第4話 留学生

 リリアンの教室。長机がいくつか横に置かれ、固い木の椅子が並んでいる。彼女は一番後ろの席ではしゃいでいる生徒をよそに頬杖をついて、外を眺めていた。

 担任のストロス先生が入ってくる。リリアンの母親、エレオノーラの友達で悪魔であることはリリアンとヘルミーネ以外は知らない事だ。人間界の科学の発展の早さに魅かれ、こうして教師を隠れ蓑に研究に没頭しているらしい。ひと時、ノーラが結婚したことに驚き、恋を知るために見合いをした時期もあったが、研究の時間の無駄だとあきらめたようだ。常に白い薄地のロングコート、白衣というものを着て、三つ編みに眼鏡、ジト目の無表情でなにを考えているのかわからない。生徒にも興味がないようだが、口うるさくないからか、なぜか生徒からの人気は高い。

「さて、今日から新しいクラスメイトが加わる。さあ、こちらに来て、自己紹介して頂戴」

 廊下から顎を上げて、少し背伸びをした歩き方の少女が入ってくる。

「フリーデリケ・フォン・クレディトですわ。家族にはフリッツと呼ばれていわ。親しくなれば、そう呼ぶことを許します。これから人間界の経済を拝見致しますので、どうぞお見知りおきを」

 (ばか、なにが人間界だ!)リリアンはすぐにわかった。フリーデリケと名乗った少女は悪魔である。同じ魔力の波長を感じた。しかし、リリアンは極力魔力を押さえているため、彼女はちらりとリリアンを見て、首を傾げるだけだった。

「ストロス先生はなんで受け入れたんだよ、ぼくがこまるってわかりそうなものなのに……」

 リリアンは愚痴を呟いたが、ストロスは、「何か問題でも?」という様子。

 フリーデリケの腰まで伸びる波打った黒髪は艶やかで、まるでシルクのよう。その華やかさに加えて、彼女の金色の瞳は目を奪うほど美しい。小柄な体型と青白い肌が精巧な人形のようで、傲慢な態度のアンバランスさが蠱惑的だ。口を開けるときに、手を添える度に指にはめた大きなルエメラルドの宝石が煌めく。

 クラスではお嬢様の振りをして、裏では不良になる者が一定数はいる。彼女の上からの物言いと生意気な出で立ちは、問題児たちのアンテナにさっそく引っかかってしまったようだ。

「フリーデリケさん。後ろの端の彼女、リリアンさんの隣の席に座ってください」

 (ちょっと、どうしてぼくのところ?これも実験だっての?)リリアンはなるべく目を合わせないようにそっぽを向いた。

「リリアンさん、彼女に教科書を見せてあげてくださいね」

 ストロス先生の指示を恨めしく思い、仕方なく教科書を広げてフリーデリケに向けた。

「よろしくお願いいたしますわ、リリアン、えっと……」

「フォン・リッツェンシュタイン。あ、まずい!」

 リリアンは口を抑えるが、すでに苗字を名乗ってしまった。悪魔界ではそれなりの家柄である。もちろん人間界にも同姓同名はいるだろう。なんとか誤魔化すしかない。

「あら、リッツェンシュタインさん……さて、どこかで聞いたことがあるような」

「よくある苗字さ、リリアンでいいよ」

 とにかくなんとかしなくてはならない、リリアンは胃が痛くなりそうだった。


 一週間が経ったある日の昼時、リリアンはヘルミーネに誘われ、学院の中庭の木陰でランチをとっていた。固い干しブドウパンに塩辛い燻製肉を挟んだもの。青々と茂った木々の葉が心地よい風に揺れ、穏やかな陽射しが二人を包んでいた。

「もう、ぼくがフリッツの世話係みたいになってるんだよ……ストロス先生は『君のためになる』なんて言うけどさ」

 リリアンはパンをかじりながら、不満げに眉をひそめる。

 あはは、とヘルミーネは苦笑する。

「リリアンって意外と面倒見がいいからじゃない?悪魔なら友達になれるかも。そんなに初めから否定しないでもいいんじゃない」

 そう言い、愚痴を楽しげに聞いていた。

「性格に難ありなんだよね……」

 すると、突然、旧校舎の裏の方から、数人の低い声が聞こえてきた。

「ん? 何か聞こえない?」

 リリアンが顔をしかめ、声のする方向に耳を傾ける。ヘルミーネも不安そうにそちらを見た。

「何だろう……ちょっと行ってみようか」

 ヘルミーネが立ち上がると、リリアンもそれに続いた。

「やめようよ、なんだか嫌な予感がする……」

 二人はそっと旧校舎の裏へと足を運ぶ。近づくにつれ、聞こえてくる声は、誰かを責め立てるようなものだった。リリアンとヘルミーネが壁越しに覗き込むと、そこにはリリアンのクラスの問題児三人がフリーデリケを取り囲んでいた。フリッツは冷静そうに見えるが、その背後には逃げ道がない。

