあるかな?日本人は、誰でも学校にいけて、羨ましいなあ。」

ぱくちゃんは、妬ましい雰囲気はなく、ただ素直に羨ましいといった。もしかしたら千恵さんは、怒り出すかもしれないと、水穂さんは心配な様子だったが、そのような様は見られなかった。

「そうだねえ。こうやってささやかな宴席が作れることが本当の幸せじゃないか?何でも言える仲間がいて、こうしてああだこうだと言い合えるってことがさ。学校の先生なんて、恵まれすぎてる環境にいるからさ。生徒がちょっとミスしただけでも、すごいならず者に見えちゃうんだと思うよ。だからこれ以上、先生がなにか変なこと言うようだったらな。お前は恵まれすぎてるんだって、頭の中で叫んでやれや。」

杉ちゃんがそう言うと、水穂さんがひとこと、そうですねといった。

「さあ、ラーメン食べようぜ。本当に伸びちゃうから。いただきまあす!」

そう言って杉ちゃんはラーメンにかぶりついた。他の利用者たちも、ラーメンにかぶりついた。水穂さんだけが、醤油を食べられないという理由で、チャーハンほんの少しだけ食べていた。それを、千恵さんは目撃し、

「食べないんですか?」

と、聞いた。

「ええ。みなさんみたいに食欲が無いので。」

水穂さんがそう答えると、

「そうですか、で済まされる問題ではありませんよね。何も食べなかったら、当然生きていけませんし。私、言われたことあるんです。生きていくには食べなければならない。そのためにはお金が必要だ。そのお金を作れない人間は生きている価値がないから死んでしまえって。学校の先生がそう言ってました。」

と、千恵さんは言った。

「そうですね。僕もそういう人間なんだと思いますよ。そういうふうに言われるしかできなかった身分というのは存在しますよね。それは、歴史の授業で習ったことがあるのではないでしょうか?」

水穂さんがそう言うと、千恵さんは、なるほどという顔をした。どうやら文字は読めないが、知識を得たいという気持ちはあったのだろう。

「そうなんですね。私もう、そういう人はいなくなったと思っていましたが、そういうわけでも無いのですね。」

千恵さんは、そう話した。

「難しいと思うけど、そうなってしまうんでしょうね。そういう人間を作らないと、人間って生きていけないんだろうなと思います。人間は、誰かを助けるとか、愛するとか、そういう心もあるんですけど、同時にあの人よりはマシだとか、そういう馬鹿にする存在も作らないと、やっていけないんですよ。だから、平和なんて絵に書いたもちになってしまうんです。それが複雑に混じり合ってできているのが人間社会ですよ。その原理はきっと、あなたみたいな方なら、おわかりになると思いますよ。」

水穂さんがそう言うと、千恵さんは一瞬黙ってしまったが、すぐにそうだよなと思ってくれたらしい。しっかり頷いて、こういってくれた。

「そうですね。あたしも、そう思います。完璧にいい人もいないけれど、完璧に悪い人もいないですよね。だけど、先程生かされているんだって、お話聞かせていただきましたから、それなら、水穂さんも同じだと思いますし、ご飯を食べるべきでは?」

水穂さんは、にこやかに笑って、チャーハンを口へ運んだ。それを見て千恵さんは、何故か食べ物を扱う仕事につきたいと思った。もちろん、文字を見ると辛くなってしまうし、漢字をバランスよくかけないので、練習しなければならないが、それを超えて、そういう食べ物にまつわる仕事。それができたら嬉しいなと思った。もちろん、学校の先生や、自分の親に対する憎しみは消えてなくならないが、完璧な人などどこにもいないと思い直した。

その間に、杉ちゃんたちは、ぱくちゃんが持ってきてくれたラーメンを幸せそうに食べているのだった。ラーメンを食べるということは命の洗濯なのかもしれない。ただ机に座ってやる勉強だけでは無いのかもしれなかった。

庭では、イタリアカサマツの木が、松の葉を落としていた。人間もそして木も、生かされているのだと思った。

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ならず者 増田朋美 @masubuchi4996

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