第3話 放課後活動
ある日、音楽の授業が終わりに近づいたとき、外部から呼んだ音楽家、エリザベート先生が突然立ち上がった。
「みなさん、お知らせがあります」
教室が静まり返る。
「私は楽器、歌の才能ある生徒たちのために、特別な放課後クラスを始めようと思います。厳しい訓練になるかと思いますが、真の音楽家になる道を示せると自負しています」
生徒たちの間でざわめきが起こる。
「これは強制ではありませんし、成績にも響きません。興味のある人は、来週のオーディションに参加してください。ただし、生半可な気持ちでは来てほしくありません。詳細は連絡版に貼っておきます」
エリザベート先生の鋭い目が、特にヘルミーネとアデレードに向けられていた。
と、いう経緯があり、ヘルミーネは現在、エリザベート先生のクラスにいる。魔法との両立ができるのか、加えて勉強がリリアンのように覚えがいいほうではない。「宮廷魔術師へのコネがあるのに音楽をやることはない」と言われるのを覚悟で、母親に相談した。しかし彼女は「それが今のあなたに必要なら、やりなさい」と言われた。魔法が必要でなくなる時代がいつかくる、というのが彼女の考えらしい、もちろん表立っては言えないらしいが。
放課後の音楽室。ヘルミーネは大きなひょうたん型の胴に長い首が付いたリラ・ダ・ブラッチョを手に取った。5本の演奏弦と2本の共鳴弦が張られた優美な楽器だ。吟遊詩人と共に貴族階級の習い事にも浸透した楽器。彼女は深呼吸をし、楽器を左肩に乗せ、右手に弓を構えた。
「ヘルミーネ、課題曲の出来はどう?わたしはまずいかも……」
隣のリュートを抱えた生徒が興味深そうに尋ねる。
「自分では納得してるんだけど、どうだろ。でも、先生の貸してくれた楽譜?ってのはほんと万能よね。これで先生がいなくても正確に弾くことができるんですもの」
先生が手を叩く。課題曲、グレゴリオ聖歌の『アヴェ・マリア』を一人ずつ弾き、全員で批評するそうだ。
ヘルミーネが弓を弦に当てると、部屋全体が静まり返った。「はじめ!」と先生が号令をかける。左手の指が幅広の指板上を滑るように動き、最初の音が響き渡る。澄んだ音色が空気を震わせ、聴衆の息を呑ませる。
彼女の左手の指が素早く動き、時に複数の弦を同時に押さえて複雑な和音を奏でる。右手は繊細に弓を操り、時に滑らかに、時に力強く弦を擦る。彼女の表情は穏やかで、目を閉じ、音楽に身を委ねている。旋律が高まるにつれ、リラ・ダ・ブラッチョの7本の弦が完璧なハーモニーを生み出す。共鳴弦が奏でる微かな響きが、曲に深みを与える。
周りの生徒たちは、目を見開いて聴き入っている。ある者はうっとりと目を閉じ、また別の者は感動で手を合わせ、完全に恋をする乙女の目になっていた。
曲が終わると、一瞬の静寂の後、拍手が沸き起こった。
「すごい!まるで天使の歌声みたい」
「どうしてそんなに美しい音が出せるの?」
ヘルミーネは照れくさそうに頭を掻く。
「ありがとう。でも、まだまだ改良の余地があるの」
素直な彼女が言うと、嫌味に聞こえない。その証拠が自然と周囲を笑顔にする信頼だ。
拍手が収まりかけたとき、部屋の隅から冷たい視線がヘルミーネに向けられているのを感じた。振り向くと、そこには長い黒髪の少女、アデレードが立っていた。その眼差しは氷の女王と言うのがぴったり。言葉どおり、彼女は周囲に氷の壁を築いているかのように、無言でリラ・ダ・ブラッチョを手に取り、演奏の準備を始める。
部屋の空気が緊張する。アデレードの指が弦に触れた瞬間、まるで時が止まったかのような静寂が訪れた。
最初の音は、朝霧の中で目覚める森のよう。かすかに震える空気が、聴く者の肌を優しく撫でる。アデレードの指が紡ぎ出す旋律は、月光に照らされた湖面のように穏やかで深い。
一音一音が、物語を語りかけてくる。悲しみ、喜び、憧れ、そして希望。感情の機微が、透明な水滴のように空間に浮かび上がる。
曲が進むにつれ、まるで夜空に星々が瞬くように、音符が部屋中に散りばめられていく。アデレードの演奏は、聴く者の心の奥底に静かに沈殿していく。
最後の音が消えゆくとき、誰もが息を呑んでいた。深い感動に包まれた沈黙が、しばらく拍手さえ拒んだ。
やがて、熱狂的な拍手が沸き起こる。
「素晴らしい!両者とも天才だわ!」
「ヘルミーネの情熱とアデレードの繊細さ、どちらも最高!」
興奮冷めやらぬ中、ヘルミーネは屈託なく笑顔でアデレードに近づいた。
「すごかったわ!同じ曲なのに、そうゆうアプローチもあるのね。一緒に演奏できたら素敵だと思わない?」
アデレードは僅かに眉をひそめ、冷ややかな視線を避ける。楽器をケースにしまうと、教室を出てしまった。先生もあえて何も言わなかった。
「さて、今のふたりの演奏について、みんなどう思う」
ヘルミーネは演奏を称えて握手を求めた手が宙ぶらりんになり、すばやく引っ込めて赤面した。
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