「これはまずいよ」リリアンは小声で呟きながら、胸騒ぎを覚えた。「ヘルミーネ、ストロス先生呼んできて」

「フリーデリケさん、助けないと!」

「いや、むしろまずいのはあの娘たちのほうだよ」


「美味しいランチが食べられるって言ったから来てみれば、こんな薄汚れたところ……」

 フリッツは自分の置かれた状況を理解せず、能天気に答えた。

 三人のうちリーダーらしき娘が、彼女の肩を小突いた。

「あなた、毎日毎日自分の家の自慢ばかりして、生意気なのよ」

 フリッツはよろめき、背後の生徒が肩を掴む。

 リーダーは昨夜の雨でできた水たまりを蹴ると、泥水がフリッツィのスカートを汚した。

 染みてくる汚泥を見た途端、彼女の瞳が赤く染まり、怒号した。

「わたくしは大公爵マモンの娘ですわ。お父様が留学のお祝いにオートクチュールで作ってくれた服を!この人間風情がっ」

 フリッツィは拳を固めると、リーダーの腹に深く打ち込んだ。相手は涎を垂らして、その場に倒れた。「まだ許しませんわ」と、彼女の両手の爪が鋭く伸びる。

 残りの二人は後ずさり、リーダーを置き去りに一目散に逃走した。フリッツは宝石を取り出すと魔力をこめた宝石弾を放った。

 リリアンの横を走り去る生徒。気づいていない。リリアンはすかさず飛び出し、魔力を練り込んだ特注の鞭をしならせ、正確に宝石を弾き落した。リリアンは宝石を空中でキャッチし、リンデに投げ返した。

「やりすぎだよ、フリッツ」

「あら、リリアンさん、やはりあなた、悪魔でしたのね。リッツェンシュタイン……製薬で富を築いた伯爵家ですわね。でも、あなた、もしかして混じってる?」

 彼女がリリアンの瞳の奥を覗く。

「……今は関係ないだろ」

 リリアンはフリッツを無視して、倒れた女性徒に駆け寄り、様子を見た。気を失っている。息はしているが、ダメージの程はわからない。

「リリアン、遅くなってごめん。って、どうしたのその子!」

 やっとヘルミーネが戻ってきた。後ろに先生がいる。ストロスはすぐに状況を理解したらしく、彼女の腹を触診した。

「肋骨が折れている。まあ、これは私の監督責任にもなるし、何とかしないとね」

 彼女は無表情のまま、手の平を患部に当て、冷静に治癒魔法を発動した。ストロスの手が淡い光に包まれ、折れた肋骨がゆっくりと溶接されていく。

 ストロス先生は軽くため息をつきながら、立ち上がる。

「疲れた……。フリーデリケ、君のお父さんが偉大な悪魔なのは承知だよ。でも人間界では君は無名だし、おまけにこの彼女は教会の有力者だ、これ以上事を大きくすると、悪魔界に強制的に帰らざる得なくなる。君が悪魔だと知れれば、教会は総力を挙げて討伐しにくるだろうからね」

 ストロス先生の挑発に、リンデは一瞬こめかみをぴくんとさせたが、すぐに気を静めた。

「……先生、理解しましたわ。ノブレス・オブリージュとして少し手加減をすべきでした」

 フリッツはスカートの裾を摘まみ、優雅に頭を下げた。

 リリアンはその様子を見て、静かにストロス先生に感謝の視線を送った。

「ありがとう、ストロス先生。助かったよ」

「悪いが、リリアン君とヘルミーネ君で彼女を医務室に運んでくれたまえ」ストロスは去り際、フリッツの方に顔だけ傾け、「それとリリアン君はここでは悪魔としては君の先輩だ、教えを乞うように」と忠告した。

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